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あの日の友人たちへ
 ※ このブログを始めてまだまだ日は浅いのですが、いつも脳裏にかつて今は遠い学生の頃に「いつか自分達がこの国を背負って立つ時代が来るのだ」と、熱く語り合った友人たちが居ます。

 「人としてどうあるべきか、どう生きるべきか、学生である身分の今こそ根っこを太くせねばならぬ。卒業した後はそれぞれの分野でしっかり地を固め、その日に備えよう」

 そう誓い意気揚々と社会へ羽ばたいたものの、その後およそ15年を経て時代の濁流に呑まれ、自分の価値観を否定され続けるうちに道を見失ってしまっていた。

 それからというものは、何か重力を失ったような虚無感の中で瑣末なことに振り回され、どこへぶつけていいかも分からぬ怒りと諦めの中にいたように思います。その間10年以上もの間、筆者は時間と我を失っていたのです。

 そこに風穴を開けてくれたのがインターネットの世界でした。そこはまさしくパンドラの箱、情報の海。善悪入り混じるその荒涼たる眺めが無限の広がりを見せていました。

 それからというもの、ある時は怖々、ある時は驚きと喜びの中で、夢中になって活字を読み漁り続けていました。

(もしやこの中に自分の求める何かがあるかもしれない。まだ間に合うかもしれない)

 この世界には、そう感ぜずにはいられない眩しさがありました。そうこうしているうちに、或ることに気付いたのです。その発端は中国や韓国の反日暴動でした。

 聞けば「歴史認識を正せよ」と言っている。「靖国神社を参拝するな」と言っている。いつの頃だったか、確か村山政権の頃には首相談話として、そこまで卑下するのかというほどの謝罪をしたではないか。

 もっと不思議だったことは、靖国参拝への他国からの干渉だった。聞けばA級戦犯がどうのと言っている。しかし根本的に不思議だったことは、そのしつこさだった。

 日本が過去にたとえ侵略をしたからといって、60年も経って世代も交代しているというのに、そこまでしつこく暴動まで起こして罵倒する。これはいったい何なのだ。

 そもそもあの戦争の原因は何だったのか。何故に戦争をすることになったのか。筆者の知っている、覚えている子供の頃の日本人の素朴さを考えると、とても同じ国のやったこととは思えない。

 何だかんだ言っても、筆者は昭和の時代が大好きだった。しかし、よく思い出してみると、あの戦争前後の時代の記憶がぼやけていた。ほとんど空白と言っていいほどに印象が暗い闇の中だったのです。

 時代を伝えるべき世代の自分が、伝えるべき知識を持たない。これには言葉を失う恥ずかしさを覚えました。そうして本格的な歴史の検証を始めたのです。

 まず、たとえ目を覆いたくなるような事実に直面してもやり抜こう、何故あの戦争を始めたのかを納得できるまで調べ尽くそう、と覚悟を決めました。そして約1ヶ月を過ぎた頃に衝撃の一文にたどり着いたのです。

 それは、筆者が覚悟したこととは真逆の事実でした。

 焦るあまり単発の検証を繰り返すうちに、「ペリー来航」の時代まで遡っていました。明治維新、せめてそこから始めなければならないことに気付き、順を追ってやっと大東亜戦争にたどり着いた時に飛び込んできた一文。それは、パール判事の「日本無罪論」だったのです。

 そして、あの最悪の作戦と呼ばれた「インパール作戦」の、インド側から見た真実に触れ、筆者は流れる涙が止まらなかった。一人PCの前で声を上げて泣きました。

 そして同時に、《あの時代の教育を受けていなかった》という事実を思い出したのです。

 「よーしここまで。後は重要ではないので各自ざっと読んでおきなさい」

 期末テストが始まる直前に「重要ではない」「ざっと読んでおきなさい」と言われて、誰が読む気になったでしょうか。

 あの時代の記憶が暗い闇の中にあったのは、教科書を読まなかったからではない。重要ではないと言われながらも、印象操作だけは施され、教育の現場だけではなく、マスコミの報ずる歪んだシャワーを浴び続ける中で、読めば暗い気持になるに違いなく、またその教科書に欲しい真実は無かったのだから。
  
 
 以前にも述べたことがありましたが、こうした事実に直面した筆者は、事あるごとにその事実を伝えたいと意気込んでいました。しかし、なかなか上手くいかないのです。それはそうです、自らの意志で知り得た情報ではなく、他人から持たらされ降って湧いたような情報では、俄かに信じがたいのも分かります。

 順を追って説明しようにも時間は少なく、単語の一つ一つの印象にもかなりの隔たりがあり、凝り固まった思考にその都度つまづき反発され話にならなくなるのです。

 最初の試みはこうして痛い失敗に終わってしまいました。以来、筆者は歴史を云々することに二の足を踏むようになりました。

 今では、巷の歪んだ風潮について静かに異議を唱え、そこに繋げて昔の日本のたたずまいを思い出させるよう仕向けています。

 そして、今の日本に失われたもの、忘れ去られようとしているものの中にこそ、大切な真理原理があるのだと年配者を勇気づけるようにしています。その価値観を、肌で記憶している年配者こそ自信を取り戻し、中年となった子供には難しくとも、孫たちに対峙できるよう願うからです。

