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三島由紀夫 檄文
※ 筆者が三島由紀夫を語るなんてことはあまりに無謀なことです。あの壮絶な最期。その時中学生だった筆者が受けた印象その記憶が、狂気の事件という、まったく恥ずかしい限りで。学校の先生からは「三島は老いを恐れていた」「若く美しいうちに死にたかっただけ」などと精神的な欠陥を強調、「自殺はいかん」と説教された。

 あの時、テレビ・ニュースでも演説の詳細は分からなかった。筆者は、あの頃花盛りだった暴力的な学生運動が大嫌いで、恐らく同じような印象(嫌悪感)を受けたのかもしれません。

 あの檄文や演説の内容を、その後もずっと知らずに過ごしてしまったことを非常に悔しく思っているのですが、マスメディアが報道したかどうかの覚えがない。報道していたとしたら、あれだけの事件なのだから記憶が残ると思うのですが。

 ということで、あの演説・檄文を掲載するのに躊躇していたわけですが、目の覚めるような西村眞吾代議士の論文に背中を押されました。 


西村眞吾衆議院議員 










憂国忌と翌十一月二十六日の白襷隊
(眞吾の時事放談:平成19年11月26日)
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi

 昨日の十一月二十五日は、「憂国忌」である。

 即ち、三十七年前の十一月二十五日、三島由紀夫と森田必勝は、市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に討ち入り割腹自殺を遂げた。

 私はその時、学生であった。京都市左京区の大文字山の麓、浄土寺馬場町の学生寮に住んでいた。朝と晩の食餌付きで月四千五百円の寮であった。

 何の用があったのか忘れた。多分いつものように目的もなくぶらりと銀閣寺か大学の方にいっていたのであろう。その帰り、垣根の横を通って、寮の門に近づくと、中から仲間の寮生が飛び出してきた。そして、門の前でぶつかりそうになった僕に、「三島さんが自衛隊に討ち入って今立て籠もっている」と言った。

 その一瞬の彼の顔に、晩秋の光が当たり木々の葉や梢の影が刻まれていた。その彼の顔に射す光の形は今も甦ってくる。そして、その顔の光と影を見ながら、僕は、「三島さんは死ぬんだ」と思った。

 翌朝の毎日新聞朝刊に、作家の司馬遼太郎氏の「三島事件」に関する論説が掲載された。

 司馬遼太郎氏は、先ず、吉田松陰を語ってから、彼のようなタイプは民族の歴史の中でただ独り出ればいいのだと切り出し、何故なら二人も出してしまうと、民族の精神病理の問題になると述べたのである。

 そして、「かの名作、まことに名作」という表現で、三島の作品である「午後の曳航」を紹介して三島の自決への軌跡を辿り、最後に、それにしても、この我が民族の歴史の中で二度と現れないかもしれない作家を、精神と肉体のアクロバットの果てに失った悲しみを如何にすればいいのか、と締めくくった(以上,原文を探さず記憶にもとづく)。

 この論評を読んで僕は、衝撃的な三島の自決の報の直後に、というよりは、三島の首のない胴体と生首が総監部から運び出される映像を眺めながら、これだけの深く静かな論評を書き上げた司馬遼太郎氏の力量に舌を巻いた。そして、この記事は私にとって司馬遼太郎氏の一番印象深い一文になった。

 昨日は、この三島由紀夫と森田必勝の自決から三十七年が経った日であった。私は、大分県護国神社で行われた「大分憂国忌」に出席して記念講演をする機会を与えられた。

 実に立派な大分護国神社境内の憂国忌会場に入ると、神殿の横には、三島と森田の両烈士の垂れ幕の横に、神風特別攻撃隊各烈士の慰霊の幕が掲げられていた。

 その幕を見たとき、私は三十七年前の両烈士そして六十二年前の神風特別攻撃隊各烈士とともに、日露戦争時、百三年前の明日二十六日の、旅順要塞攻防戦における三千の白襷隊の各烈士のことをどうしても語りたくなった。

