スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告
三島由紀夫 檄文
※ 筆者が三島由紀夫を語るなんてことはあまりに無謀なことです。あの壮絶な最期。その時中学生だった筆者が受けた印象その記憶が、狂気の事件という、まったく恥ずかしい限りで。学校の先生からは「三島は老いを恐れていた」「若く美しいうちに死にたかっただけ」などと精神的な欠陥を強調、「自殺はいかん」と説教された。

 あの時、テレビ・ニュースでも演説の詳細は分からなかった。筆者は、あの頃花盛りだった暴力的な学生運動が大嫌いで、恐らく同じような印象(嫌悪感)を受けたのかもしれません。

 あの檄文や演説の内容を、その後もずっと知らずに過ごしてしまったことを非常に悔しく思っているのですが、マスメディアが報道したかどうかの覚えがない。報道していたとしたら、あれだけの事件なのだから記憶が残ると思うのですが。

 ということで、あの演説・檄文を掲載するのに躊躇していたわけですが、目の覚めるような西村眞吾代議士の論文に背中を押されました。 


西村眞吾衆議院議員 










憂国忌と翌十一月二十六日の白襷隊
(眞吾の時事放談:平成19年11月26日)
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi

 昨日の十一月二十五日は、「憂国忌」である。

 即ち、三十七年前の十一月二十五日、三島由紀夫と森田必勝は、市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に討ち入り割腹自殺を遂げた。

 私はその時、学生であった。京都市左京区の大文字山の麓、浄土寺馬場町の学生寮に住んでいた。朝と晩の食餌付きで月四千五百円の寮であった。

 何の用があったのか忘れた。多分いつものように目的もなくぶらりと銀閣寺か大学の方にいっていたのであろう。その帰り、垣根の横を通って、寮の門に近づくと、中から仲間の寮生が飛び出してきた。そして、門の前でぶつかりそうになった僕に、「三島さんが自衛隊に討ち入って今立て籠もっている」と言った。

 その一瞬の彼の顔に、晩秋の光が当たり木々の葉や梢の影が刻まれていた。その彼の顔に射す光の形は今も甦ってくる。そして、その顔の光と影を見ながら、僕は、「三島さんは死ぬんだ」と思った。

 翌朝の毎日新聞朝刊に、作家の司馬遼太郎氏の「三島事件」に関する論説が掲載された。

 司馬遼太郎氏は、先ず、吉田松陰を語ってから、彼のようなタイプは民族の歴史の中でただ独り出ればいいのだと切り出し、何故なら二人も出してしまうと、民族の精神病理の問題になると述べたのである。

 そして、「かの名作、まことに名作」という表現で、三島の作品である「午後の曳航」を紹介して三島の自決への軌跡を辿り、最後に、それにしても、この我が民族の歴史の中で二度と現れないかもしれない作家を、精神と肉体のアクロバットの果てに失った悲しみを如何にすればいいのか、と締めくくった(以上,原文を探さず記憶にもとづく)。

 この論評を読んで僕は、衝撃的な三島の自決の報の直後に、というよりは、三島の首のない胴体と生首が総監部から運び出される映像を眺めながら、これだけの深く静かな論評を書き上げた司馬遼太郎氏の力量に舌を巻いた。そして、この記事は私にとって司馬遼太郎氏の一番印象深い一文になった。

 昨日は、この三島由紀夫と森田必勝の自決から三十七年が経った日であった。私は、大分県護国神社で行われた「大分憂国忌」に出席して記念講演をする機会を与えられた。

 実に立派な大分護国神社境内の憂国忌会場に入ると、神殿の横には、三島と森田の両烈士の垂れ幕の横に、神風特別攻撃隊各烈士の慰霊の幕が掲げられていた。

 その幕を見たとき、私は三十七年前の両烈士そして六十二年前の神風特別攻撃隊各烈士とともに、日露戦争時、百三年前の明日二十六日の、旅順要塞攻防戦における三千の白襷隊の各烈士のことをどうしても語りたくなった。

 思えば、大分は海側からの旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬武夫海軍中佐の故郷である。広瀬中佐の霊が旅順を語れと促したのかも知れない。
 
 明治三十七年十一月二十六日、旅順に対する第三回総攻撃が開始された。この時、乃木希典軍司令官指揮する第三軍のみならず,日本が生死の分かれ目に立っていた。旅順が陥落しなければ日本軍は、陸に海に総崩れになって崩壊し、我が国家はロシア軍に席巻され滅亡したであろう。
 しかし、旅順総攻撃に入った各師団は大損害を受けて撃退され攻撃成功の見込みはつかなかった。

 そこで、各師団の攻撃がことごとく失敗に終わったのを見とどけた乃木軍司令官は、二十六日夕刻、特別部隊による壮絶な攻撃を決意する。それは、中村覚歩兵第二旅団長の意見具申によるもので、中村少将が指揮して夜間に刀と銃剣で敵陣保塁に攻め込む奇襲である。夜間の目印のため全員が白い襷をかけた。

 乃木軍司令官は、三千の白襷隊にたいし、「国家の安危は我が攻囲軍の正否によって決せられんとす」との悲壮なる訓辞を述べ、整列する将兵の間を歩き、ただ「死んでくれ、死んでくれ」と言った。

 そして午後六時に行動を開始した白襷隊は、二十六日午後九時、敵陣に突入した。しかし、中村隊長が重傷を負って倒れ、ほとんどが死傷して隊として消滅したのである。

 大砲と機関砲で武装しコンクリートで固められた強固な永久保塁に対する三千名の刀と銃剣での夜襲である。後世、この白襷隊の攻撃をもって、まるで彼らが乃木に犬死にさせられたように語られる。司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」では、白襷隊が乃木の「無能」による兵の殺戮の例として挙げられている。

 しかし、私は、会場の特別攻撃隊各烈士の幕を見たとき、白襷隊の各烈士のことを語り、次のロシア軍側の文献を紹介したのである。それは、岡田幹彦著「乃木希典、高貴なる明治」(展転社)にある忘れがたいロシア側記録である。

「我等旅順籠城の守兵は、一兵一卒に至まで・・・血につぐに骨をもってし、骨につぐに直ちに魂をもって死守したるなり。しかも日本軍の堅忍なるや分を得れば寸、寸を取れば尺と・・・営々倦まざること即ちこれ日本軍の精気なりといわん。

 実にこの精気に強き分子たる日本軍が精気に弱き露軍を屈服せしめたるなり。

 余は敢えて屈服という。されど一九〇五年の一月一日の開城を指すに非ざるなり。その前年の暮れ、即ち十一月二十六日における白襷抜刀決死隊の勇敢なる動作こそ、まことに余輩をして精神的屈服を遂げしめる原因なれ。

 この日の戦闘の猛烈惨絶なりしことは・・・その適切なる修飾語を発見することを得ず。・・・しかもその天地の振動に乗じ、数千の白襷隊は潮の如く驀進して要塞内に侵入せり。

 総員こぞって密集隊・・・白襷を血染めにして抜刀の形姿、余らは顔色を変ぜざるを得ざりき。余らはこの瞬間、一種言うべからざる感に打たれぬ。曰く、屈服。」
 
 よく文献を集めたといわれる司馬遼太郎氏は、この記録を知らず、もしくは無視したようであるが、敵軍であるこのロシア側記録こそ、後世特に戦後になって、「坂の上の雲」などで「愚行」とされた中で戦死していった白襷隊将兵の霊に捧げるべき言葉では無かろうか。

「白襷隊三千の烈士よ、貴官らの勇敢な死は、旅順陥落をもたらし、祖国をして勝利せしめたり」

 と、そして

 「あなた方の尊い自己犠牲の上に、今に生きる我等は亡国の民ではなく、日本に生まれた喜びを心に持つことができるのです。ありがとうございます」と。

 国家の再興は、教育の再興にかかっているが、歴史の回復なくして教育の再興はない。そして、歴史の回復とは、勇戦奮闘した英霊に感謝の誠を捧げることからはじまる。

 全国、津々浦々の墓地には、ほぼ例外なく墓石の先が尖った兵隊さんの墓がある。私は、それらを見るとき、日本が近代に経験したものは「大祖国戦争」であったと思う。そして、時に

「ごくろうさんでございました。ありがとうございました」

 とつぶやき、何処何処で戦死、戦病死と刻んだ字をながめる。そして、これが私にとって、我が国の歴史を実感することにつながってくる。

 読者諸兄姉も、散歩の途中、通勤の途中、村や町の墓地に行き会うことがあると思う。

 その墓地の中に、兵隊さんの墓石があるはずだ。それを眺めて、欧米列強が繰り広げる弱肉強食の帝国主義の時代に、独立して近代化を成し遂げた我が国の祖父母の時代の苦難の歩みを少しでも実感しようではないか。

 自国の歴史は、他人のことのように観るべきではない。

 自国の歴史は、津々浦々の墓地からも実感することができる。




 三島由紀夫
 


三島由紀夫 演説文
(30分の予定がヘリコプターや野次で肉声はかき消され7分で断念。・・・は、聞き取り不能)
http://www.geocities.jp/kyoketu/61051.html

 私は、自衛隊に、このような状況で話すのは空しい。しかしながら私は、自衛隊というものを、この自衛隊を頼もしく思ったからだ。こういうことを考えたんだ。しかし日本は、経済的繁栄にうつつを抜かして、ついには精神的にカラッポに陥って、政治はただ謀略・欺傲心だけ………。これは日本でだ。ただ一つ、日本の魂を持っているのは、自衛隊であるべきだ。われわれは、自衛隊に対して、日本人の………。しかるにだ、我々は自衛隊というものに心から………。

