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《憲法記念日》 「新憲法」制定は日本の悲願?
 ※ 現在の日本国憲法は、1946年11月3日公布、1947年5月3日に施行され、ただの一度も改正されることなく、今年60周年を迎えました。

 「憲法記念日」を翌日に控えた5月2日のこと、下に引用したように「新憲法大綱案」のニュースが飛び込んできました。今、国会で「改正法案」の綱引きの最中であるのに、それを飛び越えた「新憲法」論議の出現に多くの国民が驚いたことと思います。
 
 そこで、今回は現行憲法(日本国憲法)の成り立ちについて調べなおしてみたところ、興味深い「数字の一致」が見えてきました。では以下の数字(月日)を、じっと目を凝らして見つめてみて下さい。

 ○  4月29日  東京裁判「起訴状」 公布
 ○  5月 3日  東京裁判 開廷
 ○ 11月 3日  日本国憲法 公布
 ○ 12月23日  東京裁判 死刑執行

 何故ここで「東京裁判」であるのかと奇異に思われた方は、現行憲法がGHQ占領下政策のもとに制定されたものであることを踏まえ、拙エントリー「世界の識者が見た東京裁判」をご参考下さい。

 もうほとんどの方が気づかれたことと思いますが、それぞれ、日本の祝日と記念日に重ねられております。「重ねられて」というのがミソでございます。

 では、その「重ねられて」を実感してみましょう。

 ○  4月29日  東京裁判「起訴状」 公布 -- 昭和天皇誕生日
 ○  5月 3日  東京裁判 開廷 -- (現行)憲法記念日
 ○ 11月 3日  日本国憲法 公布 -- 明治天皇誕生日
 ○ 12月23日  東京裁判 死刑執行 -- 今上天皇誕生日

 現行憲法を平和憲法と教えられてきた国民の多くは、憲法の改正や新憲法論議は「不穏な動き」として映ることでしょう。

 確かに、憲法9条の文言は平和そのものです。9条を守ろうとする護憲派の論調で目立つものに「9条があったからこそ平和を守れたんだ」というのがあります。果たしてそうなのでしょうか。もしそれが本当なら、どうして世界中のすべての国家が採用しないのでしょうか。

 この怪しげな「憲法記念日」をきっかけに、更に論議が深まり、日本の正義の回復と「新憲法記念日」制定の日を待ち、その推移を見守りたいと思います。願わくば筆者の目の黒いうちに。 

 

□ 防衛軍に国益条項… 超党派議員が「新憲法大綱案」
http://www.sankei.co.jp/seiji/seisaku/070502/ssk070502003.htm

 超党派の保守系国会議員有志でつくる「新憲法制定促進委員会準備会」(座長・古屋圭司自民党衆院議員)は2日、現憲法を全面改正するための「新憲法大綱案」をまとめた。準備会は「党派を超えて団結し、新憲法の制定に向けて具体的な行動を開始する」(提案趣意書)方針で、大綱案を改正論議のたたき台と位置づけている。

 大綱案は、平和主義を堅持し、「防衛軍」の保持と集団的自衛権の行使を容認した。武力攻撃やテロ、大規模災害時への備えとして首相に一時的に非常措置権を与える「国家非常事態条項」の新設を盛り込んだ。

 また、「国家の主権、独立および名誉を護持し、国民の生命・自由・財産を保全することが国家の最重要の役割」として、国の領域の保全や資源、環境の保護を促す国益条項を創設することを打ち出した。

 天皇については、象徴天皇制を維持しつつ元首と明記する。また、昨年の皇室典範改正問題の混乱を踏まえ、現憲法で「世襲」(第2条)と定める皇位継承について、世襲に加え「皇統に属する男系男子」の要件を新憲法に明記することにした。

 前文は、歴史や伝統的価値観など国の特性、国柄を継承発展させていくことを宣言するものと位置づけ、国民主権の議会制民主主義▽基本的人権の尊重と、国民が権利や自由を公共に役立てる▽国の主権・独立・名誉の擁護と世界平和の希求-などを国の基本原理とした。