 思えば、大分は海側からの旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬武夫海軍中佐の故郷である。広瀬中佐の霊が旅順を語れと促したのかも知れない。
 
 明治三十七年十一月二十六日、旅順に対する第三回総攻撃が開始された。この時、乃木希典軍司令官指揮する第三軍のみならず,日本が生死の分かれ目に立っていた。旅順が陥落しなければ日本軍は、陸に海に総崩れになって崩壊し、我が国家はロシア軍に席巻され滅亡したであろう。
 しかし、旅順総攻撃に入った各師団は大損害を受けて撃退され攻撃成功の見込みはつかなかった。

 そこで、各師団の攻撃がことごとく失敗に終わったのを見とどけた乃木軍司令官は、二十六日夕刻、特別部隊による壮絶な攻撃を決意する。それは、中村覚歩兵第二旅団長の意見具申によるもので、中村少将が指揮して夜間に刀と銃剣で敵陣保塁に攻め込む奇襲である。夜間の目印のため全員が白い襷をかけた。

 乃木軍司令官は、三千の白襷隊にたいし、「国家の安危は我が攻囲軍の正否によって決せられんとす」との悲壮なる訓辞を述べ、整列する将兵の間を歩き、ただ「死んでくれ、死んでくれ」と言った。

 そして午後六時に行動を開始した白襷隊は、二十六日午後九時、敵陣に突入した。しかし、中村隊長が重傷を負って倒れ、ほとんどが死傷して隊として消滅したのである。

 大砲と機関砲で武装しコンクリートで固められた強固な永久保塁に対する三千名の刀と銃剣での夜襲である。後世、この白襷隊の攻撃をもって、まるで彼らが乃木に犬死にさせられたように語られる。司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」では、白襷隊が乃木の「無能」による兵の殺戮の例として挙げられている。

 しかし、私は、会場の特別攻撃隊各烈士の幕を見たとき、白襷隊の各烈士のことを語り、次のロシア軍側の文献を紹介したのである。それは、岡田幹彦著「乃木希典、高貴なる明治」(展転社)にある忘れがたいロシア側記録である。

「我等旅順籠城の守兵は、一兵一卒に至まで・・・血につぐに骨をもってし、骨につぐに直ちに魂をもって死守したるなり。しかも日本軍の堅忍なるや分を得れば寸、寸を取れば尺と・・・営々倦まざること即ちこれ日本軍の精気なりといわん。

 実にこの精気に強き分子たる日本軍が精気に弱き露軍を屈服せしめたるなり。

 余は敢えて屈服という。されど一九〇五年の一月一日の開城を指すに非ざるなり。その前年の暮れ、即ち十一月二十六日における白襷抜刀決死隊の勇敢なる動作こそ、まことに余輩をして精神的屈服を遂げしめる原因なれ。

 この日の戦闘の猛烈惨絶なりしことは・・・その適切なる修飾語を発見することを得ず。・・・しかもその天地の振動に乗じ、数千の白襷隊は潮の如く驀進して要塞内に侵入せり。

 総員こぞって密集隊・・・白襷を血染めにして抜刀の形姿、余らは顔色を変ぜざるを得ざりき。余らはこの瞬間、一種言うべからざる感に打たれぬ。曰く、屈服。」
 
 よく文献を集めたといわれる司馬遼太郎氏は、この記録を知らず、もしくは無視したようであるが、敵軍であるこのロシア側記録こそ、後世特に戦後になって、「坂の上の雲」などで「愚行」とされた中で戦死していった白襷隊将兵の霊に捧げるべき言葉では無かろうか。