 静聴せよ、静聴。静聴せい。

 自衛隊が日本の………の裏に、日本の大本を正していいことはないぞ。

 以上をわれわれが感じたからだ。それは日本の根本が歪んでいるんだ。それを誰も気がつかないんだ。日本の根源の歪みを気がつかない、それでだ、その日本の歪みを正すのが自衞隊、それが………。

 静聴せい。静聴せい。

 それだけに、我々は自衛隊を支援したんだ。

 静聴せいと言ったら分からんのか。静聴せい。

 それでだ、去年の十月の二十一日だ。何が起こったか。去年の十月二十一日に何が起こったか。去年の十月二十一日にはだ、新宿で、反戦デーのデモが行われて、これが完全に警察力で制圧されたんだ。俺はあれを見た日に、これはいかんぞ、これは憲法が改正されないと感じたんだ。

 なぜか。その日をなぜか。それはだ、自民党というものはだ、自民党というものはだ、警察権力をもっていかなるデモも鎮圧できるという自信をもったからだ。

 治安出動はいらなくなったんだ。治安出動はいらなくなったんだ。治安出動がいらなくなったのが、すでに憲法改正が不可能になったのだ。分かるか、この理屈が………。

 諸君は、去年の一〇・二一からあとだ、もはや憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。自衛隊が二十年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会はないんだ。もうそれは政治的プログラムからはずされたんだ。ついにはずされたんだ、それは。どうしてそれに気がついてくれなかったんだ。

 去年の一〇・二一から一年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。もうこれで憲法改正のチャンスはない!自衛隊が国軍になる日はない!建軍の本義はない!それを私は最もなげいていたんだ。自衛隊にとって建軍の本義とはなんだ。日本を守ること。日本を守るとはなんだ。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである。

 おまえら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。

 それがだ、いま日本人がだ、ここでもってたちあがらなければ、自衛隊がたちあがらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだねえ、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。諸君と日本の………アメリカからしかこないんだ。

 シビリアン・コントロール………シビリアン・コントロールに毒されてんだ。シビリアン・コントロールというのはだな、新憲法下でこらえるのが、シビリアン・コントロールじゃないぞ。

 ………そこでだ、俺は四年待ったんだよ。俺は四年待ったんだ。自衛隊が立ちあがる日を。………そうした自衛隊の………最後の三十分に、最後の三十分に………待ってるんだよ。

 諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。どうして自分の否定する憲法のため、自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。これがある限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。

 諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。自衛隊は違憲なんだ。きさまたちも違憲だ。憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ!俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりにまどわされて、本当に日本のためにたちあがるときはないんだ。

 そのために、われわれの総監を傷つけたのはどういうわけだ<野次

 抵抗したからだ。憲法のために、日本を骨なしにした憲法に従ってきた、という、ことを知らないのか。諸君の中に、一人でも俺といっしょに立つ奴はいないのか。

 一人もいないんだな。よし!武というものはだ、刀というものはなんだ。自分の使命………。

 それでも武士かぁ!それでも武士かぁ!<野次

 まだ諸君は憲法改正のために立ちあがらないと、見極めがついた。これで、俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ。それではここで、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。

 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!


□ 檄 文
http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html

 われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。

 かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。

 ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑いもない。われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

 われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。 

 われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。

 もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。

 われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあった。

 憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。

 日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲った大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。

 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。総理訪米前の大詰ともいうべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終った。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。

 その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。

 治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。

 名を捨てて、実をとる! 政治家たちにとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。

 銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。

 創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。

 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。

 男であれば、男の衿がどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。

 しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。

 われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こうとするのか。

 繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジジェネラル一人、自衛隊からは出なかった。

 沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。

 われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。





スポンサーサイト

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2007/11/30 20:52】 | 【演説・講演・論文・コラム】 | トラックバック(0) | コメント(5)
渡辺はま子さんを偲んで
渡辺はま子~モンテンルパの夜はふけて ※ 渡辺はま子さんのエピソードには感涙させられましたね。ご命日(12/31)が近づいてまいりましたので、はま子さんを偲ぶ歌を・・・と探してみるとありました。

 日本精神在りし日の楽曲の数々です。美しい歌詞にメロディー、そして、はま子さんの誠実な歌唱が素直にしみ込んでくるようです。






 □あゝモンテンルパの夜は更けて
 

 □蘇州夜曲
 

 □夜来香
 

 □桑港のチャイナ街
 

 □長崎のお蝶さん
 

 □雨のオランダ坂
 

 □支那の夜
 

 □広東ブルース
 

 □いとしあの星(1コーラスのみ)
 

 □愛国の花
 



 
 

 
【2007/11/29 07:40】 | 【昭和の歌・軍歌・童謡・唱歌】 | トラックバック(0) | コメント(2)
日本海軍工藤少尉率いる駆逐艦「雷」の感動秘話
※ 日本軍の規律正しさは日清・日露の頃から高く評価を受けていました。日清・日露では日本が勝利しましたから、美談も数多く残っています。その賞賛は他国の追随を許さないものでした。

 しかし、日本の敗戦に終わった大東亜戦争での真相や美談の多くは埋もれたままにあります。敗戦したことで戦勝国に都合の良い歴史に塗り替えられたためです。戦後60余年、そのほころびはようやく解けはじめ、大東亜戦争の真の姿が語られつつあります。

 戦争は両者それぞれに大儀があります。しかし、この世界の倫理統一はいまだ成されておりません。民族が違えばたどった歴史も文化も違い、おのずと価値観には隔たりが生じます。その上言葉も違えば意思の疎通はあまりに障害だらけです。

 持てる国がさらに持とうとする、或いは匪賊盗賊当たり前の大国に対して、無力な小国は呑み込まれるか、その存亡をかけて戦うしかないのです。それぞれの大儀の意味合いもいろいろです。

 戦争という悲劇を無くすにはどうすれば良いのでしょう。価値観や持てるものの違いからくる様々なひずみをどうすれば解消できるのでしょう。果たして人類は平和への道を歩んでいるのか。

 下の動画は1942年3月、スラバヤ沖海戦のあと武士道を発揮し英兵422名を救出した、日本海軍工藤少尉率いる駆逐艦「雷(いかずち)」の感動秘話です。もしこれを見ても感動しない人間がいるようなら、戦争はなくならない。と思います。




 □日本の武士道1
 
 
 □日本の武士道2
 

 □日本の武士道3
 



※ 再現ドラマはほんの上澄みでしかありません。この救助劇の全貌はぜひ『敵兵を救助せよ!』をお読み下さいますよう。フォール卿の回想部分を多少抜粋引用しておきます。 

私は、当初、日本人というのは。野蛮で非人情、あたかもアッチラ部族かジンギスハンのようだと思っていました。『雷』を発見した時、機銃掃射を受けていよいよ最期を迎えるかとさえ思っていました。ところが、『雷』の砲は一切自分たちに向けられず、救助艇が降ろされ、救助活動に入ったのです。

 駆逐艦の甲板上では大騒ぎが起こっていました。水兵たちは舷側から縄梯子を次々と降ろし、微笑を浮かべ、白い防暑服とカーキ色の服を着けた小柄で褐色に日焼けした乗組員がわれわれを温かく見つめてくれていたのです。

 艦に近づき、われわれは縄梯子を伝ってどうにか甲板に上がることができました。われわれは油や汚物にまみれていましたが、水兵たちはわれわれを取り囲み、嫌がりもせずに元気づけるように物珍しげに見守っていました。

 それから木綿のウエス(ボロ布)と、アルコールをもってきてわれわれの身体についた油を拭き取ってくれました。しっかりと、しかも優しく。それは全く思いもよらなかったことだったのです。友情あふれる歓迎でした。

 私は緑色のシャツ、カーキ色の半ズボンと、運動靴を支給されました。これが終わって、甲板中央の広い処に案内され、丁重に籐椅子を差し出され、熱いミルク、ビール、ビスケットの接待を受けました。私は、まさに『奇跡』が起こったと思い、これは夢ではないかと、自分の手を何度もつねったのです。

 間もなく、われわれ士官は、前甲板に集合を命じられた。また何をされるか、不安になりました。

 すると、キャプテン・シュンサク・クドウが、艦橋から降りて来てわれわれに、端正な挙手の敬礼をしました。われわれも遅ればせながら答礼をしました。

 You had fought bravely.
Now you are the guests of the Imperial Japanese Navy.
I respect the English Navy, but your government is foolish to make war on Japan.

