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ある台湾女性の半生が語る日台の心
台湾国旗 ※評論家・鳥居民氏による【正論】の論説記事を紹介します。内容は、台湾政府駐日代表、許世楷さんの夫人、盧千恵さんの著書『私のなかのよき日本』の紹介。

 台湾は、皆さんもご存知、大東亜戦争における日本の敗戦とともに日本ではなくなった国です。かつて司馬遼太郎氏は「台湾に生まれた悲哀」という言葉で表現しましたが、現在の台湾は、中国から「一つの中国」という圧力を受け、世界で未だ「国家」として認められず、国連にも加盟できずにいます。
 日本はサンフランシスコ講和条約で、台湾への統治権を放棄しました。しかし、中国への「返還」も「割譲」もされておりません。現在の中国の成り立ちについて、戦前の中国自体が一つの国家として体を成していなかったことや、講和条約の不備にも問題があったと思われます。
 戦後台湾に独立する気運はあったが実行できず、中途半端な状態で今に至っていることは、台湾を放棄せざるを得なかった日本にとっても後ろめたい気がします。


 昨年の秋、筆者は東京外語大の学園祭に、台湾人留学生の屋台を訪ねました。夕暮れ時に差しかかった頃でしたので、客足がまばらであったことをいいことに、初対面の彼ら彼女らと親しく会話を楽しむことができました。
 その時に写真を10数枚撮らせていただき、後日プレゼントすることを約束し、学園祭の最終日に再訪したところ、またまた夕方になってしまい屋台は片付けられた後で無人。残念ながら再会はできず、学園祭の実行委員に写真を預けて帰りました。
 彼らの名も訊かず、筆者も名乗っておらず、写真はきっと届けられたと信じますが、ブログに掲載する許しを頂いておりません。残念ながら、お蔵入りです。
 もしや心当たりの留学生の方がいらっしゃいましたら、コメント欄の下にある「管理者にだけ表示を許可する」にチェックを入れて、ご連絡頂けると有難いです。(こちらから問い合わせすると断りにくいでしょうし・・)
 話がそれました。ごめんなさい。では、以下引用です。


□【正論】評論家・鳥居民 ある台湾女性の半生が語る日台の心
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070429/srn070429000.htm

 ■「自由と繁栄の弧」の一員となる

 ≪台湾の民主化と独立を≫

 1冊の本を紹介したい。台湾政府駐日代表、許世楷さんの夫人、盧千恵さんが書いた『私のなかのよき日本』(草思社)である。

 私は盧千恵さんと長い交友がある。昨年夏に会ったときに半生の思い出、そして台湾と日本とのあいだの運命的な繋(つな)がりを書いてみたらと勧めた。

 それから2度、3度、彼女から進捗(しんちょく)の状況を聞いていたのだが、校正が終わったと電話があったのが3月はじめだった。

 ところで、この3月は不快な月だった。本欄の読者も同じ思いだったにちがいない。

 アメリカの大新聞の論説委員たちが安倍晋三首相の主張に噛(か)みついた。安倍氏は歴史問題の虚構を是正しようとしただけであったにもかかわらず、それらのアメリカ人は尊大な態度で、日本人はいまだに悔い改めていないと言わんばかりの言いぐさを並べ立てた。

 政府が我慢し、反論しなかったのは、日米両国が争えば、仕掛けた罠(わな)に落ちたと北京政府がほくそ笑むだけと承知していたからであろう。

 盧千恵さんの本がわが家に届いたのは、うっとうしいかぎりと思っていたその3月の末だった。だが、その本をひろげたとき、胸のなかの不快さは瞬時に消え失せた。

 半世紀昔のことになる。1956年に台湾・台中の高校を卒業して間もない19歳のきれいなやせた娘が国際基督教大学に入学した。卒業して、彼女は早稲田大学大学院に留学していた同じ台中生まれの青年、許世楷さんと結婚した。夫とともに台湾の民主化と独立のための運動に参加したがために、国民政府の旅券を失った。2人の子を育て、専門の児童文学の研究をしながら、台湾の専制政治が倒れるまで、34年のあいだ故国に帰ることなく、台湾の民主化のためにさまざまな活動をした。

 ≪自由を尊ぶ日本人の姿≫

 彼女は花好きだ。庭の花の手入れを老後の日課にしていた祖父を見習ってのことであろう。現在は「いけばなインターナショナル」に参加し、毎月の例会に出席している。その昔、子供を寝かしつけたあとに夫と話し合ったのは、故郷の花の芳香と色彩の思い出であり、栴檀(せんだん)の紫色の花のことだった。帰国した夫妻は奉仕活動をおこない、台湾東部の山のなかにある原住民のための学校でしばらくのあいだ教えた。宿舎の前の小道に咲き誇る山百合の花の美しさを彼女は忘れることができない。同じようにはっきり覚えているのは、留学したばかりのときに大学宿舎の洗面所の鏡の前のよく磨かれたグラスに挿されていた小さな花だ。

 ところで、この本の読者がなによりもうれしく思うのは自由を尊ぶ日本人の思い出を記してある個所であろう。そのとき全盛を極めていた台湾の独裁政権が日本政府に申し入れをして、盧千恵さんの夫を強制送還させようと図った。許世楷さんの大学の恩師をはじめ、何人もの日本人がそんなでたらめなことをさせてなるものかと奔走した。