「白襷隊三千の烈士よ、貴官らの勇敢な死は、旅順陥落をもたらし、祖国をして勝利せしめたり」

 と、そして

 「あなた方の尊い自己犠牲の上に、今に生きる我等は亡国の民ではなく、日本に生まれた喜びを心に持つことができるのです。ありがとうございます」と。

 国家の再興は、教育の再興にかかっているが、歴史の回復なくして教育の再興はない。そして、歴史の回復とは、勇戦奮闘した英霊に感謝の誠を捧げることからはじまる。

 全国、津々浦々の墓地には、ほぼ例外なく墓石の先が尖った兵隊さんの墓がある。私は、それらを見るとき、日本が近代に経験したものは「大祖国戦争」であったと思う。そして、時に

「ごくろうさんでございました。ありがとうございました」

 とつぶやき、何処何処で戦死、戦病死と刻んだ字をながめる。そして、これが私にとって、我が国の歴史を実感することにつながってくる。

 読者諸兄姉も、散歩の途中、通勤の途中、村や町の墓地に行き会うことがあると思う。

 その墓地の中に、兵隊さんの墓石があるはずだ。それを眺めて、欧米列強が繰り広げる弱肉強食の帝国主義の時代に、独立して近代化を成し遂げた我が国の祖父母の時代の苦難の歩みを少しでも実感しようではないか。

 自国の歴史は、他人のことのように観るべきではない。

 自国の歴史は、津々浦々の墓地からも実感することができる。




 三島由紀夫
 


三島由紀夫 演説文
(30分の予定がヘリコプターや野次で肉声はかき消され7分で断念。・・・は、聞き取り不能)
http://www.geocities.jp/kyoketu/61051.html

 私は、自衛隊に、このような状況で話すのは空しい。しかしながら私は、自衛隊というものを、この自衛隊を頼もしく思ったからだ。こういうことを考えたんだ。しかし日本は、経済的繁栄にうつつを抜かして、ついには精神的にカラッポに陥って、政治はただ謀略・欺傲心だけ………。これは日本でだ。ただ一つ、日本の魂を持っているのは、自衛隊であるべきだ。われわれは、自衛隊に対して、日本人の………。しかるにだ、我々は自衛隊というものに心から………。

 静聴せよ、静聴。静聴せい。

 自衛隊が日本の………の裏に、日本の大本を正していいことはないぞ。

 以上をわれわれが感じたからだ。それは日本の根本が歪んでいるんだ。それを誰も気がつかないんだ。日本の根源の歪みを気がつかない、それでだ、その日本の歪みを正すのが自衞隊、それが………。

 静聴せい。静聴せい。

 それだけに、我々は自衛隊を支援したんだ。

 静聴せいと言ったら分からんのか。静聴せい。

 それでだ、去年の十月の二十一日だ。何が起こったか。去年の十月二十一日に何が起こったか。去年の十月二十一日にはだ、新宿で、反戦デーのデモが行われて、これが完全に警察力で制圧されたんだ。俺はあれを見た日に、これはいかんぞ、これは憲法が改正されないと感じたんだ。

 なぜか。その日をなぜか。それはだ、自民党というものはだ、自民党というものはだ、警察権力をもっていかなるデモも鎮圧できるという自信をもったからだ。

 治安出動はいらなくなったんだ。治安出動はいらなくなったんだ。治安出動がいらなくなったのが、すでに憲法改正が不可能になったのだ。分かるか、この理屈が………。

 諸君は、去年の一〇・二一からあとだ、もはや憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。自衛隊が二十年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会はないんだ。もうそれは政治的プログラムからはずされたんだ。ついにはずされたんだ、それは。どうしてそれに気がついてくれなかったんだ。

 去年の一〇・二一から一年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。もうこれで憲法改正のチャンスはない!自衛隊が国軍になる日はない!建軍の本義はない!それを私は最もなげいていたんだ。自衛隊にとって建軍の本義とはなんだ。日本を守ること。日本を守るとはなんだ。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである。

 おまえら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。

 それがだ、いま日本人がだ、ここでもってたちあがらなければ、自衛隊がたちあがらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだねえ、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。諸君と日本の………アメリカからしかこないんだ。