 このブログの存在は誰にも知らせておりません。ほんの数人だけ、筆者を心から信頼してくれる母と、その友人、そしてネットで知り合った数人のブロガーだけです。

 いつかあの日の友人たちが、筆者とは知らずにここへ訪れてくれることを願いながら、今日は筆を置きたいと思います。



□ A beautiful India song : A memory of Japanese army


『日本兵士を讃える歌』(古田中勝彦氏訳)

1.父祖の時代より 今日の日まで
  美しきマパオの村よ
  言い知れぬ喜びと平和(やすらぎ)
  永遠(とわ)に忘れまじ

※ 美しきマパオの丘に
  日本兵来たり 戦えり
  インパールの街目指して
  願い果たせず 空しく去れり

  ※ (繰り返し合唱)

2.日本兵 マパオの丘に来たる
  それは4日の火曜日
  1944年のことなり
  我は忘れじ 4月のあの日

3.罪無き民も 散り散りに
  西に東に追いやられ
  再び神の恵み受け
  集まり住まん この地マパオに

4.広島の悲報 勇者の胸をつらぬき
  涙して去れる 日本の兵士よ
  なべて無事なる帰国を
  われ祈りてやまず

 


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【2007/09/28 17:30】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(0) | コメント(3)
『千の風になって』とどこか似ている福田政権
 ※ 筆者はいつも、テレビからこの『千の風になって』という歌が流れてくると消していました。この歌、最近の音楽業界では珍しく人気が長続きしているようで、今朝もほんの少しの時間に数回流れ、その都度消音、最後はテレビを消した。

 実は筆者はこの流行というものが昔からあまり当たらない。しかも歌に限ったことでもない。そのため、逆に消音したくなるような「流行」が氾濫していて弱ってしまう。

 中でも『千の風になって』には、ほとほと弱っています。曲が美しく切なくて、聴いていると涙がこぼれそうになるが、その実気持が悪い。それが重なり、今ではとうとう反射的に消すようになった。

 何でだろう、何でだろうと気がつかなかったふりをして、本当は最初から分かっていた。歌詞の最初に違和感があったのだ。

 気がつかなかったふりをしたのは、全体が美しかったからだ。違和感があるものの、もう少し聴いてもみたい。というこの矛盾。しかし今ではこれが流れてくると「千の悪霊が」飛んでいるように感じてしまうのだ。

 「墓参りをするなー」と聞こえるのだ。

 「お墓の前で手を合わせるなー」「お墓に来るなー」

 まるで呪文を聞いているような気分。繰り返し繰り返し呪文をかけられているようなこの気持悪さ。なのに流行はまだまだ上昇中というので筆者は弱るばかり。

 それで今朝のほんの短い間にもしつこく流れたものだから、堪忍袋の緒が切れた。そうして考えているうちに福田内閣と重なり・・・あれ?似ているぞ。何かが似ている。

 墓参りの慣習は日本古来の文化だ。先祖を敬い、先祖を大切に思い、古来日本人は何かにつけて報告し、何かにつけてお伺いを立て、祖先と交信してきた。筆者もたまに田舎に帰ると真っ先に仏壇に手を合わせ、墓参りをする。こちらにいるときはいつも空を見上げてぶつぶつ交信する。

 何も見えないし何も聞こえないが、それでも心が通じたように感じる。それだけで安堵するのだ。これが日本人の信仰心だと思う。

 そして大切なことは、自分が先祖と繋がっているという感覚。ずっとずーっと昔から繋がっているという感覚。今は居ない先祖を想うことで、いつか自分が居なくなることをも和らげる。

 8年前の7月に、筆者の父は旅立ちました。膵臓癌が発覚したときにはすでに遅しで4ヶ月足らずで逝ってしまった。その時、父が言いました。

 「なーに、順番なんだから心配するな」

 残される我々を気遣い、父は静かに家族や孫たち全員に見守られ旅立ちました。その父と、何かにつけて今も交信しています。

 この国の歴史は深い。先祖を辿れば今の私たち、みんな親戚です。世界に類のない歴史ある家族国家なのです。この国が何故こんなに長く、伝統文化を繋げてこれたのか。それは何時の時代にも天皇陛下が中心にあられたからです。

 天皇陛下は日本の伝統文化の象徴でもあられ、2000年を超えて同じ価値観を伝え、同じ祭事を御守り下さいます。古書を紐解けば、どの時代も現代と良く似た日本人像が記されてあります。

 しかし、哀しいかな現代の日本人は、戦前と比べて、先祖との結びつき、その感覚が極端に薄れてしまっています。大家族から核家族へ移行し、お墓を守る感覚も薄れ、どこかの集合住宅のような委託墓地が出現し、はなっからお墓もいらない散骨でいいじゃないかという風潮まである始末。

 それは先祖との遮断、歴史の遮断、即ちアイデンティティーを破壊するものではないか。今後生れてくる日本人は根無し草、浮き草も同然で、実は自分が誰かも分からなくなるのではないか。日本人としての誇りも気概もなく、食べて出して空気を吸うだけ、瑣末なことで笑い怒り、価値観は個人中心で無重力の自由がぶつかり合う日本人モドキ。

 もし、大家族だったなら、家にはじいちゃん、ばあちゃんがいる。孫は父さん母さんが忙しいから、じいちゃんばあちゃんに面倒みてもらう。じいちゃんばあちゃんは、昔話を聞かせる。じいちゃんばあちゃんのそのまた、じいちゃんばあちゃんの話も聞かせる。じいちゃんばあちゃんの昔から伝わる話を聞き、歌を聴いていると、自然と日本の歴史に触れることになる。日本の歴史に触れたなら、昔の天皇陛下のことも知る。昔の日本人の教えが、自然に自然に孫に伝わる。自然に自然に天皇陛下を敬う心が育つ。自然に自然に、思いやりの心が育つ。自然に自然に、日本が好きになる。自然に自然に、自分に自信が持てるようになる。