 「準備会」は自民党の萩生田光一、今津寛、民主党の松原仁、笠浩史、

国民新党の亀井郁夫、無所属の平沼赳夫-の各氏ら国会議員25人で構成。3日午後1時から東京都千代田区平河町の砂防会館別館で開かれる民間憲法臨調主催の公開憲法フォーラムで正式発表する。

(2007/05/02 16:35)


□【正論】東京工業大学名誉教授・芳賀綏 先人たちの無念さ生かせない憲法草案
http://www.sankei.co.jp/news/060103/morning/seiron.htm

無色無味な前文など必要ない

≪味気ない文嘆いた犬養健≫

 昨秋、自民党の結党五十年に際し、久しい懸案の新憲法草案が発表された。議論百出すべき年明けだ。冒頭の「前文」を読むうち、敗戦の翌年の議場がよみがえった。

 第一次吉田内閣のもとで現憲法案が衆議院を通過した昭和二十一年八月二十四日、本会議で賛成討論に立った議員の一人、犬養健(日本進歩党)は、演説の冒頭部分で憲法前文に言及して述べた。

 「これを一読致しますにつけ、われわれは、口語体としてのわが日本語が、殊に法律に関して用いらるる場合、いかに未(いま)だ成熟の途にあるかを痛感致したのでありまして、将来とも幾多の文学の天才が出現致し、あらゆる形において縦横の表現を試み、これによってわれらの日本語に、さらに多角的にして豊富なる魅力を加えんことを期待致すのであります(拍手)」

 憲法原案が日本製でないことを言外に言い、味気ない、魅力のない日本文であることを嘆いたものだ。

 そして貴族院本会議でいよいよ憲法が成立する十月五日、改正案特別委の委員長報告に立った安倍能成(哲学者、元文相)の発言は一段と率直だった。「前文については、特にその文章の生硬未熟なことが指摘せられまして、また内容としては、さらに積極的な雄健明朗な、これからの日本国民を立たしめるような、そういう性格を与えるための内容の改正や充実も提案されましたが、これは政府の容るるところとはならなかったのでありました」

≪素案無視した自民党の愚≫

 このように、急ごしらえ憲法の底の浅さと生煮え加減を、とりわけ前文について批判した良識の声が、改正の機会には当然生かされるはずだった。前文は「雄健明朗」な内容になって国民の高朗な志が表明され、「英文直訳体としては文句なしの模範文」などと皮肉られた現行前文と違って、豊かに蓄積された日本語の伝統の粋が示されるかと思った。

 今度の自民党案ではその期待がかなえられたか。否。「象徴天皇制は、これを維持する」などと、現憲法からの事務引き継ぎ風の投げやりな文言を含んで、依然として総体にぎこちなく、生気がない。起草者たちの声が響かず、国づくりの感激が伝わらない。各章各条の要点を掃き寄せた“ご用とお急ぎ”向け便覧を、コンピューターの作った声が伝えるような無感動なものだ。六十年昔の先人の批判に応える英知の重みや味わいを感じない。

 新憲法起草委員会の素案では、前文で日本の国土、自然、歴史、文化など国の生成発展に言及し、格調ある文章にすると目指していたはずだが、聞けば党大会での発表前に排除されてしまったという。前文が無色無味化したことの苦しい弁明か、「各国に共通の普遍の原理を掲げるのだから日本的な色合いは不要」といった説明も聞かれた。“普遍の原理”の根本議論に立ち入る紙幅はないが、仮に普遍の原理にせよ日本人が日本語で謳(うた)うのである。

 国際人・新渡戸稲造の表現を借りるなら“民族の音色(ねいろ)”が、静かな裡(うち)にも凛(りん)として響き、みずみずしい日本文になるのが自然である。

≪民族の個性白眼視する気風≫

 昭和三十年代のテレビで宮沢喜一氏(当時参議院議員)がいみじくも「英語で話すことは英語で考えることですから、英語で話していると日本がはみ出してしまいます」と語った通りの“日本はみ出し文体”の残像を引きずる粗雑な文章で新憲法とは無理だ。