「諸官は勇敢に戦われた。今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである。私は英国海軍を尊敬している。ところが、今回、貴国政府が日本に戦争を仕掛けたことは愚かなことである」
 

 艦長はその他にも話されましたが、このことだけは今もはっきり覚えております。

 『雷』はその後も終日、海上に浮遊する生存者を探し続け、たとえ遥か遠方に一人の生存者がいても、必ず艦を近づけ、停止し、乗組員総出で救助してくれました。

 日本の武士道とは、勝者は驕ることなく敗者を労り、その健闘を称えることだと思います。






 


テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2007/11/23 04:48】 | 【大東亜戦争】 | トラックバック(0) | コメント(3)
怨みは怨みによってではなく 慈悲で癒される
スリランカ民主社会主義共和国国旗 ※ 昭和26(1951)年9月8日、サンフランシスコ平和会議の最終日、セイロン(現スリランカ)代表・JRジャヤワルデネ初代大統領(当時蔵相)の演説です。
 これは原文(シンハラ語)の英訳をスリランカ大使館が和訳したものです。当時の会議での紛糾の様子やアジア諸国の感情が生々しく伺えます。演説を聴いた参加諸国の代表は大いに湧き立ち、吉田元首相は感涙したそうです。筆者も痺れました。




サンフランシスコ平和会議でのJRジャヤワルデネ代表演説
http://www.d7.dion.ne.jp/~tomoca/nettaigo/address_jr_ja.htm

 賛同を勧誘されている平和条約草案について、セイロン国政府の見解を、この51か国の集会前に提出する機会を与えられましたことを、私は大いなる特典と考えます。

 私の声明は我国が本条約を受け入れる諸理由から成り立っていますが、本条約に対して向けられたいくらかの批判を反ばくする企てもあります。もっとも私は、私の国の政府を代表してのみ話すことが出来るわけですが、然し日本の将来に対して一般的態度の中でのアジアの諸国民の感情を、私は表明出来ると主張します。

 私は現在、会議で考慮中の条約の最終草案の公式化にまで持って行った出来事について、語る必要はありません。アメリカ代表ダレス氏とイギリス代表ケンネス・ヤンガー氏は、1945年8月の日本の降伏文書協定から始めて、それ等の出来事を詳細に且つ丁寧に我々に示されました。然しながら、次の事柄は述べて置いてもよいと思います。

 即ち、本条約の草案を採用すべきであるという手続きに関しては、四大強国の間で探刻な意見の衝突があったことを述べて置いてもよいと思うのです。

 ソ連は、四大強国だけが、即ちアメリカ、イギリス、中国及びソ連の外相会議だけが、それを引き受けるべきであると主張し、そして若し条約草案作成のために他の国々が加入するのであれば、拒否権を保留されなければならないと主張しました。

 イギリスは、自治領は相談を受けるべきであると主張し、アメリカはこれに賛同しました。
両国は又、対日戦争に参戦したすべての国々と相談することを支持しました。

 これ等の諸国の間では又、違った考慮から、条約の実際の条件に関する意見の相違がありました。ある国は新しい軍国主義的日本の台頭を恐れ、他の国は日本の侵略によって生じた災害と恐怖を忘れ兼ねて、意見がわかれました。

 敢えて意見として述べますが、完全に独立した日本のための主張がはじめて提出され、考慮されたのは、1950年1月に開催された連邦外相のコロンポ会議に於いてでありました。このコロンボ会議は、日本を孤立させたケースとして考えるのではなく、南アジア及び東南アジアとして知られている地域の一員として考えられました。世界の富と人口の大部分を含み、最近になって漸く自由を回復した国々からなる南アジアと東南アジア、それ等の国々の諸国民は数世紀なおざりにされた結果、今尚苦しんでいます。

 この会議から二つのアイディアが浮かびあがりました。一つは独立国日本のそれであり、他方は南アジア、東南アジア諸国民の経済的、社会的開発の必然性で、それを確保するためにコロンボ計画として現在知られている計画が着手されました。

 ケンネス・ヤンガー氏は、コロンボ会議の後に連邦諸国長官の運用委員会が条約草案の仕事にかかった経過を説明され、そしてその後にアメリカ代表ダレス氏と相談されたことを説明されました。

 今我々の前にある条約は、これ等の協議と折衝の成果であります。

 私の政府の見解の或る部分がそこに主張されていますが、私の政府の見解でないものも主張されています。私は現時点に於いて、日本と進んで和平を討議したいとする諸国の間で達成出来る同意の最大の共通な尺度を告げていると、私は主張します。

 日本に対する態度に於いて、セイロン、インド、そしてパキスタン等のアジア諸国は、日本は自由でなければならないという最大の考えによって動きました。本条約はその考えを完全に具現していると私は主張します。

 日本の自由という事柄について付帯的な他の問題があります。即ち自由は本州、北海道、九州、四国の主要の島々に限定されるべきであるか、或いは近隣のいくつかの小さい島々にまで広げるべきであるか。若しそうすべきでないのなら、これ等の島々は如何にすべきか。台湾は1943年のカイロ宣言に従って中国に返還されるべきか。若しそうすべきであるのなら、中国のどちらの政府へ? 中国は平和条約会議へ招くべきか。若しそうであるのなら、どちらの政府を? 賠償は日本から強要すべきか。若しそうなら金額は。日本が自国の防衛を組織するまでは、どの様にして自らを防衛するのか。

 日本の自由という中心問題について、我々は究極には同意することが出来ました。そして条約はその同意を具現しています。他の問題については際立った意見の相違がありましたが条約は大多数の見解を具現しました。若しこれ等の諸問題の或るものが違った方法で解かれていたら、私の政府はその方を好んだでありましょう。然し大多数が我国に同意しないという事実は、自由と独立した日本の中心概念を含む本条約に、我国が調印するのを控える理由にはなりません.

 最初に私が言及しました関連のある事柄は、日本が自由になれば解決不可能ではありませんが、日本が自由にならなければ解決不可能であると我国は思います。

 自由の日本は、例えば国連組織を通じてこれ等の問題を世界の他の自由諸国と討議することが出来、早目に満足すべさ決議に到達出来ましょう。本条約に署名することにより、我々は日本をしてそうすることが出来るようにさせます。即ち日本が中国を承認すると決定するならば、中国政府と友好条約を結ぷことが出来るようにと、そして日本をして印度と平和友好条約を結ぶことが出来るようにさせると私が述べるのは、大変嬉しいことであります。若し我々が本条約に調印しなければこれ等起こり得ることは、何れも起こり得ないでありましょう。

 何故アジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。それは我々の日本との永年に亘るかかわり合いの故であり、又アジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬の故であり、日本がアジア緒国民の中でただ一人強く自由であった時、我々は日本を保護者として又友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあります。

 私は、この前の戦争の最中に起きたことですが、アジアの為の共存共栄のスローガンが今問題となっている諸国民にアピールし、ビルマ、インド、インドネシアの指導者の或人達がそうすることによって自分達が愛している国が開放されるという希望から日本の仲間入りをした、という出来事が思い出されます.

 セイロンに於ける我々は、幸い侵略を受けませんでしたが、空襲により引き起された損害、東南アジア司令部に属する大軍の駐屯による損害、並びに我国が連合国こ供出する自然ゴムの唯一の生産国であった時に於ける、我国の主要産物のひとつであるゴムの枯渇的樹液採取によって生じた損害は、損害賠償を要求する資格を我国に与えるものであります。

 我国はそうしようとは思いません。何故なら我々は大師の言葉を信じていますから。

 大師のメッセージ、「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」はアジアの数え切れないほどの人々の生涯(生活)を高尚にしました。仏陀、大師、仏教の元祖のメッセージこそが、人道の波を南アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、シャム、インドネシアそれからセイロンに伝え、そして又北方へはヒマラヤを通ってチベットへ、支那へそして最後には日本へ伝えました。

 これが我々を数百年もの間、共通の文化と伝統でお互いに結びつけたのであります。この共通文化は未だに在続しています。それを私は先週、この会議に出席する途中日本を訪問した際に見付けました。又日本の指導者達から、大臣の方々からも、市井の人々からも、寺院の僧侶からも、日本の普通の人々は今も尚、平和の大師の影の影響のもとにあり、それに従って行こうと願っているのを見いだしました。我々は日本人に機会を与えて上げねばなりません。

 そうであるから我々は、ソ連代表の云っている、日本の自由は制限されるべきであるという見解には賛同出来ないのです。

 ソ連代表が加えようと欲する制約、例えば日本が自由の国であれば当然そうする資格のある国防軍を維持する権利に加える制限といったもの、そして、彼が提議する他の制限は、現在ここの会場に居られる代表の大多数の方々にとって受け人れ難いものにするばかりでなく、この会議に出席されなかった国々の中の或国、特にこの条約のありありと心に描くところより更に進んだ所へ行きたい印度にとってさえも、受け入れることが出来ないものにします。

 若し再びソ連がカイロとポツダム宣言に反して、日本へ返還した琉球諸島と小笠原諸島を欲しがるのなら、それでは何故南樺太は、千鳥列島もまた日本へ返還されないのか?

 私は興味をもって、次の事に注目します。即ちソ連の修正案は、日本国民に基本的表現の自由、新聞及び宗教礼拝の出版の自由、政治上の見解の自由、及び公開の集会の自由を保証しようと要求しています。-----ソ連の国民自身でさえも所有し享有したいと心から執着したいであろう自由をです。

    (注---和訳資料はここまで。以降の数行は欠損)







 ※ 少し補足します。有名な一文、「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」は、英文からの和訳です。原文のシンハラ語と日本語は共通項が多々あり、直訳した方が日本人には馴染める表現になるのだそうな。言語は文化ですね。仏教という絆が思いのほか強いものであることを再確認させられました。直訳すると

   ワイラヤ   ワイライェン   ノワ    マイトリエン  サンシデー
   怨みは   怨みによって  ではなく   慈悲で    癒される


 なるほど日本的な表現になりました。この感じが解る民族でよかった~。ブッダの『ダンマパダ』からの言葉を引用したもの。

 因みに、鎌倉の高徳院にジャヤワルデ氏の顕彰碑が建立されており、そのレリーフには

      人はただ愛によってのみ
      憎しみを越えられる
      人は憎しみによっては
      憎しみを越えられない


 とあります。裏面の顕彰碑誌にはブッダ『ダンマパダ』の言葉

 実にこの世においては怨みに報いるに怨みを以てしたならば ついに怨みの恩むことがない
 怨みをすててこそ恩む これは永遠の真理である

 
 と共に、感謝の言葉が刻まれています。



テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2007/11/21 11:13】 | 【演説・講演・論文・コラム】 | トラックバック(0) | コメント(0)
地上波テレビを諦めることにします
 ※ マスメディアが自らを縛る放送禁止用語というのがありますが。中には何故に禁止するのか分からない言葉がありますね。卑猥な類でもなく、昔から日常会話で使ってきたような言葉です。こんな言葉まで制限するのは「言葉狩り」だとの物議があったりします。

 この放送禁止用語というのは、マスメディアの自主規制なんだそうですね。つまり法的なものではないんだそうな。先ほどその用語の一覧をまとめたサイトを閲覧していたのですが、何がどうして禁止するのか分かりかねる言葉のオンパレードでした。たとえば、(注:2003年時点のもの)

 アイヌ系・合いの子・めくら・足を洗う・アル中・アンマ・家柄・イカサマ・田舎・移民・インチキ・エスキモー・落ちこぼれ・溺れ死ぬ・表日本・親方・エチゼンクラゲ・・・・・

 エチゼンクラゲは2006年以降はOKになったようですが。何でしょうね。広義の差別用語ですか?あ行から一部を抜粋しただけなのですが、こーんなにたくさん禁止にしていたとは!そのわりに、「うるせー」だの「・・じゃねーか」だの、言葉遣いについてはアナウンサーでも放置されていますが!