 伝統文化も何もかも、自然に伝わるのだ。『17条の憲法』の心が自然に伝わるのだ。いい事尽くめじゃないか。泥棒も減り、犯罪も減り、よく学び、よく遊び、健康で、健全な日本人がよみがえる。はずだった。

 『千の風になって』が巷にあふれ、消しても消しても聞こえてきてしまう。もうメロディーも覚えてしまった。いやメロディーが悪いんじゃない。あの歌詞が、あの歌詞の最初の少しだけが気持悪いのだ。

 もう分かってくれたでしょう。きっと分かってくれたでしょう。福田政権とどこが似ているのか。きっと分かってくれたと思います。



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【2007/09/26 08:09】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(0) | コメント(0)
福田総裁の誕生
 ※ 健闘も空しく麻生氏が勝つことはできませんでした。今この国は最悪の福田総裁を迎えてしまった。

 麻生派を除く全派閥の談合により、連日の報道では福田圧勝を伝えていました。結果は総数で福田氏330票、麻生氏197票。どこが福田圧勝なんですか。あの一方的なマスコミ報道をもってしても、たった16名の小さな麻生派以外の全派閥談合をもってしても、麻生氏はここまで追い上げたのです。とてつもないことです。

 しかし残念ながら福田総裁が決定してしまった。即ち福田総理の誕生ということになります。保守政党であったはずの自民党が左傾化著しい総理を誕生させてしまったのです。

 したがって、結果330票もの国益とならぬ政党であることが露呈したからには、筆者は自民党を支持するわけにはまいりません。

 この国には時間がありません。このまま自民党を維持させることは、政治を国民を惑わせるだけであると考えます。いよいよもって、早々の政界再編を強く求めます。

 22日の新宿東口での北村弁護士の応援演説に、筆者は全くの同感です。麻生氏が総理となる日をこれからも切望します。


□ 平成19年9月22日新宿東口 北村弁護士による応援演説



こんにちはー! 私は自民党員でもなければ政治家でもありません。だから、この自民党がどうなろうが私は関係ない(聴衆笑い)。

 しかしながら、麻生太郎が大好きで日本の国が大好きです。

  今、この自民党の総裁というのはイコール日本の首相です。 だからこの総裁選は捨て置けない。捨てて置けません。

  私から見ると、部外者の私から見ると、この長老の、はやる派閥の領袖と言われる人たちが この麻生太郎に抱いている感情が手に取るようにわかる。

『あの少数派閥の麻生めが、あの麻生がなぜ国民に人気があるんだ。なぜなんだ。 あんな奴に首相になって欲しくない』

 というジェラシーですよ、これは。あきらかに!(聴衆からの拍手)なぜかわかりますか?

 麻生太郎の話を少しでも聞いたことのある人、たとえば10分以上聞いたことのある人は、あの具体的で、説得力のあって、熱意があって、この人には力があると、みんな思うんです。

 ところがどうだ、今の派閥の領袖といわれる人たち、あの人たちの話を聞いてそう思えますか。 全く僕には思えない。

 だから今回の持つ総裁選で、この派閥の領袖といわれる人たちのこの推す候補がこのままエスカレータ式に首相、総裁になって、そのまま首相になるようであれば私は今後、自民党を批判を続けるつもりだ!自民党はもうなくなった方がいい! (拍手)

 こんなやり方で首相が決まって、長老たちのジェラシーで首相が決まるような国であれば、これはあの民主党、私から見て、この民主党の政策というのは私から見ればですよ、素人の私から見れば、この自民党政権が、かつておかした過ちをそのままやろうとしている。

 たとえば農業政策。最も悪政といわれた農家にお金を ばら撒くような政策をこれからやろうとしている。 いいですか?日本が国際貢献をしようとしているこのインド洋上の給油についても、これを国益、日本の国益を考えずに中断しようとしている。

 そんな汚い政党でも、いいですか、そんな汚い民主党でも、今、この自民党総裁選で麻生太郎が簡単に負けるようであれば

 まだあっちの方がいいかもしれないと俺は思っている! (拍手)

 そういうことがわかりますか。いいですか。人間の言葉が説得力あるというのはどういうことなんですか。

 政治の問題は難しい。だけどその難しいことをわかりやすく具体的に話せる人間ってのはどういう人間なんだ。

 その政治の本質をわかっているからわかりやすく、我々に話すことが出来るんですよ。いいですか。

 政治の話をわかりやすく出来ない人間ってのは二通りあるんだ。 一つは本音を語ろうとしない人間。(拍手)

 もう一つは頭の悪い人間なんだ。 この二つしかないんだ。 そこが麻生太郎と全く違うところなんです。

 もう一つ言わせてもらいます。 私は、例えばですよ、私はお膳立てが全部揃わなければ出ません、て、私はお膳立てが全部揃わなければ出ませんと、こういう風に言う候補がいたとすれば、これは弁護士の目から 見ると非常にプライドの高いお方だ。(笑い)

 それはどういうことになるか、いいですか、この人にもし日本の未来を託した場合、ある局面では国益よりも、国民の生活よりも、自分のプライドを優先するだろう。

 そういうもんなんだよ。いいですか。それをわかるだろう。私にはわかる。 (拍手)

 いいですか、日本の国益を担って、首相として歩むためには強さが必要なんだよ、人間としての強さが。

 その為には自分こそ総理に相応しいんだと、自分こそ総理に相応しいんだと、みんなが思って、自分も思って、それで敢然と立ち向かっていく、そういう人間でなければダメなんです! (大拍手)

 それを分かるか!