 彼の同志たちも、彼らが世話になっていた大学教授たちが政府各機関を回って、台湾の牢屋(ろうや)に彼らを入れさせないために、努力をしてくれたのである。

 このような極限の状況のなかで日本人の真心を知った台湾人は多くないだろう。

 ≪価値観を共有する隣国≫

 台湾と日本との関係は間口は広く、奥行きも深いのだから、台湾人の日本人像はそれぞれ違うのだろうとだれもが思うだろう。盧千恵さんのこの本が台湾のある経済雑誌の昨年おこなったアンケートを再録しているのを読んだとき、その回答を得る。

 「旅行したい国」の1位が日本、「移住したい国」の1位が日本、それだけでもうれしい。ところで、「尊敬する国」の1位が日本(47・5%)、2位がアメリカ(40・3%)なのだ。

 男女を含めて20歳以上の1000人の台湾人のアンケートの回答結果である。そして、この本を読み終えたとき、そのアンケート結果は正しいのだとだれもが得心する。

 読後に私が思い浮かべたのは「『自由と繁栄の弧』をつくる」という麻生太郎外務大臣の主張である。麻生氏は次のように説明する。「自由と繁栄の弧」は民主主義と人権と法の支配がある自由の価値を大切にする国々によって構成される。麻生氏は地理上の定義はしていないが、この本を読んだすべての人は、台湾こそ「自由と繁栄の弧」の一員だと確信しよう。絶対多数の台湾人が切望しているのも、晴れて「自由と繁栄の弧」の一員となることなのである。(とりい たみ)

(2007/04/29 05:06) 



□台湾週報での同著紹介記事
http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/07/070417a.htm

   新刊紹介:『私のなかのよき日本』~台湾駐日代表夫人の回想五十年

 「一九五五年、十八歳の私は国際基督教大学(ICU)に留学するために、はじめて日本にやってまいりました」とのまえがきで始まるこの本は、日本における台湾の外交窓口機関である台北駐日経済文化代表処(大使館に相当)の許世楷(コー・セーカイ)駐日代表の夫人、盧千恵(ロー・チェンフイ)さんの筆によるものだ。

 まえがきは、「それから三十数年、台湾の独立と民主化運動にかかわったことから国民党政府のブラックリストに載せられ、台湾に帰ることができませんでした」と続く。なんと、かつて「ブラックリスト」に載せられた夫婦が、いま駐日代表と代表夫人を務めている。盧千恵さんはどんな女性で、台湾とはいったいどんな国なのか。

 ICUの四期生として日本に留学し、卒業後に助手として大学に残った盧千恵さんは、早稲田大学に留学してきた許世楷青年と知り合う。台湾を思う心に共鳴した二人は、台湾の民主化を求め、台湾独立運動と係わるようになった。その活動によって1962年に当時の中華民国大使館からパスポートを没収され、台湾に帰れなくなってしまった。

 当時の台湾は戒厳令の真っ只中、苦難の時代を台湾のために許世楷・盧千恵夫妻が正義と信念を貫き通せたのは、日本で影から支えてくれた厚い友情があったからだった。その間にも盧千恵さんは政治受難者の救援活動や渡米して「独立運動の声」アナウンサー、「台湾公論報」の記者などを務めた。

 1972年に許世楷氏が日本で書いた「台湾共和国憲法草案」が、戒厳令が解かれて間もない台湾で鄭南榕氏が主宰する「自由時代」という雑誌に掲載され、それが引き金となって「叛乱罪」に問われた鄭南榕氏は100%の言論の自由を求め、壮絶な焼身自殺遂げる。この事件がきっかけとなり、世論が高まり、1992年に刑法100条(内乱罪)が改正され、言論の自由が確保され、ブラックリストが解除され、許世楷・盧千恵夫妻は30数年ぶりの帰国を果たす。

 台湾に帰国後、盧千恵さんは玉山神学院、台湾文化学院などで児童文学を教えていた。ところが、2004年、突然「大使」夫人となって再び来日することに……。台湾は時代も政権も変わり、民主的な国となり、新憲法制定は政府の目標となっていた。

 いま盧千恵さんは駐日代表夫人として、「東京フォルモサ婦人会」の会長を務め、代表処の女性職員と館員夫人らをまとめ、台日交流に励んでいる。

 本書第一章では、台湾人から見た日本の魅力と、日本人に見てほしい台湾の魅力が非常に簡潔かつ豊富にまとめられていて、そこには台日両国への親しみが湧いてくる。盧千恵さんの女性らしい優しい語り口調から聞く、台湾と日本の交流は、こんなに温かいものなのかと感じられることだろう。

 そして、本書の最後を盧千恵さんはこう締めくくる、「たとえ嵐が吹き荒れていても、海の深いところでは、水は変わらぬ速さで流れていると言います。表立った政治的な波とかかわりなく、深い海のなかの水のように、台湾と日本の親しい関係を、途絶えることなく繋げていくことができればと、自らのなかに日本的なるものを発見した私は切に願っております」と。

『私のなかのよき日本』~台湾駐日代表夫人の回想五十年
著者:盧千恵…ロー・チェンフイ
出版社:草思社 
定価:1600円+税
2007年4月16日 初版発行

                                   《2007年4月17日》








 


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【2007/04/29 09:00】 | 【台湾】 | トラックバック(0) | コメント(0)
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日本の近現代史の中から、主に感動エピソードを拾い集めてみたい。ゆっくりゆっくりですが。個人的には備忘録(メモ)のつもりです。

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