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『千の風になって』とどこか似ている福田政権
 ※ 筆者はいつも、テレビからこの『千の風になって』という歌が流れてくると消していました。この歌、最近の音楽業界では珍しく人気が長続きしているようで、今朝もほんの少しの時間に数回流れ、その都度消音、最後はテレビを消した。

 実は筆者はこの流行というものが昔からあまり当たらない。しかも歌に限ったことでもない。そのため、逆に消音したくなるような「流行」が氾濫していて弱ってしまう。

 中でも『千の風になって』には、ほとほと弱っています。曲が美しく切なくて、聴いていると涙がこぼれそうになるが、その実気持が悪い。それが重なり、今ではとうとう反射的に消すようになった。

 何でだろう、何でだろうと気がつかなかったふりをして、本当は最初から分かっていた。歌詞の最初に違和感があったのだ。

 気がつかなかったふりをしたのは、全体が美しかったからだ。違和感があるものの、もう少し聴いてもみたい。というこの矛盾。しかし今ではこれが流れてくると「千の悪霊が」飛んでいるように感じてしまうのだ。

 「墓参りをするなー」と聞こえるのだ。

 「お墓の前で手を合わせるなー」「お墓に来るなー」

 まるで呪文を聞いているような気分。繰り返し繰り返し呪文をかけられているようなこの気持悪さ。なのに流行はまだまだ上昇中というので筆者は弱るばかり。

 それで今朝のほんの短い間にもしつこく流れたものだから、堪忍袋の緒が切れた。そうして考えているうちに福田内閣と重なり・・・あれ?似ているぞ。何かが似ている。

 墓参りの慣習は日本古来の文化だ。先祖を敬い、先祖を大切に思い、古来日本人は何かにつけて報告し、何かにつけてお伺いを立て、祖先と交信してきた。筆者もたまに田舎に帰ると真っ先に仏壇に手を合わせ、墓参りをする。こちらにいるときはいつも空を見上げてぶつぶつ交信する。

 何も見えないし何も聞こえないが、それでも心が通じたように感じる。それだけで安堵するのだ。これが日本人の信仰心だと思う。

 そして大切なことは、自分が先祖と繋がっているという感覚。ずっとずーっと昔から繋がっているという感覚。今は居ない先祖を想うことで、いつか自分が居なくなることをも和らげる。

 8年前の7月に、筆者の父は旅立ちました。膵臓癌が発覚したときにはすでに遅しで4ヶ月足らずで逝ってしまった。その時、父が言いました。

 「なーに、順番なんだから心配するな」

 残される我々を気遣い、父は静かに家族や孫たち全員に見守られ旅立ちました。その父と、何かにつけて今も交信しています。

 この国の歴史は深い。先祖を辿れば今の私たち、みんな親戚です。世界に類のない歴史ある家族国家なのです。この国が何故こんなに長く、伝統文化を繋げてこれたのか。それは何時の時代にも天皇陛下が中心にあられたからです。

 天皇陛下は日本の伝統文化の象徴でもあられ、2000年を超えて同じ価値観を伝え、同じ祭事を御守り下さいます。古書を紐解けば、どの時代も現代と良く似た日本人像が記されてあります。

 しかし、哀しいかな現代の日本人は、戦前と比べて、先祖との結びつき、その感覚が極端に薄れてしまっています。大家族から核家族へ移行し、お墓を守る感覚も薄れ、どこかの集合住宅のような委託墓地が出現し、はなっからお墓もいらない散骨でいいじゃないかという風潮まである始末。

 それは先祖との遮断、歴史の遮断、即ちアイデンティティーを破壊するものではないか。今後生れてくる日本人は根無し草、浮き草も同然で、実は自分が誰かも分からなくなるのではないか。日本人としての誇りも気概もなく、食べて出して空気を吸うだけ、瑣末なことで笑い怒り、価値観は個人中心で無重力の自由がぶつかり合う日本人モドキ。

 もし、大家族だったなら、家にはじいちゃん、ばあちゃんがいる。孫は父さん母さんが忙しいから、じいちゃんばあちゃんに面倒みてもらう。じいちゃんばあちゃんは、昔話を聞かせる。じいちゃんばあちゃんのそのまた、じいちゃんばあちゃんの話も聞かせる。じいちゃんばあちゃんの昔から伝わる話を聞き、歌を聴いていると、自然と日本の歴史に触れることになる。日本の歴史に触れたなら、昔の天皇陛下のことも知る。昔の日本人の教えが、自然に自然に孫に伝わる。自然に自然に天皇陛下を敬う心が育つ。自然に自然に、思いやりの心が育つ。自然に自然に、日本が好きになる。自然に自然に、自分に自信が持てるようになる。

 伝統文化も何もかも、自然に伝わるのだ。『17条の憲法』の心が自然に伝わるのだ。いい事尽くめじゃないか。泥棒も減り、犯罪も減り、よく学び、よく遊び、健康で、健全な日本人がよみがえる。はずだった。

 『千の風になって』が巷にあふれ、消しても消しても聞こえてきてしまう。もうメロディーも覚えてしまった。いやメロディーが悪いんじゃない。あの歌詞が、あの歌詞の最初の少しだけが気持悪いのだ。

 もう分かってくれたでしょう。きっと分かってくれたでしょう。福田政権とどこが似ているのか。きっと分かってくれたと思います。



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【2007/09/26 08:09】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(0) | コメント(0)
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日本の近現代史の中から、主に感動エピソードを拾い集めてみたい。ゆっくりゆっくりですが。個人的には備忘録(メモ)のつもりです。

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Author:娑婆妥場
この道を、どんな日本人が歩いていたんだろうと、ついつい想いを巡らせてしまう今日この頃です。
いろんな感動エピソードに出会ったけれど、記憶力が悪く片っ端から薄れてしまうので、思い切ってブログに挑戦することにしましたとさ。

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