 僕は今回の総裁選を見てて、マスコミもわかってないし、 一般の人ももしかしてわかってないんじゃないかと思ったの。

 だからここに来たんですよ。 でも先ほどネットの情報を聞いてみると、実は国民はわかってるらしい。

 この間テレビの、テレビのね、ある番組で、まあ政治評論家と称する人はこう言いました。

 『秋葉原では大分麻生さんの人気が高いようですね。だけど彼らには投票権はないからな』

 そういう皮肉を言っている政治評論家がテレビで喋ってた。こいつは頭が悪いです。(拍手)

 何で頭が悪いか。 いいですか、今この情報化社会においては投票権がなくとも、自民党の総裁選にはこれだけ注目が集まっている。 そして国会議員が投票する時に国民の声を全く無視するわけにはいかない。

 だから国民の声を無視するわけにいかないから、じゃあ何が起こったんだ。

 麻生謀略説。

 麻生が安倍の足を引っ張ったんだ、そういう謀略説を流したでしょ、最初に。 あれはまさに国民の声を無視できないから、世論操作しようとしたんだよ!それがわかりますか。(拍手)

 こんな短い期間であの麻生謀略説をひっくり返すのは大変なことだ。
まして麻生太郎本人は、非常に品のいい男だ。だから、自分でそうじゃないんだなんてことは言わない。

 だから品の悪い私が言ってるんだよ。わかるかね!! (大拍手)

 いいですか、僕はね、この総裁選で、もう一度言いますよ。 この総裁選で麻生太郎が簡単に負けるようであれば、

 明日から自民党の悪口を言い続けるんだ! こんな国会議員はみんなやめちまえ!

 マスコミの人間は、いかに麻生太郎が力があっても、説得力があっても、 一切報道しないよう、しないよう、しないようにしてるよ。これは本当のことだ。

 マスコミを信用してはいかん! (大拍手)

 マスコミに出てくる弁護士が優秀だと思ったら大間違いだ。(観衆笑い)

 中には優秀な奴もおるけど。 いいですか、そこでね、私はみなさんにお願いしたい。 馬鹿な国会議員でも、ドアホウな国会議員でも、麻生太郎が、麻生太郎が首相にならなければ国民から目を背けられてしまう、そう思わせて欲しい。

 最後に一点だけ、もう一点だけ、ごめんなさい。 麻生太郎は、失言失言といわれてる、早く辞めろと言われてる。

 麻生太郎は、失言失言といわれてるがね…、ここをよく考えて下さい。 官僚答弁ばっかりする政治家の話が面白いか?(聴衆:面白くない!!)

 みんなのことを考えて、我々のことを考えて、わかるように話をする、その麻生太郎が俺は大好きなんだ。 (大拍手)

 今日仙台で、仙台で、麻生太郎さんが掲げたこの紙ね、紙ね。こう書いてある。

  四の五の言わずに総理にさせろ!

 それが私の考えだ。以上。 (大拍手)

 



 ※ テキストは『新・へっぽこ時事放談』様エントリーより転載致しました。 




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【2007/09/24 05:45】 | 【演説・講演・論文・コラム】 | トラックバック(0) | コメント(2)
9.21自民党総裁候補討論会第一部前半(日本記者クラブ主催)
 ※ 本日(21日)午後1時5分より「自民党総裁選 公開討論会」(NHK総合中継)が行われました。二部構成でしたが、筆者の時間の都合で、第一部の前半部分(両候補者による主張)だけになりましたがテキストに起こしました。

 たった今のことでまだ校正しておりません。ここで筆者も時間切れとなりましたので、一応そのままUpしますが、あとで時間が取れましたら校正編集し直したいと思っております。

 誤字脱字、その他読み辛いところがあろうかと思いますが、早い方が良いと考えこのまま取り急ぎ公開します。申し訳ありません。

 【追記22日14:26】

 ※ 残念ながら時間が取れません。VTRを確認することができません。これ以上の編集はできなくなりました。申し訳ありません。決戦の明日も仕事のため後は祈るのみ。近郊の有志勝手連の皆様は本日、新宿での最後の演説(4:00~)の応援よろしくお願い致します。明日の決戦日は、永田町自民党本部周辺へ1:00集合だそうです。よろしくお願い致します!