 日本はみ出し様式を安易に踏襲したことについて、“日本人らしさ”におごるのは不要(不可?)という意味の説明もあったが、日本人らしさはことさら誇示されるのではない。背伸びし、ふんぞり返った自己顕示ではなく、民族の心のヒダの深みからおのずとにじみ出るものだ。“国柄”の自然の流露である。「文は人なり」なのだ。

 戦後の教育では、二言目には“個性的な人間”を育てるというくせに、民族や国の個性を白眼視し、ユニークな国語の持ち味への鈍感さを放置するのは、ひどい矛盾撞着(どうちゃく)ではないか。素案にありながら否定された重要部分は、憲法の根本原理や個々の条章が実践される舞台としての国土と、国民の人となりが育んだ伝統を一言に語るもので、どんな人間たちがどんな環境で憲法を生み、担うかを、潤いのある文体で表明することは危険でも過激でもない。

 内外各方面に対する政治的配慮から、それすら抑制するというのなら、いっそ前文のない憲法で出直したらどうだ。明治憲法は、表現は簡潔雄渾、前文など付いていなかった。(はが やすし)

(2006.1.3)






   

  
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【2007/05/04 08:36】 | 【祝日・記念日】 | トラックバック(1) | コメント(6)
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コメント
たしかに憲法第9条は理想論に過ぎないかもしれないです。
また、その成立の経緯に納得できないものを感じる人もいるかもしれません。
(私個人としては、現行憲法の施行や東京裁判がらみの日付が全て天皇家のイベントと結びついている点について、悪趣味だとは思いますが、だからといってそれだけで憲法の妥当性そのものまで否定する気にはならないです)

ただ、守れないからルール後となくしてもいい、ということはない。
なかなか守れなくても、たとえば世の中から殺人や強盗がなくならなくても殺人や強盗をしてはいけない、という取り決めをなくさないのと同じように、守るべき指針として掲げることは重要だと思うのです。
確かに戦後60年の平和は、憲法の条文だけで実現したのではない。
様々な政治バランス、アメリカの庇護のもとに保てたものではありましょう。
しかし、理想は理想として持ち続けることに意味があるのです。
壊す・捨てるは簡単ですが、作るのは難しいから。
今、日本に平和憲法を「押し付けた」アメリカは
今度は一緒に戦え、と言ってきている。
それに応えて国が保てるだけの基礎的国力(「国土面積、鉱産・農林水産資源、人口)があるか?
そのへんも良く考えたほうがいいと思います。

長々と失礼しました。
【2007/05/04 17:35】 URL | 2月うさぎ #MebZ0mlo[ 編集]
2月うさぎ様
ご訪問、コメントをありがとうございます。
2月うさぎさんのご意見、筆者もよーく理解できます。
筆者ももれなく戦後教育で「過去の日本はひどい軍国主義でアジアを侵略してまわった悪い国。だから反省して9条のようなすばらしい平和憲法を守らなければならない」と習いましたから。
しかし、なぜそのような教育を受けさせられてきたのでしょうか。
安倍首相の言う「戦後体制からの脱却・教育改革待ったなし」とはどういう意味なのでしょう。

いわゆる理想の9条(戦う権利の放棄)は、日本だけに押し付けられたもの。
日本一国だけが自らの両手足を縛られた状態。
ほんとにこれでいいのでしょうか。
それから、この60年間、平和だったといえるのでしょうか。
拉致事件が解決されないままの30年を今年迎えましたが。
同じく拉致されたレバノン人は、返さないなら軍を出すぞと交渉して、即刻の奪還を成功させています。
すでに日本は国民の生命・財産を守れてはいないのです。
安全保障の問題は、国家の根幹にかかわる問題であり、この憲法論議が更に更に深まることを願っています。
【2007/05/05 18:53】 URL | 娑婆妥場(管理人) #3.a9MHK6[ 編集]
戦争責任や、第二次世界大戦における日本の行為の妥当性の問題と
憲法9条そのものの存在価値は別に議論した方がいいと、私は思っています。