 この言葉狩り、抗議が殺到して禁止に追い込まれた・・・というのが真相なのだと思われますが。いちいち目くじら立てて抗議をする「団体」が・・あるんでしょうね。(ずいぶんデリケートだこと)

 抗議といえば。「日本PTA全国協議会」が「8時だよ全員集合」や「スターどっきりマル秘報告」などを俗悪番組であるとして抗議していたことが記憶にありますが、あれはどうなりましたっけ?ドリフはその後も続けていたような・・・。視聴率が味方をしたような。

 番組の低俗化の主要因として「視聴率至上主義」が指摘されています。スポンサーを集めるためのものですが、低俗番組につくスポンサーというのも低俗スポンサーということになりますね!

 視聴率・・・。筆者は昔の映画や番組を見るのが好きなんですが、昔は視聴率調査なんてものはなかった。ググッてみると、最初の視聴率調査はNHKで昭和28(1953)年だそうですが、この頃はまだテレビ自体が普及していません。局も日テレとNHKだけ。

 その後、機械式調査が始まったのは、アメリカの視聴率調査会社ニールセンが昭和36(1961)年から。昭和52(1977)年から電話線を使ってのデータ通信で、前日のものがわかるようになったとあります。

 おそらく、番組プロデューサーが視聴率獲得に血眼になるのは、昭和52年前後あたりからでしょうか。と同時に番組のレベル劣化が加速した。なんだか痛々しい限りです。

 この番組の劣化。これはもう筆者には耐えられないレベルに達しているのですが、はてさて製作側にそのような認識はあるのでしょうか。認識はあってもどうしようもないとしたら。あー痛々しい。

 もうひとつ、社員はものすごい高所得だと聞きましたが。番組のレベルの低さと給料は反比例ですか!?これじゃーどうしようもないですね。普通は、商品が悪ければ売れません。テレビは逆ですかぁ・・・!?

 低俗番組を流す→民度が低くなる→レベルの低い番組がうける→視聴率アップ→スポンサーがつく→給料が上がる

 悪循環ですね。捏造だろうがヤラセだろうが扇動だろうが下品だろうが乱暴だろうが・・・インパクトがありさえすれば何でもOK?だーめだこりゃ。

 筆者はもう地上波テレビを諦めることにします。ハイ。

 
  

テーマ:雑記 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2007/11/20 19:46】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(0) | コメント(2)
謀略の国 北朝鮮と 謀略に包まれる国 日本
 ※ 先日フジTV系で放映された『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』を先ほど見ました。深夜の放送でしたので録画をしておいたのです。力が抜けて気が滅入ってしまいました。現在の福田政権ではどうにも希望が持てないからです。

 めぐみさんが拉致されて30年が経つ。政府が重い腰を上げてから20年、金正日が渋々拉致を認めてから5年が過ぎた。たった5名を返しただけで拉致事件は解決済みだと突っぱねる北朝鮮と、何が何でも国交を正常化させようと目論む福田総理。

 北朝鮮は「謀略の国」であると横田早紀江さんが言う。本来ならごく普通の主婦であったはずの早紀江さんに、こんなにも非日常的な言葉を20年以上も吐かせ続けて、日本は本当に気持ちの悪い国になってしまった。

 今、日本の政府は何をやっているのか。マスコミは何をやっているのか。敗戦以来日本はずーっと自国を解体、亡国への道をひた走ってきた。安部政権という又とない日本再建のチャンスを寄ってたかって潰し、また再び亡国へと仕切りなおしている。

 筆者は何度でも繰り返し言いたい。これらの謀略は日本が先の大戦に負けたことで、世界の無秩序が放任されてしまったゆえのことだ。このまま日本が蘇らなければ、拉致問題だのと日本のことだけではなく人類の滅亡までもが近くなる。これら悪循環の止めようがなくなる。

 日本の歴史の中には、自然との調和・共生を軸に、道徳・倫理・哲学・技術などを包括した武士道もしくは神道という究極の美意識の方法論が宝庫のように詰まっている。日本を失えば当然それらも失ってしまう。

 筆者は大げさなことを言っているのだろうか。そうは思えない。日本の歴史を学べば学ぶほどに、そういう思いが強くなってくるのです。もちろん日本が完璧の国であったとは思わない。完璧でなかったからこそ、追い詰められたとはいえあの大戦に突入し大敗したのだから。

 話を戻して、日本は近々にめぐみさんら100名を超すと思われる拉致被害者の方々を奪還することができるのか。今の政権ではとても希望が持てない。どうか、心ある政治家の皆様の決起をお願いしたい。同胞を他国に拉致されて奪還できないような国なら、もう日本という国はなくなったも同然なのだから。





平成14年10月20日 皇后陛下、67歳 誕生日のお言葉

 小泉総理の北朝鮮訪問により、一連の拉致事件に関し、初めて真相の一部が報道され、驚きと悲しみと共に無念さを覚えます。何故私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません。今回の帰国者と家族との再会の喜びを思うにつけ、今回帰ることのできなかった人々の家族の気持ちは察するにあまりあり、その一入(ひとしお)の淋しさを思います。

  


 

テーマ:雑記 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2007/11/19 18:04】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(0) | コメント(0)
和ませてくれてありがとう台湾の学生さん
 ※ 先月の10月14日、台湾の中央大学で或る歌謡祭が催された。題して『大熱唱!組曲「ニコニコ」』。同大学のアニメファン258名がアニメソング・メドレーのカラオケを作って大合唱しています。(笑)

 何だか憂鬱になるといつも日台友好の話題を求めてしまうのですが、今回見つけたこの映像はすごい!これだからますます台湾が好きになっちゃうんですねー。

 この映像がニコニコ動画に登場するや、アクセス急騰なんだそうな。筆者はニコニコ動画のユーザーではないのですが、YouTubeで偶然見つけて・・。早速ググッてみると、12月22日の次期歌謡祭には日本からも参加しようという動きがあったりして。(笑)

 これ、どこがすごいかって、日本人(アニメファン)でもこのメドレーを歌いこなせる人は少ないと思いますよ。聴いているだけで舌を噛みそうな超高速メロディーにびっくり。それを異国の人が日本語で!? ・・優秀な学生さんたちに脱帽です。

 ほんとにありがとう。感動しました。来月参加する日本人有志の皆さんも素晴らしい。土産動画を期待しています。(笑)



 □せっかくだから台湾人258人で一緒に組曲『ニコニコ動画』を歌ってみた!
 

□日本人が台湾人にお返しの組曲作ってみた
 



 ※ 早速のお返し動画にまたまたびっくり!こんなユニークな交流ができるのかと、インターネットという情報ツールがどれほど革命的なものなのかを再確認させられました。しかも誰が扇動したものでもなく、これは自然発生的な発想です。いやはや、久々の嬉しい驚きでした。

 
【2007/11/14 10:07】 | 【台湾】 | トラックバック(0) | コメント(0)
果たして人類は平和へと向かっているのか
 ※ 戦前と戦後10年余りの頃の映像です。空襲で破壊される前の映像を見ていて何とも残念な気持ちになりました。これがことごとく焼き尽くされてしまったのだなぁと。

 7~8年くらい前のこと、とある顧客の70代の女性(元教師)に「日本は戦争に負けて良かったのよ!」とヒステリックに諭されたことがありました。何かの話の流れで筆者が「日本が負けていなけりゃ・・」と呟いた時のことでした。

 もう長い顧客でしたので、会うたびに社会のことから政治のことまで会話の範囲は広がっていたのですが、戦争の話は始めてのことでした。立場上、どんな話題でも当然最後は筆者が「そうですね」と笑って終わるのですが、さすがにこの時だけはしょんぼりしてしまいました。

 自分の国が負けて良かったと断言するのはどうかと。いくら戦後教育で育った筆者でも、自国が負けて良かったなどと、これっぽっちも思ったことなんぞありません。正直、びっくりしてしまいました。仕方なく小さくうなづきはしましたが、笑えなくて困りました。

 たら・ればの話になりますが、今になってよく(もしもあの戦争に勝っていたらどうだったろうか)と考えます。

 もしも日本が勝っていたとしたら・・。朝鮮も台湾も日本の統治下にあります。気運を見て独立させたかも知れません。満州国はさらに発展を遂げて親日国であります。大東亜共栄圏が構築され、人種差別的な覇権の時代は終わりを遂げ、世界はそれぞれの文化を重んじながら文明を共有する。そしてひたすら平和な時代へと・・・。