 






□ 第一部:両候補による主張と討論

☆主張
どういう国づくりを目指すのか、政治をどう変えたいのか、それぞれの基本的な考え方や政策について、制限時間10分で。

● 福田康夫

 今回私はこの自由民主党総裁候補選に立候補致しました。えー、まぁ、私が当初、立候補する、しなければいけないと、という風に固く決めていた訳ではございません。えしかし、・・・以来、色んな方々からお奨めを頂き、また、この危機的な状況にあります我が党の再生と、いうことを果さなければいけない、というそういう強い思いに駆られまして、そしてまた同時に、今非常に問題が多くなってきていると、いう我が国の情勢、これ如何にして解決していくかと、いうことについての責任、政治家としての責任を感じましたて、立候補を決意致しました。

 まお陰さまで、多くの方々にご支援を頂き、今一生懸命私の考え方を訴えてきておるところでございます。まその中で、私はまず申し上げますことは、我が自由民主党、そして政権与党として、この総裁選挙をしなければいけなくなった背景、事情、そのことについてですねぇ、深く思いを致さなければいけないと思っております。

 でそれは、参議院選挙に敗れたと、まいうことでございます。そしてこの、参議院選挙で敗れた現状というのはこれは極めて深刻な状況だと考えております。でその参議院選挙敗北の原因が何にあったのか、そのこともよく考えておかなければいけない、と思っとります。

 えもちろん、色々な問題がございました。不祥事の問題があった。そして年金の問題もございました。そして、えー地方における、格差問題と、いう、そういうテーマもございました。様々なことについて、国民のご不審を買ってしまったと、要するに、日本の政治、我が与党自民党のですね、政治に対する信頼感の欠如、これが現状だと、考えております。その結果が、この総裁選挙だなと、ということであります。

 そしてこの総裁選挙を行うことによって、国会の審議を止めておかなければならないと、まこういう事態も起こしておる。ま色々な意味において、非常に大きな問題そして深い、いーその傷を負った、この問題に対処しなければいけない。そしてこういう事態に至ったことについて私はまずは、国民の皆様、またあのご支援下さる、自民党の、おー支持者の方々にですね深くお詫びを申し上げなければいけない、思っております。

 でそのような、反省に立って、これからの政治を進めると、まぁいうことになりますけれども、私は、今の若い人たちが、とかく閉塞感を持ちがちであると、まぁいうこと、これは即ち、将来に対する、ビジョンを提示すること。将来日本が、どのような国に、いーなるべきなのか、ならざるを得ないのか。そして、そういう方々の、将来が、明るい期待を持てるものかどうか、このことについてですねまずは、希望を持てる国づくりと、まこういう申し上げ方をさして頂いております。

 若い人は希望を持てる国、そういう社会、国づくりを進めて行きたい、と思っております。そして働く人、そしてお年寄りの方々が、安心して生活が出来る、そういう国づくり、社会づくりをしてまいりたい、「希望と安心」と、こういうキャッチフレーズですねぇ私の政治を進めていきたいと思います。

 安心の問題や何も老後のこと、高齢者だけの問題ではないということですね。それは今の高齢者が、安心の出来ない生活に満足できないような日々を送っていて、今の若い人たちがそれを見てどう思うか、自分たちのそういう時代に、いつかはなるんだなーと、いうことをもって、本当に希望を持って今、活力をもって仕事ができるかどうか、ということも考えますと、やはり若い人にとっても、安心は大事であると、しかし今の安心が勝ちうることができるかどうかこれは現実の問題と、極めて大事で、そして今働いている人がですね近い将来、安心できるかどうか、そういうことを・・・我々としては政策課題として、またあの政治課題としてですね考えていかなければいけない、そのように思っております。

 そしてまた、今の時代は、ま地方の問題もございましたけれども、やはり「自立と共生」という考え方がないとやっていけない、これは色々な時代でこの意味合いが違ってくると思います。しかし、今こそ「自立と共生」という言葉がぴったりくる、そういう時代はないんだろうと、今とそして将来、見通してですね、この精神なくして私は社会も国も、そして国際社会も、安定した関係、状況というのは作っていけない、そのように思っておりまして、希望と安心の国づくりを進める、その基本的な考え方は自立共生の概念だと、まこのように思っております。

 やはり、自立心なくしてですね、また自立の努力なくして社会は、また、国は、うまくいかないと思います。しかし同時に、自立だけではだめなんであって、共生できる社会でないといけない、国でなければいけない、また同時に国際社会もですね、共生の概念が必要だと。国際社会で共生といえばですねぇ、資源の問題、環境の問題、これまさに共生でしょう。これを、お互いに協力してやっていかなければですねぇ、環境問題の解決は有り得ないと、私は思っております。

 個人の家庭においては自立は大事です。個々人の自立は大事です。しかし、なんかのときには、共生は家庭の中でいつでもあるわけであります。えそして、若い人は自立、お年寄りは共生社会で家庭の中でお互いに支えあうという関係、しかし、もし家庭の中で支えられないようなお年寄りがいたときにはですねぇ、これは社会が国がそれを支える仕組みを作っていかなければいけない。それがうまく出来上がって初めてですねぇ、共生社会、自立をもとにした共生社会というのが、存在するであろうと、いうように思っております。

 私は今、あの、身近な政策の話はしておりません。しかしそういう政策は、ひとつひとつがですねぇ、今私が申し上げたような概念の上に立って出来てこなければいけない。そのように考えております。私はそういうことにですねぇ、これから全力を挙げて取り組んでまいりたい。いうように思っております。

 この考えは、私は、別に総裁候補になるとかそういうことではなくて、日頃考えていたことです。一政治家として、考えなければいけないこと、まそれをですねぇ、ぜひ実現してみたいと、こういう強い希望、欲求をですねぇ、今、持っております。ぜひ、これは、国民の皆様と協力して成しうることだと思っておりますので、あのご協力よろしくお願いしたいと思っております。以上で私の考え方を申し上げました。

 -- まだ若干時間がございますがよろしいですか?

何分?