 シビリアン・コントロール………シビリアン・コントロールに毒されてんだ。シビリアン・コントロールというのはだな、新憲法下でこらえるのが、シビリアン・コントロールじゃないぞ。

 ………そこでだ、俺は四年待ったんだよ。俺は四年待ったんだ。自衛隊が立ちあがる日を。………そうした自衛隊の………最後の三十分に、最後の三十分に………待ってるんだよ。

 諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。どうして自分の否定する憲法のため、自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。これがある限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。

 諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。自衛隊は違憲なんだ。きさまたちも違憲だ。憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ!俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりにまどわされて、本当に日本のためにたちあがるときはないんだ。

 そのために、われわれの総監を傷つけたのはどういうわけだ<野次

 抵抗したからだ。憲法のために、日本を骨なしにした憲法に従ってきた、という、ことを知らないのか。諸君の中に、一人でも俺といっしょに立つ奴はいないのか。

 一人もいないんだな。よし!武というものはだ、刀というものはなんだ。自分の使命………。

 それでも武士かぁ!それでも武士かぁ!<野次

 まだ諸君は憲法改正のために立ちあがらないと、見極めがついた。これで、俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ。それではここで、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。

 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!


□ 檄 文
http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html

 われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。

 かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。

 ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑いもない。われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

 われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。 

 われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。

 もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。

 われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあった。

 憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。

 日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲った大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。

 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。総理訪米前の大詰ともいうべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終った。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。

 その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。

 治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。

 名を捨てて、実をとる! 政治家たちにとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。

 銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。

 創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。

 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。

 男であれば、男の衿がどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。

 しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。

 われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こうとするのか。

 繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジジェネラル一人、自衛隊からは出なかった。

 沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。

 われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。





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【2007/11/30 20:52】 | 【演説・講演・論文・コラム】 | トラックバック(0) | コメント(5)
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コメント
三島由紀夫の檄文初めて拝見しました。
読みたいと思いながら今まで知らずにいました。
この事件の時は小学生ですから何も分かりませんでした。
今は三島さんが言いたいことが痛いほどよく分かります。
この当時も今も三島さんの血を吐くような叫びが分からないなんて。
私たちは戦前も戦中も知りません。でも体験していなくても想像力はあります。
今の日本がおかしくなって、今一緒に仕事したり生活したりしている人たちのうわべの言動を聞いていると、やりきれなくなります。私は男でも、自衛隊員でもないですが、心には三島さんの思いをもってできうる限りのことをしたいと思います。 
三島さんの映像を見ることができて嬉しく思いました。
娑婆妥場さんのお気持ちもたいへんよく分かるつもりです。記事ありがとうございました。
【2007/12/02 07:47】 URL | sakurako #-[ 編集]
今のコメントsakurakoはさくらこでした。ひらがなにする前にEnter押したとたん送られてしまいました。失礼しました。
【2007/12/02 07:55】 URL | さくらこ #-[ 編集]
さくらこ様

お返事大変遅れてしまい申し訳ありませんでした。実は今・・・詳細はこのあとの更新で!
檄文の掲載は自分の備忘録としても大変重要なものでした。やっと掲載できてほっといたしました。(笑)
さくらこさんのコメント、とてもありがたかったです。これからも山ほどある「躊躇モノ」の掲載をガンバリたいと思います。syabadaba
【2007/12/05 12:43】 URL | 娑婆妥場(管理人) #3.a9MHK6[ 編集]
このコメントは管理者の承認待ちです
【2010/11/20 14:35】 | #[ 編集]
このコメントは管理者の承認待ちです
【2011/11/08 08:38】 | #[ 編集]
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日本の近現代史の中から、主に感動エピソードを拾い集めてみたい。ゆっくりゆっくりですが。個人的には備忘録(メモ)のつもりです。

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この道を、どんな日本人が歩いていたんだろうと、ついつい想いを巡らせてしまう今日この頃です。
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