 ってなことを夢想しては現実に引き戻されてがっくり。

 道理の無い国が勝ってしまったがゆえに、嘘がまかり通って世界がギクシャクしているんだ・・。日本が勝っていたら第二次世界大戦が最終戦争になっていたかも知れない・・・かも知れないと。

 あまりにも美しい夢想で笑われそうですが・・こうでもしていないと息が詰まりそうになるんですね。なんだこの現実は!・・・この世界、いまだに人類が平和へと向かっているようには思えない。

 





 □昭和10年~12年の東京 カラー映像
 

 □昭和30年代の風景(投稿者の家で見つかった8ミリフィルム)
 


【2007/11/13 03:58】 | 【映画・記録映像・動画】 | トラックバック(0) | コメント(4)
何のための連立話であったのか
西村眞吾衆議院議員 ※ 何のための連立話であったのか。小沢党首が辞意表明を撤回したことはどうでもよい。発端となった連立話という両党首の暴走を見過ごしてはいけない。

 一日も早く麻生氏に政権を渡してほしいと思う。福田首相にこそ投げ出してもらいたい。国家の運営を何だと思っているのか。国民は見殺しにされている。

 




□ 官邸、未だ決断せず - 眞吾の時事通信(平成19年11月5日)
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi

 10月30日の本時事通信における私の提言を前提にして、
以下述べたい。

 11月1日から翌二日未明にかけて、私は、総理大臣が自衛隊の最高指揮権を発動して、「インド洋上における給油活動を継続せよ」との命令を発するのを強く期待していた。
 給油活動に関する「特別措置法」の期限が切れるので、それに代わる「特別措置」の決断がいると考えたからである。それが、前回の時事通信で述べたように、総理大臣の最高指揮権の発動である。これこそ、シビリアンコントロールの発現である。
 
 この「特別措置」が必要と考えるほどに、インド洋における給油活動は、我が国の国益にとって必要なのだ。
 
 神戸の大地震の時に、自衛隊を救助に出動させる要件として知事の要請が法律上明記されていたが、現実には知事自身が被災して要請を出せる状況ではなかった。この時、知事の要請を求める法律に従って漫然と時間を空費することは許されず、総理の決断が必要であった。国民の命がかかっていたからである。
 この度の「特別措置」の決断も、この大地震の際以上に必要である。なるほど、国民の具体的な命がかかっているようには見えない。しかし、お国の将来がかかっている。そして、国家の将来の安泰は国民の将来を直接左右するからである。

 今からでも遅くはない。
 国家の将来に責任を負う内閣総理大臣が、自衛隊の最高指揮権に基づく給油継続命令を発出されることを要請する。

 ところで、ここ数日、総理大臣の思考を支配したのは、インド洋ではなく、党首会談であったようだ。
 会談から出てきた小沢さんが、党内に自民党と民主党の連立の提案をした。役員会で否決された。それで、4日午後党代表を辞めると発表した。
 ついこの間の秋の初めに、安倍前総理が辞めると発表したことを、前代未聞と評した人も、また辞める。
 
 安倍前総理は、インド洋での給油活動継続に内閣の命運をかけると宣言し、その為に党首会談を要請したのだが、小沢さんは、この要請を受けなかった。
 しかし、小沢さんが言った「政治家なら会うべきだろう」とは、福田総理よりも安倍前総理との会談に関して言うことである。何故なら、安倍総理は自らが国益上内閣の命運をかけてでも継続すべきだとするインド洋での給油活動継続のために会談を申し込んだからである。これこそ、国家の将来に責任を負う政治家の公の課題を掲げた会談申し込みではないか。
 これに対して、この度の福田・小沢会談は、誰が仕組んだのか、誰から言いはじめたのか、何を話すための会談なのか、未だ不透明である。
 ただ、会談から出てきた小沢さんの連立提案が党内で否定されたと聞いたときに、私は「また、投げ出すかも分からんなー」と周囲に言った。

 さて、この二回の党首会談で騒いでいるところでは、念頭にないであろうが、国民の運命に関する事態が動き始めている。
 北朝鮮による拉致被害者救出問題のことである。
 10月31日、アメリカのアービッシュ国務次官補代理が拉致議連幹部に会談を申し込んできたので、ドノバン主席公使を交えて公使公邸で会談した。
 アメリカ側の話を総合すると、アメリカは北朝鮮が核無力化に合意すれば、「テロ支援国家リスト」から北朝鮮を外す方向で動いている。これに関する日本側の意見を聞きたくて会見を申し込んできたようだ。
 もちろん、拉致議連幹部は、拉致被害者救出を無視して如何なる譲歩もあり得ないと強く主張した。そして、アメリカがテロ支援国家リストから北朝鮮を外せば、日本国民のアメリカに対する失望は計り知れないと伝えた。
 北朝鮮の核が無力化するんですよ、とアメリカ側が言ったときに、私は、アメリカは12年前のクリントン大統領の時代にも騙されたように、また北朝鮮に騙されているんだと言った。
 アメリカ側が、核が使われた時の惨害を考えてくださいと言ったときに、アメリカに言われなくとも2回も落とされた日本の方がよく分かっていると言った。
 議会人として、日本人の感情はフランクに伝えておくべきだと思ったからだ。
 
 しかしながら同時に感じたのは、この時、我が国はインド洋においてアメリカ艦船に対する給油活動を放棄している訳で、一方では相手への給油という貢献を中断しておきながら、他方では日本人救出へ共同歩調を求める立場の弱さである。
 アメリカが「テロ支援国家リスト」から北朝鮮を外せば、日米同盟に修復しがたい傷を与えますぞ、と言ったものの、では日本はインド洋で何故同盟国にふさわしい貢献をしてくれないのかと言われれば、窮することは確かであった。しかし、アメリカ側はそこに突っ込んでこなかった。その真摯な態度が印象に残る。
 翌日の11月1日、ヒル国務次官補とアービッシュ次官補代理が外務省を訪ね、北朝鮮問題の打ち合わせをしている。同時にアメリカは大使館においてインド洋での日本の給油活動が如何に大切であるかと与野党議員を相手に説明会をしている。
 日本の政情空白のなかで、アメリカは尽くすべきことは尽くすべく着々と動いている。

 ニューヨークの爆破も日本人拉致も、ともに「テロ」である。
その「テロとの戦い」はインド洋でも朝鮮半島でも行われるべきである。西はアメリカが主体、東は日本が主体である。
 我が国は、インド洋での給油の継続という日本の貢献を掲げながら、西の「拉致というテロとの戦い」においてアメリカの貢献を強く求める立場にあったのだが、現在むざむざとその立場を放棄しつつある。東西の課題を総合的に捉えることも出来ないでいる。
 拉致議連関部は、11月中旬、ワシントンに行ってアメリカ議会人と接触して「テロ支援国家」から北朝鮮を外してはならないと伝える予定である。
 しかし、我が国は、ワシントンに大使館を保有しているのだ。東京にあるアメリカ大使館が日本の議員を招いて日本の洋上補給活動が如何に必要であるかをアピールしたように、ワシントンにある日本大使館も、アメリカの議員を招いて、拉致被害者救出というテロとの戦いのためにテロ支援国家リストから北朝鮮を外してはならないと強く説得すべきである。その為の在外公館ではないか。
 
 日本人拉致被害者の北朝鮮からの救出問題は、党首会談をした二人の念頭にもなかったのであろう。また、インド洋での給油継続に内閣の命運をかけるとした安倍前総理のような課題の提起もなかった。
 では、「何のための」連立話であったのだろうか。
 ただ「連立が目的」であったのかも知れない。


テーマ:雑記 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2007/11/07 09:18】 | 【演説・講演・論文・コラム】 | トラックバック(0) | コメント(0)
凛とした日本人たれ
 ※ けじめを撤回した小沢さんのけじめの無さだけ覚えておこう。と、道草はここまでにして。

 最近、産経のサイトの形態が変わって以来、閲覧し難くなって記事を見落としがちなのですが。下に引用の記事も危うく見落とすところでした。

 敗戦直後のエピソードですが、2つ目の「焼き場の少年」の写真とカメラマンのコメントを以前どこかのブログで見たことがあり、その強烈な印象から保存しておりましたので、記事の最後に掲載します。ほかの2件は初めて知るエピソードでした。

 一面の焼け野原、壊滅的な敗戦からたちまち世界第二の経済大国となった日本を見て、諸外国は「奇跡」だと驚愕した。私たちのおじいちゃんやおばあちゃんが、その奇跡を起こしたのです。

 その先人たちは特別な人間ではありません。その頃の日本人としては、ごく平均的な普通の日本人たちだったのです。そのごく普通の日本人が持っていた大切なものを、現在の日本人が失ったのか忘れているだけなのか。



□ 【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(1)一片のパン「幼いマリコに」
http://sankei.jp.msn.com/life/education/071106/edc0711060344001-n1.htm

 81歳、進駐軍兵士だった元ハワイ州知事、ジョージ・アリヨシ氏から手紙(英文)が、記者の手元に届いたのは今年10月中旬だった。

 親殺し、子殺し、数々の不正や偽装が伝えられる中、元知事の訴えは、「義理、恩、おかげさま、国のために」に、日本人がもう一度思いをはせてほしいというものだった。終戦直後に出会った少年がみせた日本人の心が今も、アリヨシ氏の胸に刻まれているからだ。