 -- あと1分ぐらいございます。

1分、あーいいです。

 -- いいですか?それじゃ、麻生さんよろしくお願い致します。


● 麻生太郎

 あそ・・グフン、麻生太郎です。えーまさかぁ、同じお招きをーこういう短期間に2回も受けるという予定は、私の想像を超えておりました。予定外でしたけれども、本日もどうぞよろしくお願いを申し上げます。

 まず最初に、甚だ突然のこととはいえ、内閣総理大臣の突然の辞意表明によってぇ、こういった形での政治、国会開会中ということでもありますので、その空白期間が(を)招いたと、いうことに関しましては、甚だ短期間でとは思いましたけれども、約11日間の時間を戴くことになったことに関して、お詫びを申し上げたいと存じます。

 私の所信を申し述べたいと存じます。私は「小さくても温かい政府、小さくても強い政府」を作りたいと申し上げております。

 経済は名目成長率にして、少なくとも2%以上、フロー(flow:流れ)の伸びを追求するということを申し上げております。高齢化に伴い、活力ある高齢化社会というものも申し上げております。

 また、中国との付き合い方を訊かれた時には、「日中共益」つまり中国とは「共益」だと、李肇星(リ・チョウセイ)外交部長にも申し上げましたけれども、その通りと思っております。

 地方分権、また、それには地方に「経営感覚」をということも申し上げております。今日は今申し上げた公約について、全然違った角度から説明をさせていただければと存じます。

 あのーまず最初に私が政治信条としておるところは、日本人に対する信頼であります。日本人への信頼。

 有史始まって以来このかた、日本ぐらいではないかと存じます。切れ目の無い伝統を保持しております。ひとつの国家として自主独立の道を永々として歩んできた国家だと存じます。

 危機に臨んで外国勢力に学ぶことはあっても、引き入れるということはしておりません。幕末における危機に際してさえそうでありました。天皇家にあってはその間、男系の皇統をずっと維持しておられる。我が国の歴史には、お陰さまで1本太い大黒柱が通っているわけでもあります。

 これほどまでに今様の言葉で言うと、サステインナベリティー(sustain-ability)という持続可能性というものを、体現してみせた国が他にあるだろうかと。歴史を通じて国柄というものを維持してまいったのが、私どもの国「日本」であります。

 人間、じいーっと同じ一つの姿勢で立つということは、よっぽど鍛えた筋肉を持った人でもそうそう出来るものではありません。日本という国家は、例えて言えばほぼ2000年、それをやってきた国であります。足がよっぽど強い国だと思っております。

 保守すべきは保守し、そして危機に臨んで改革すべきは改革してきた。そのことに我々の先輩たちは、文字通り命を賭けて参りました。私はそう思っております。

 よく中国の台頭で日本は負ける、といった類の議論も出てまいります。私はこの種の話があまり信用できません。中国の台頭という現象を見まして、大歓迎と本心で申し上げます。たぶん日本の外務大臣として公に中国の台頭、発展、成長を「歓迎」という言葉を使った最初だと思います。

 何故なら日本という国は、強い相手が周りに現れて来ると、先方の良い所を吸収し、必ず自分の力で脱皮してきたという国だから。中国とは「共生」というより「共益」つまりお互いに益するという関係にならねばならぬ、また出来る、と信じております。

 なにせ持続性においては優れた国でありますから、国家経営の模範というものを、ハッとするようなものが、実は過去の歴史にもあります。

 例えば、江戸の町。人工100万の都市を統治する、今で言えば「行政」「省」の仕事を、みな担当しておりましたのが、ご存知「大岡越前守」などで御馴染みの「江戸南北町奉行所」であります。

 その奉行所で働いていたお役人は何人くらいだったと思われるでしょうか。わずか300人弱という資料がございますが、100万都市に300人だったんです。それでいて、幕末日本に来た外国人は、江戸の清潔ぶりとか、また老いも若きもニコニコして、機嫌よく暮らしていたところに驚いております。

 たった300人という、まぁ小さな政府としては究極の小さな政府。その小さな政府が、同時に温かい政府でもあったと、いうことです。それはほとんど今なら、区役所でしているような仕事というのは、全部民間人がやっていたからです。その多くはご隠居さんだったといわれております。

 江戸時代というのは、究極の民間活力。ボランティア全盛期でもあります。活力ある高齢化社会でもあったと存じます。この間、総務省の出した資料によりますと、65歳以上の高齢者の方は2744万人。しかし、その内、要介護、いわゆる支援が必要な人は、別の統計によれば16.6%と出ております。したがって残りの83%強という方々は、基本的には元気な高齢者。ここにも大勢来ておられます。

 昨日、67回目の誕生日を迎えた私にとりまして、年に2回もこのしんどい総裁選を闘えると言う体力はあると、いうことでもあるかと存じます。

 私はこういう高齢者という方々を、税金を使う人、タックス・イーター(tax eater)ではなくて、税金を払う、タックス・ペイヤー(tax payer)にしたい。出来るはずだというのが、私の活力ある高齢化社会であります。

 そして、そのモデルというのは、私どもは今一度200年以上に亘ってやったことがあったと、いうことだと存じます。

 今、高齢者の約6割が働く会社というものは、従業員数30人未満、いわゆる零細企業であります。したがって私は、名目成長率で見て2%以上の必要があると申し上げている次第です。高齢者を吸収してくれる零細企業にしっかりしてもらわねばならぬと、その点だけをとりましても成長というのは大事だと思っております。