たしかに、9条の成立は「日本だけが悪いみたいな裁判」と軌を一にしています。
そして戦争犯罪をどう判断するか
更にそれ以前の欧米の植民地主義や、激しい人種差別(という表現では生塗りい、白色人種以外を労働家畜レベルに扱っていたということ)をどう総括していくか、
この点は別儀に提起すべき問題でしょう。
私も一人でヨーロッパをバックパックで周っていたとき
ユースホステルで一緒になった人たちと
この点については議論したクチです。

でも、崇高な理念から研究された技術が
残虐極まりない結果を生むことがあるように
(アインシュタインがナチスのユダヤ人殲滅というジェノサイドを防止する=平和をもたらす最終手段であると信じて行った原爆の技術研究が、日本で地獄絵を作り出し、このことにアインシュタインが懊悩したことは有名です)
薄汚れた不公平の中から
すばらしい価値を持ちうる産物も生じうるのです。
【2007/05/08 20:07】 URL | 2月うさぎ #MebZ0mlo[ 編集]
2月うさぎ様

9条そのものの価値についてとおっしゃいますが
その理念・理想には何の否定もいたしません。
とても良いことだと思っています。
いつか世界中が採用する日がくればいいと
心底思います。
ただし、今の現状ではそうはなりません。

「9条を守って 国を護らず」

これでは本末転倒です。
日本のみが交戦権を放棄し続けていることを
大っぴらに喜んでいる他国が存在しています。
拉致という主権侵害、尖閣諸島への侵犯、
竹島・北方領土に至っては実効支配されています。
領海侵犯での自衛隊機スクランブル発進は年数百回にもおよんでいます。(年々増えている)
露骨に内政干渉をし続け、プロパガンダを仕掛けています。
改憲をめざす日本政府を「軍国主義化」と揶揄し、
いわゆる「慰安婦問題」「南京問題」などで
日本を貶めようとするのはまぎれもないプロバガンダ。
そして国内で同じスタンスであるのが
共産党と社民党(旧社会党)、
あろうことかマスメディアの多くも侵蝕されています。
因みに、共産党と旧社会党は
昭和26年の講和(独立主権回復)に断固反対していたのですよ。
護憲を叫ぶ勢力がどんな種類の勢力であるかは一目瞭然です。
悲しいかな、9条はすでに形骸化されているとしか言いようがありません。
【2007/05/10 16:12】 URL | 娑婆妥場(管理人) #3.a9MHK6[ 編集]
憲法制定に関わった白州次郎さんの本を読みましたが、この件に関しては白州次郎さんは意外とあっさりGHQの言いなりになっているという印象でした。私は、日本語の使われ方を重視した松本内務大臣のGHQへの反論に感銘を受けました。(TBさせていただきました。)一国の憲法を作るのに、その母国語の使われ方はとても重要ですよね。現行憲法が心に訴えかけてこないのは、やはり日本人が自分たちの言葉と心で考えたものではないからだと思います。
【2007/05/15 13:26】 URL | milesta #S4B2tY/g[ 編集]
milesta様

最近になって白州次郎氏への注目が高まっていますが、本はまだ読んでおらず。
そうですか、意外とあっさりとでしたか(笑)
あの時代の国のリーダー諸氏の心中いかばかりか。
過去の話でも胸が痛くなるというのに・・・。
できれば新憲法をと思うのですが
松本内務大臣の草案を見てみたいですね。
TBありがとうございます。
遅ればせながら伺います。
【2007/05/17 14:37】 URL | 娑婆妥場(管理人) #3.a9MHK6[ 編集]
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しゃばだば近代国史帖


日本の近現代史の中から、主に感動エピソードを拾い集めてみたい。ゆっくりゆっくりですが。個人的には備忘録(メモ)のつもりです。

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この道を、どんな日本人が歩いていたんだろうと、ついつい想いを巡らせてしまう今日この頃です。
いろんな感動エピソードに出会ったけれど、記憶力が悪く片っ端から薄れてしまうので、思い切ってブログに挑戦することにしましたとさ。

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