 手紙によると、陸軍に入隊したばかりのアリヨシ氏は1945年秋、初めて東京の土を踏んだ。丸の内の旧郵船ビルを兵舎にしていた彼が最初に出会った日本人は、靴を磨いてくれた7歳の少年だった。言葉を交わすうち、少年が両親を失い、妹と2人で過酷な時代を生きていかねばならないことを知った。

 東京は焼け野原だった。その年は大凶作で、1000万人の日本人が餓死するといわれていた。少年は背筋を伸ばし、しっかりと受け答えしていたが、空腹の様子は隠しようもなかった。

 彼は兵舎に戻り、食事に出されたパンにバターとジャムを塗るとナプキンで包んだ。持ち出しは禁じられていた。だが、彼はすぐさま少年のところにとって返し、包みを渡した。少年は「ありがとうございます」と言い、包みを箱に入れた。

 彼は少年に、なぜ箱にしまったのか、おなかはすいていないのかと尋ねた。少年は「おなかはすいています」といい、「3歳のマリコが家で待っています。一緒に食べたいんです」といった。アリヨシ氏は手紙にこのときのことをつづった。「この7歳のおなかをすかせた少年が、3歳の妹のマリコとわずか一片のパンを分かち合おうとしたことに深く感動した」と。

 彼はこのあとも、ハワイ出身の仲間とともに少年を手助けした。しかし、日本には2カ月しかいなかった。再入隊せず、本国で法律を学ぶことを選んだからだ。そして、1974年、日系人として初めてハワイ州知事に就任した。

 のち、アリヨシ氏は日本に旅行するたび、この少年のその後の人生を心配した。メディアとともに消息を探したが、見つからなかった。

 「妹の名前がマリコであることは覚えていたが、靴磨きの少年の名前は知らなかった。私は彼に会いたかった」

 記者がハワイ在住のアリヨシ氏に手紙を書いたのは先月、大阪防衛協会が発行した機関紙「まもり」のコラムを見たからだ。筆者は少年と同年齢の蛯原康治同協会事務局長(70)。五百旗頭(いおきべ)真(まこと)防衛大学校長が4月の講演で、元知事と少年の交流を紹介した。それを聞いた蛯原氏は「毅然(きぜん)とした日本人の存在を知ってもらいたかったため」と語った。記者は経緯を確認したかった。

 アリヨシ氏の手紙は「荒廃した国家を経済大国に変えた日本を考えるたびに、あの少年の気概と心情を思いだす。それは『国のために』という日本国民の精神と犠牲を象徴するものだ」と記されていた。今を生きる日本人へのメッセージが最後にしたためられていた。

 「幾星霜が過ぎ、日本は変わった。今日の日本人は生きるための戦いをしなくてよい。ほとんどの人びとは、両親や祖父母が新しい日本を作るために払った努力と犠牲のことを知らない。すべてのことは容易に手に入る。そうした人たちは今こそ、7歳の靴磨きの少年の家族や国を思う気概と苦闘をもう一度考えるべきである。義理、責任、恩、おかげさまで、という言葉が思い浮かぶ」

 凛(りん)とした日本人たれ。父母が福岡県豊前市出身だった有吉氏の“祖国”への思いが凝縮されていた。


 ■厳しい時代に苦闘と気概の物語

 終戦直後、米海軍カメラマンのジョー・オダネル氏(今年8月、85歳で死去)の心を揺さぶったのも、靴磨きの少年と似た年回りの「焼き場の少年」であった。

 原爆が投下された長崎市の浦上川周辺の焼き場で、少年は亡くなった弟を背負い、直立不動で火葬の順番を待っている。素足が痛々しい。オダネル氏はその姿を1995年刊行の写真集「トランクの中の日本」(小学館発行)でこう回想している。

 「焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。(略)少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足下の燃えさかる火の上に乗せた。(略)私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。私はカメラのファインダーを通して涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った」

 この写真は、今も見た人の心をとらえて離さない。フジテレビ系列の「写真物語」が先月放映した「焼き場の少年」に対し、1週間で200件近くのメールが届いたことにもうかがえる。フジテレビによると、その内容はこうだった。

 「軽い気持ちでチャンネルを合わせたのですが、冒頭から心が締め付けられ号泣してしまいました」(30代主婦)、「精いっぱい生きるという一番大切なことを改めて教えてもらったような気がします」(20代男性)。

 1枚の写真からそれぞれがなにかを学び取っているようだ。

 オダネル氏は前記の写真集で、もう一つの日本人の物語を語っている。


 激しい雨の真夜中、事務所で当直についていたオダネル氏の前に、若い女性が入ってきた。「ほっそりとした体はびしょぬれで、黒髪もべったりと頭にはりついていた。おじぎを繰り返しながら、私たちになにかしきりに訴えていた。どうやら、どこかへ連れていこうとしているらしい」

 それは踏切事故で10人の海兵隊員が死亡した凄惨(せいさん)な現場を教えるための命がけともいえる行動だった。オダネル氏は「あの夜、私を事故現場まで連れていった日本女性はそのまま姿を消した。彼女の名前も住所も知らない。一言のお礼さえ伝えられなかった」と述べている。

 苦難にたじろがない、乏しさを分かつ、思いやり、無私、隣人愛…。

 こうして日本人は、敗戦に飢餓という未曾有の危機を乗り切ることができた。それは自らの努力と気概、そして米軍放出やララ(LARA、国際NGO)救援物資などのためだった。

 当時、米国民の中には、今日はランチを食べたことにして、その費用を日本への募金にする人が少なくなかった。日本がララ物資の援助に感謝して、誰一人物資を横流しすることがないという外国特派員の報道が、援助の機運をさらに盛り上げたのだった。

 こうした苦しい時代の物語を、親から子、子から孫へともう一度語り継ぐことが、今の社会に広がる病巣を少しでも食い止めることになる。(中静敬一郎)





 ※ こういう日本人が平均的であった、かつての日本が大東亜戦争を戦った理由を「侵略のため」だと言うのはもうやめて頂きたい。軍国主義だったと非難するのも的が外れている。戦争中だったのだから、軍事態勢を敷くのは当然。

 先の大戦で世界を相手に資源の無い日本が、3年8ヶ月も戦えたことも奇跡です。負けるのは当たり前です。ですが、戦わなければ日本は滅んでいたのです。あの物量差で3年8ヶ月です。立派じゃないですか、奇跡の国ですよ。普通の国なら数ヶ月もつかどうかでは?

 勝てば官軍、負ければ賊軍。ということで、日本がすべて悪かったことにされただけです。60年も過ぎたんだ。もういいじゃないか、目を覚ましても。

 今のような腑抜けた生活ができるのは、そんな先人たちのお陰だということ、ほとんどの人が意識していませんね。

 今日の日本人は生きるための戦いをしなくてよい。

 しかし、いつまで戦わなくていられるか。もう、先人の遺してくれたお弁当の底が見えているのではないでしょうか。


 
 焼き場に立つ少年
 カメラマン・ジョー・オダネル氏のコメント

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。
しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。
しかも足は裸足です。
少年は焼き場のふちまでくると硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。
男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。
少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。
背筋が凍るような光景でした。」



テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2007/11/07 07:14】 | 【資料庫】新聞・ニュースストック | トラックバック(0) | コメント(0)
昭和30年ニュース映画 《終戦十年》
 ※ 昨日からヒストリーチャンネルで【昭和という時代:露木茂のニュース映画で見る昭和】という特集番組が全8回で始まった。ニュース映画とは、映画全盛期(昭和30年~50年代)に映画館で作品の合間に流された短編映画ニュースのこと。筆者にも見覚えがあります。

 昨夜放送の第1回の中で「終戦10年」というタイトルそのままに、戦後10年を振り返る内容のものが流されました。見ていてぜひご紹介したくなり、早速ナレーション部分をテキスト化いたしました。

 聞き取れなかった部分は「○○」で記しました。()内は筆者の説明。映像にかぶせたナレーションですので、映像の変化を想像しながらお読み下さいね。(段落を変えています)





 《終戦十年》

 終戦10周年の8月15日、東京の靖国神社では戦いに斃れた幾多の霊を弔う遺族の姿が見られました。

 仮出所の元海軍大臣島田繁太郎氏(A級戦犯で起訴され終身刑。55年釈放)は、明治神宮で感慨深げな面持ち。(ひざまずき礼拝)

 思えば多難な10年の歴史でした。終戦、そして一望焼け野原となった日本へ、着の身着のままの人々がすし詰めの引揚げ列車で帰って来ました。全てを失った引揚者たちの空ろな目に映るものは、全てを失った祖国の姿でした。

 疎開地に別れを告げる子供たち。

 「・・・・この懐かしい○○の山や川、皆さまの温かいお心は、いつまでも忘れることはできません。僕たちは次の日本を建設するために、○○○・・・・やり抜く覚悟です。では、さようなら」(坊主頭の小学生男子)

 しかし、懐かしい学校は跡形もなく、青空教室で民主主義の第一科を学ばなければなりませんでした。

 あてもなく焼け跡にひしめく人の群れ。ボロボロの列車に鈴なりの乗客。新しく出発した敗戦日本の姿でした。

 取締りの網にかかった闇米列車。すべての人々が味わった、みじめな飢えとの闘いでした。

 いたるところに生まれた露天の闇市。こうして天井知らずの悪性インフレが襲ってきました。

 都会の冷たい地下道では、毎日のように浮浪者が飢えと寒さに死んでいった。暗いあの頃の世相でした。

 (場面は昭和30年へ)

 そして10年、日本は見違えるように復興しました。明るい街角には、スタイルブックから抜け出たような若い人たちが、足取りも軽く行きかっています。豊かになった消費生活を物語るショーウィンドウ、きらびやかな装いは目を奪うばかりです。