 また、地方の会社に頑張ってもらわねばなりませんが、その、頑張ってもらう環境作りとか方向付けとか、これは地方の首長さんにやってもらうべきだと存じております。権限と財政面と、そして人材を工面して差し上げる必要があろうと存じます。それについては地域を経営する、それによって地域を経営してやる。

 もう一度、江戸の話をさせていただきますが、江戸の世の中というのは、子供は遊ばせていた、「子ども扱い」しておりました。当たり前じゃないかとお思いでしょうが、同時代の世界にそんな国は二つとしてありません。

 「桃太郎」「一寸法師」また「浦島太郎」等と、子供向けの物語があんなに早くからあったという国は、他の国にはありません。因みに、大人向けの童話ではありますけども「グリム童話集」、あれは1812年が初版であります。19世紀に入ってから。

 私は、これが文化の土台としてあったからこそ、昭和に入って大恐慌になった時、私はある偉大な失業対策事業が全国に広まったんだと存じます。何かといえば「紙芝居」です。失業者が手軽に出来る仕事でもありました。「紙芝居」は、シネマ、映画の技法ですアレは。映画のやり方を取り入れている。そして、全体がストーリーと、物語になっている。

 これをワクワクして観た世代がどういう世代だったか。戦後マンガのパイオニアになった偉大な作家たちです。名前は挙げる必要もないと思います。したがって、ストーリー・マンガ、物語のあるマンガという、それまで世界のどこにも無かった。独特のジャンルが生れました。映画の技法を駆使した分封が生まれたんだと存じます。

 それが今、「ドラゴンボール」だ「キャプテン翼」だとなって世界中の青少年を熱狂させております。どうでしょう、日本にある「物語」は、永い永い歴史の成長を得ております。もういいかげん日本人の持つ「日本独特の自発的な想像力」、「新しいものを作る力」というものに信を置いていい時代だと、私はそう考えております。

 あらためて申し上げます。我が国は、脈々として続いた伝統に誇りを持ち、そして勇気を持って改革、「新しき」を創造してゆくことが出来る国だと、私は幕末の志士の如く同様に国家の為に頑張りたいと思っております。

 長時間のご静聴ありがとうございました。

(最後時間を少しオーバーしてダメだしが入った)

 

  



ネット世論調査ポスト安倍決選投票!【麻生VS福田】





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【2007/09/21 19:12】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(0) | コメント(2)
拝啓 自民党殿
 ※ 多少眠れるようになったが、やはり心配な総裁選。平日に入ったとたんに、テレビで総裁選のニュースが極端に減ってしまったからだ。いつもの瑣末な話題でお茶を濁している。

 総裁選は実質、一国の総理を選ぶ大ニュースじゃないのですか?何もなかったかのように時の過ぎるを待っているかのようなこの国の空気に怒りさえ覚えます。

 福田氏の発言を思い返すと、何故この人が出馬し8派閥もが支持するのか分からなくなる。内容が全く無いからだ。そもそも前総裁選時に年齢を理由に結果的に逃げた御仁だ。謀略説が出ても無理がない。いや本当に謀略なんでしょう。

 福田氏から「拉致問題は私の手で解決する」という旨発言を聞いて、筆者は飛び上がらんばかりに驚いた。あなたに拉致を語ってもらいたくない人は大勢いると思いますよ?ここで早くも怒り心頭である。確かあなた官房長時代に「嘘つきは泥棒のはじまり」とおっしゃってましたよね?あなた泥棒ですか?

 こんな御仁が次期総理になりたいとおっしゃる。安倍総理が身も心もボロボロになるまで闘い、この国の軌道を整え始めた矢先に、国家観も何も持たない嘘つきが舵取りをすると?


 ああ。睡眠が足りて頭がすっきりしてきたはいいが、この怒りをどうしたものか。第一の権力であるテレビ報道がいつまでものぼせているなら、こちらも黙ってはいられない。ネットの力なんて比べりゃノミかも知れんが、それでも声にはなる。

 麻生氏は奇妙な総裁選ルールに手足を縛られ、それでも諦めずに闘っておられる。自然体で国旗に敬礼をする麻生氏にこそ、この国の舵取りをまかせたい。これが普通の日本人の意志であるはずで、新聞各社の支持率は全く民意であるとは思えない。


□福田氏発言 (15日)

・憲法改正について
「憲法改正は党是という方針は変わらない。ただ、国会の同意がないといけない。自民、公明両党だけで決めていいものか考えないといけない」

<天皇陛下・国旗・国歌を侮辱する輩の意見をも尊重する?

・集団的自衛権の行使について
「いろいろ研究することはいい。ただ、憲法に抵触するかは慎重に考えたほうがいい」

<妙な憲法を守って国を守らず?

・基礎年金国庫負担率引き上げ財源として、消費税率を引き上げることについて
「社会保障が増えると(国家財政の)どこかを削らないといけないが、国民へのサービスが低下してはいけない。今の政治状況で国の赤字は増やせない。今後の議論にしたい」

<耳にたこです。

・靖国神社に参拝するかどうか
「相手がいやがることをあえてする必要はないだろう。配慮しないといけない」

<相手とは誰ですか?国民が望んでいるのです。

・北朝鮮問題について
「交渉しようという姿勢、意欲が向こうに伝わる方法がないのか工夫しなければいけない」

<テロリストに謙虚ですね。

・新国立追悼施設について
「すべての戦争犠牲者を追悼できる施設はいつかできてほしい」

<そもそも追悼する心はあるのですか?