 とみに人気を集めてきたテレビジョン。テレビアンテナが、バラックの屋根の上にもめっきり増えてきました。

 かつての焼け跡は、もはや偲ぶ由もありません。

 一方、各地に巨大なダムの建設が進み、総合開発のかけ声もしきりと聞かれるようになりました。

 しかし、水害は毎年のように各地を襲い、計画的な国土建設の立ち遅れを嘆かせています。

 インフレからデフレへ、日本経済の苦しい歩みは、九州・北海道の観光を不況のどん底に陥れました。この痛ましい貧乏物語が書き換えられるのはいつのことでしょうか。

 こうした中で、自衛隊は18万名を目指して増員に乗り出し、すでにかつての日本軍に劣らぬ実力を持とうとしています。

 ここ東京都下、横田のアメリカ軍基地では、8月13日から滑走路拡張のための測量が行われています。平和共存に向かう世界情勢の中で進められる基地拡張。日本の自衛問題を自主的に解決する道は、戦後10年の今日、まだ開かれてはいないようです。

 戦後10年を迎えて、『終戦の証書』に再び頭をたれる人々が見られます。

 また同じとき、鎌倉海岸には、二つの世界の様々な国から集まった人々を迎えて、平和祭が行われました。民族を超えた和やかな交歓の内に、同じ世界平和への願いがひとつに解け合いました。

 見渡す限り美しく揺れる稲穂の波が、戦後最高の豊かな実りを約束しています。しかし、貧しくとも戦後10年の歴史の収穫こそ、真に明日への糧となるものと言えましょう。






 ※ 「靖国神社」に始まり「稲穂」で締めくくられるなど、この時代はまだまだ日本を失っていないと思いました。防衛問題については「自衛問題」と表現した上でいかにも遠慮がちですが、その後50年を過ぎてもなお解決しないことを想像できたでしょうか。

 青空教室の部分、「民主主義を学ぶ」とありますが、日本は戦後になって初めてアメリカから「民主主義」を与えられたと思わせられていたのですね。大正デモクラシーを忘れたか!

 平和祭の部分、「二つの世界」とありますが、これは東西(左右)のことでしょうか。ソ連との国交を翌年に控えていますが、中国とはずっと先(昭和47年)のことです。映像からは、そのあたりの国籍まではわからず。

 この特集は、昭和30年以降のものですが、それ以前のものもぜひ見てみたいものです。それこそ百聞は一見にしかず。

 哀しいかな、ただでさえ、十数年前から徐々に公開された各国公式文書によって、近現代史を書き換える必要に迫られているというのに、日本の中では、一部教育界を含めて未だに頑なに事実に反する歴史に固執するおかしな現実がありますね。

 これら遺された貴重な史料映像の数々を、衛星放送だけではなく地上波の局が、小細工・偏向なしに素直に放送される日はいつになることやら。下らない番組ばっかり流さないでさ。


 
【2007/11/06 09:49】 | 【映画・記録映像・動画】 | トラックバック(0) | コメント(0)
美しい日本語を話す会ではない、守る会だ
 ※ テレビでは「小沢党首が辞意表明」と騒いでいる。安倍前総理の辞意表明の時は天地がひっくり返る思いをしたが今回は何とも思わない。福田政権が誕生して以来、日本は何が起きても不思議ではない状況となっているからだ。

 安倍前総理は一国の「主権」を意識して舵取りをしていた。しかし福田総理にそんな意識は無い。目先に吊り下げられた「毒ニンジン」にホイホイ食いつく餓鬼畜生の類だからだ。それは小沢党首もしかり。

 スキを見せて日本に他国の謀略を蔓延らせた張本人たちが、いい気になっているところに毒が回ってきただけのこと。日本の主権などどうでもいいのだ。毒が回るまでにたらふく私腹を肥やせれば「勝ち組」だとでも思っているのでしょう。ご本人は毒が明るみに出る前に下野したいのですかね。

 しかし、こんな風に他国の謀略で政界が混乱するのは御免だ。一刻も早く消えて欲しかった小沢さんですが、謀略で消されることには憤慨する。少しでも大和民族の欠片が残っているのなら、一蓮托生、福田さん一派も道連れにしていただきたい。そして政界再編のカチンコ鳴らしましょうよ。もはや自民党の崩壊なくして「戦後体制からの脱却」は成し得ないのだから。

 ちょこっと触れるだけのつもりがずいぶん回り道してしまいました。日本の主権を確かなものにし、日本再生を果すべき政治家の頂点に立つ両党首が、ままごと政治に始終し国を危うくしているので本当は一大事なのですね。



 さて今回は下に引用の記事に注目したかったのです。産経新聞の「台湾有情」シリーズは毎回感動させてくれます。そしていつも申し訳なく思ってしまう。しかし、もうのんびりと申し訳なく思っている場合じゃない。

 先の大戦で敗戦したことで日本ではなくなった台湾に、「日本語世代」と呼ばれる日本を懐かしんでくれる人たちがおられます。日本が急激に日本らしさを失う一方で、台湾の「元日本人」の方々は日本らしさを残し守ろうとして下さってきた。

 そのひとつ、象徴とも言うべき「美しい日本語」が、当の日本では急激に壊れてきている。それは、若者が造語・アレンジするからだけではない。

 その原因を思いつくままに列記してみると、常用漢字を故意に減らしたこと、漢字教育での量を減らしたこと、国語教育の質・量、共に減らしたこと、書き順を不問にしてしまったこと、書道教育を怠る学校が増えたこと、古文教育を減らしたことなどが挙げられる。

 また、学校教育の中で先生と生徒の垣根が取り払われ、まるで友だち関係のような会話を許しているようだ。教壇を無くした平坦な教室で敬語も使われないとなると、「先生の立場」を放棄したも同然で学級崩壊を誘うようなものである。

 学校の外はというと、新聞やテレビのテロップを見て漢字が少なくなったことに気付く人は多いと思う。やたらとテロップが多いのも気になる。アナウンサーと呼ばれる方々の砕けすぎた言葉遣いも大いに気になります。あの大新聞と呼ばれる社説の意味不明な「作文」のような珍文にも失笑してしまう。

 そして、無用に外来語っぽいカタカナ語が多いことも気になります。そのカタカナ語にカッコ付きで日本語の説明を加えるくらいなら、カタカナ語は必要ないと思うのですが・・。

 まだまだ思いつくことが頭に浮んでいるのですが、馬鹿馬鹿しくなってきたのでこのぐらいにしますが。要するに日本語の崩壊はすでに笑い事ではない域にあると思うのです。

 「男らしさ」「女らしさ」「子供らしさ」も曖昧になり、昔「男言葉」として女性には使われることがなかった言葉が女性や子供の間で氾濫し、たった今もテレビで某有名アナウンサーが「・・・じゃねえか」だなんて・・。脱力してしまいます。

 そういう筆者も、つい「壊れ言葉」を使ってしまうことしばしばで・・。

 「美しい日本語を話す会ではない、守る会だ」と一喝

 のくだりを読んで、恥ずかしくなりました。日本語には「言霊」があると言われていますし、筆者もそう感じています。「美しい日本語」を、せめて挨拶言葉をまず大事にしたい。

 「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」「ありがとうございます」等々、これだけでも気持ちの良い会話が始められる。

 昔は知らない人同士でも、挨拶だけは常識でした。挨拶するだけで気持ちが良くなるものです。

 「こんにちは」
 「いい天気ですね」

 「さようなら」
 「お元気で」

 「美しい日本語」の定番、この挨拶からまず始めましょう。

 



■ 【外信コラム】台湾有情 「日本語世代」 2007.11.5 02:27
http://sankei.jp.msn.com/world/china/071105/chn0711050227000-n1.htm
 
「待ちわびた歌会の日のうれしさは遠足に行くわらべの如し」。日本統治時代を生きた「日本語世代」は積年の思いを日本語に託すことがある。紹介した一首は、短歌を愛する台湾の人々が集う「台湾歌壇」の会員が、月に一度の歌会に寄せた思いを詠ったものだ。

 そんな彼らが先月、日本の九州を拠点とする短歌結社「牙」のメンバーと台北市内で交流する機会を持った。「靖国の春の例祭参りたり声高々と歌ふ君が代」。自ら「元日本人」とまで言い切る日本語世代には、靖国神社への深く複雑な思いがある。「台湾にはこういう人が…。日本人として感動した」。牙を主宰する歌人で、この日の短歌を評した石田比呂志氏も驚きを隠せなかった。

 台湾には、川柳や俳句を愛する人々の集いもある。「美しい日本語」を勉強し続ける「友愛グループ」の会合では、「美しい日本語を話す会ではない、守る会だ」と一喝された。日本の文化が、日本人の心が、これほど多くの人に大切にされている所もないだろう。

 その彼らも平均年齢が80歳を超え、活動にも徐々に制約が出てきた。北部の基隆では11月上旬、日本時代の基隆中学の同窓生で作る「堵南会」が会員の高齢化から、10年続いた会報の発刊に終止符を打った。次世代が彼らの思いを引き継ぐとしても、残された時間はあとわずかである。   (長谷川周人)





テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2007/11/05 10:10】 | 【台湾】 | トラックバック(0) | コメント(6)
『ALWAYS 三丁目の夕日』
ALWAYS 三丁目の夕日

 ※ 機会さえあれば何度でも観たくなる映画。もう10回くらいは観たかな。でもこの映画を観ていると寂しくなっちゃうんですね。もう戻らないあの頃。

ALWAYS 三丁目の夕日

 路面電車、ちんちん電車って呼んでましたね。音が聞こえてきます。ミゼット、オート三輪、ときどき田んぼに落っこちてましたね。たまにしか車が通らなかったからかな、排気ガスの残り香が好きで深呼吸してた。今じゃ考えられないですね。

 この映画を見ると、いろんなことを想い出してしまい、同時に今の日本を想い泣けてきます。何で涙が出るのか複雑過ぎて・・・。

 かといって同じシーンで同じように大笑いしてしまう。あー、いたいた、こんな人いたよ、とか。タバコを買うシーンを見て「お笑い三人組」を想い出し、猫八や小金馬、もうひとり馬面の講談師、そしてタバコ屋の看板婆ちゃんのスゴイだみ声が聞こえてくる。映画では“しんせい”を買うのだが筆者には父の好きだった“いこい”が見える。

 お兄ちゃんといっしょに作ったゴム稼動の飛行機。あんなにふわ~っと飛ばないよ、シャーっと飛んだよ、やっぱり映画だなとか。そういや割り箸でゴム鉄砲作ったな、竹鉄砲に新聞紙を噛んで丸めた玉込めて、ポンーっと撃ったな、とか。

 映画に集中するというより、そんなこんながうわーっといっしょくたになって脳裏を駆け巡る。合間に(安倍さんも好きだって言ってた)とか思い出すともう現状が情けなくなるやらで、わけの分からない涙があふれてくる。

 続編が公開されるんですね、楽しみです。映画館で観る度胸はありませんが。(笑)

 「もはや戦後ではない」と云われたあの時代。まだまだ誰もが戦争の傷を抱えていた。アクマ先生が酔いつぶれて空襲で亡くした妻と娘の夢を見るシーン。独りで陽気に振舞うタバコ屋のおばちゃん。たまらなく辛いですね。でもみんな強く生きようと頑張ってた。

 口減らしに家を出されたと思い込むロクちゃん。鈴木オートの父さんはでっかい夢を持っている。

 「いつかでっかいビルヂングだってできる!」

 「ところがね、建ち過ぎて人の心が荒んでしまってどうにもなりません」と、つい声が。画面の向こうとこちらの境が外れることしばしばです。

 最後のシーン。夕日に浮ぶ風景の中をミゼットが走る。その時、恐ろしいことを想像してしまった。

 こんなダメな日本、もう一度焼けてしまえばいいんだ。

 ほんの一瞬ですが妄想してしまいました。ここまで落ちると一からやり直してもらいたくなってしまう。やり直せるものならば喜んで犠牲になるよ、と思った。でも、それが現実ならば、日本の終わりなんですね。だから一瞬だけ。一瞬だけで目が覚めた。

 さあ、ロクちゃんたちに笑われないよう頑張ろう。明日は明日の風が吹くー。あのシュークリームだって、いくらでも食べられる時代になったんだ、ビルヂングだっていっぱい建ってる。肝心の日本人がへこたれちゃいけないね。じゃなきゃ、

 「ショーユ飲んで死んじまえ!」



テーマ:雑記 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2007/11/03 06:19】 | 【映画・記録映像・動画】 | トラックバック(0) | コメント(4)
懺悔できないアメリカ
エノラ・ゲイ






 ※ 昭和20(1945)年8月6日、広島に原爆を投下した米B29爆撃機「エノラ・ゲイ」のティベッツ機長が亡くなった。彼は軍人としての任務をまっとうしたに過ぎず、何ら批判を受けるべき立場にはないが、さぞかし辛い想いをされたと思われる。謹んでご冥福を祈りたい。

 史上唯一の原爆投下という歴史的大罪の首謀者はルーズベルトでありトルーマンだ。アメリカはいまだにその罪を認めない。認めない罪は終わらない。終わらないからティベッツ氏は葬儀も墓石も辞退したのだ。彼一人に罪を背負わせたアメリカ。いつまでとぼけるつもりだろう。

 「気に留めていない」ってジョンドロー。選んだ言葉が怖すぎる。よけいに意識しているのが分かる。ティベッツさん、最後に爆弾落としてくれてありがとう。辞退という爆弾。でもまだアメリカ、だめみたい。





□ 原爆投下「エノラ・ゲイ」ティベッツ機長が死去
http://sankei.jp.msn.com/world/america/071102/amr0711020121001-n1.htm


 抗議避け、葬儀・墓石を辞退

 【ワシントン=山本秀也】1945年(昭和20年)8月6日、広島に原爆を投下した米B29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長を務めたポール・ティベッツ退役准将(当時大佐)が1日、オハイオ州コロンバスの自宅で死去した。92歳だった。

 AP通信によると、抗議の対象となることを避けたいとの遺言で、葬儀は行われず、墓石も設けられない。原爆投下には「戦争を早期に終結させるため、任務をまっとうした」との立場を終生貫いた。

 15年2月、イリノイ州出身。陸軍航空士官として、「空の要塞(ようさい)」と呼ばれたB29の試験飛行にかかわり、作戦要員として原爆開発のための「マンハッタン計画」に参加した。「エノラ・ゲイ」はティベッツ氏の母の名から命名された。

 トルーマン大統領の決断を受け、濃縮ウラン型原爆「リトル・ボーイ」を搭載して14人のクルーとともにテニアン島を発進、人類初の原爆を広島に投下した。

 米国家安全保障会議(NSC)のジョンドロー報道官は、同氏の死去にあたり「気に留めていない」としてコメントを避けた。

 




テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2007/11/02 11:14】 | 【資料庫】新聞・ニュースストック | トラックバック(0) | コメント(2)
お願いですもうやめてください
 ※ 案の定、テロ特措法延長は成されずインド洋から撤収することになりました。福田首相の表情が涼しげに見えるのは筆者だけでしょうか。

 顔を見るのも嫌な福田首相ですが、安倍前総理に引き続きマルマガは受信しています。毎週不愉快ながらもざっと読んでいますが、とってつけたような親しげで生真面目な文章からは何も心に響いてこないし声も聞こえてこない。恐らくご本人じゃないのかな。なんて思います。

 安倍さんのときは、しっかり安倍さんの声が聞こえたものです。困難の中で必死に闘い、常に襟を正し前進する様子が見えるようでした。その姿勢に思わず「頑張って!」と声をあげたものでした。

 さて、今回のメルマガでは、最後の洋上補給を終えた補給艦「ときわ」へ、パキスタン海軍からの感謝の横断幕というエピソードが。

 とうとう11月1日。福田康夫です。

 本日をもって、テロ対策特別措置法が期限切れとなり、インド洋における
海上自衛隊の活動を終了させることとなりました。

   FUEL FOR FREEDOM (自由のための燃料)
   JDS TOKIWA   (日本の自衛艦ときわ)
   THANK YOU    (ありがとう)

 補給艦「ときわ」が今回の任務で最後の給油を行ったとき、その給油を受
けたパキスタン艦にこのような横断幕が掲げられました。

 甲板の上で目玉焼きが作れるほどの炎暑の中で自衛官諸君がこれまで行っ
てきた地道な活動が、いかに国際的な評価と結びついていたかを、改めて実
感しました。


甲板から手を振るパキスタン海軍乗組員


パキスタン艦には感謝のメッセージが


 このエピソード、本当はもっとスゴかったんですね。総理は触れなかったけれど。

 

給油終了後、駆逐艦の甲板にはいつもの倍近い約七十人の乗組員が集まって万歳をし、日本の国歌を演奏した。



 
 もう筆者は恥ずかしくてたまらない。日本の政治が、国会が、首相が。そして、こんな幼稚な日本に「万歳」や「君が代演奏」、「ありがとうの横断幕」で礼を尽くしてくれたパキスタン海軍に本当に申し訳ない。

 テレビに目をやれば、国営テレビに准ずるはずのNHKが、いまだに沖縄の教科書デモをしれーっと「主催発表11万人」と言い、沖縄の若者が「集団自決」「軍の関与」の記述を戻せと言っている。どちらも削除はしていない、削除したのは「軍命令・軍の強制」だけだ。ミスリードにもほどがある!何が「主催発表11万人」だ!?実際は1万8000人程度じゃないか!主催の嘘を知りながら何という卑劣な!

 安倍前総理が倒れてからというもの、坂を転がるように落ちてゆく、落としているその先頭に立っているのが福田首相、あんただよ!父親と同じ恥を日本にかかせて、親子ともどもそっくりだな! そして民主党党首の小沢さん、あなたは何のために政治家になったのですか?私腹を肥やしたいだけなら、今すぐ政治家をやめて下さい! 政治を金儲けのために使うな! 二人とも今すぐ消えてくれ!!

 党首会談の様子がテレビで流れてる。二人とも楽しそうに笑顔でのんきに。何が「民主党とはもともと近い、協力政党」だ。国民をバカにするのもほどほどにしろ、貴様らそれでも日本人か!?



 とまあ・・、言いたいことをいうと下品で恥ずかしいエントリーになってしまいました。ごめんなさい。(まだ言い足りないんだけど)

 

 

テーマ:雑記 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2007/11/02 08:45】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(0) | コメント(2)
しゃばだば近代国史帖


日本の近現代史の中から、主に感動エピソードを拾い集めてみたい。ゆっくりゆっくりですが。個人的には備忘録(メモ)のつもりです。

プロフィール

娑婆妥場

Author:娑婆妥場
この道を、どんな日本人が歩いていたんだろうと、ついつい想いを巡らせてしまう今日この頃です。
いろんな感動エピソードに出会ったけれど、記憶力が悪く片っ端から薄れてしまうので、思い切ってブログに挑戦することにしましたとさ。

最近の記事

カテゴリー

全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

ようこそお茶でもどうぞ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。