・日本の方向性について
「自立と共生の社会だ」

<民主党と同じですね。

□ 同 16日

・政権公約
「希望と安心のくにづくり」

<意味分かってますか?

・衆院解散・総選挙について
「問題意識が共有できれば野党との話し合いもある」

<!!!!!

・渋谷での街頭演説の後
「みなさん一生懸命に聞いてくれた。私のつまらない話を」

<本当に自覚して下さい。

・拉致被害者の家族会や支援組織「救う会」などが開いた緊急集会にも

<出席しませんでしたね?

□ 同 17日

・拉致問題について
「私の手でこの問題を解決していきたい。拉致被害者が帰国し、核、ミサイル問題が解決すれば国交正常化ができる」

<あんな国と!?

・拉致問題について上記の発言の真意を問われ
「意欲を示したんです、意欲を! まだ私は日朝交渉の詳細を知らないんだから。具体的なことはよく話を聞いた上でやらないと…」

<国民をバカにしてます?

・再び拉致問題について
「北朝鮮に残っている方がいると聞くと捨ててはおけない」

<。。。。。




 ※ いやいや議員になったとのたまう御仁が、派閥談合に祭上げられ操られ立ち上がりました。政策論争も無いままに、8派閥が乗り出した総裁選デキレース。こんな自民党を見せつけられた国民がどう感じるか、これが自民党崩壊の決定打になるということに、まだ自覚できないのですか。中国各紙に好意的な記事を書かれて、侮辱されてもまだ続行するつもりですか?

 拝啓自民党殿、聞こえていますか?

 

 

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【2007/09/19 17:24】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(0) | コメント(2)
総裁選 その矛盾に混乱するマスコミ
 ※ 前述しましたが、筆者は安倍総理辞任の1週間ほど前から、政局に胸騒ぎを覚えずっと睡眠不足が続いていました。眠ってもほんの2~3時間で目が覚めてしまうという状態だったのです。

 しかし、昨日の昼頃からやっと連続して充分に眠れました。そのお陰でとんでもない時間に起きているわけですが頭はすっきりしましたよ。同時に、政局の方も恐らく針が戻りつつあるのではないかと感じています。

 やっとたまっていた疲れもとれ、おもむろに昨夜テレビ報道を見ていて感じたことですが、大阪での街頭演説の模様です。カメラのアングルがあまり聴衆を捉えておらず、福田・麻生の両氏のアップがほとんどでした。世論調査などの様子は、両氏への支持を交互に映していましたが、いまだに福田優勢を伝えていました。

 筆者は昨日眠りにつく前に、ネット上で「不可解な福田優勢報道」についての興味深い情報を得ていました。恐らくはその情報を今頃は、ネット環境にあり興味を持っておられる方々なら周知のことと思いますので、ここではあえて触れません。


 その情報を念頭にテレビ報道を見ていたのですが、決定的に優勢なはずの福田氏に笑みが無いのです。それどころか顔色に不安が漂っていました。福田氏は現実に晒されて国民の真意がどこにあるのかに気付いたようです。あの出馬表明記者会見での浮かれたような表情は全く消えていました。

 それにひきかえ麻生氏の表情には力強さがありました。満面の笑顔には自信と覚悟が見えます。画面には映されなくとも、麻生氏への熱い声援が聞こえています。福田氏の不安な顔と麻生氏の笑顔が対照的でした。

 安倍総理辞任直後は、次期総裁は麻生氏が圧倒的に有力でした。実績もあり、安倍総理の信頼のうえで幹事長に就いていたことで、それが自然な流れでした。報道もそう伝えていました。

 ところが、たった1夜で「福田氏優勢」に激変したのです。ほとんどその存在も忘れかけていた福田氏がなぜ急浮上したのか。自民党内の派閥が雪崩をうって福田氏を擁立した裏で何が動いていたのか。

 安倍路線を大きく後退させるに違いない、何もかもが真反対の福田氏を圧倒的多数で担ぎ上げる自民党とは、いったいどこを向いた政党なのか。愕然としました。そこに安倍総理の苦悩があったのでしょう。

 そして、マスコミの報道姿勢は一斉に福田優勢を伝え始めました。そして、麻生氏と与謝野氏によるクーデターという怪情報も流れました。麻生氏不利のお膳立てのような情報は、総理辞任の前からちらほらありましたが、ここで一挙に姿を現した感があります。

 (その怪情報を流した大元が、例の情報で明らかにされていました。他にも別の経路から同じ結論に達した情報もありました。)

 ところがどうでしょう。街頭演説の反響は真反対です。今度ばかりは世論操作し切れなかったのです。しかし国民には投票権がありません。まだ時間はありますが、あと土曜日の1回(二人同席)だけですか?このルールも報道を操作し易くするためのようですが、上手くいくでしょうか。

 あの安倍政権を転覆させたマスコミが、今度は世論を操作しきれない。そこにマスコミの混乱が見えました。それは、福田政権を実現させたい勢力と、民主党政権を実現させたい勢力が、その矛盾のため混乱しているのです。

 民主党を推したい勢力にとっては、福田氏より麻生氏のほうが叩きやすい。しかし、思想的には麻生氏より福田氏を推したい。福田氏になれば自民党の崩壊が想像できる。さてどうすればよいのか。国会だけではなく、マスコミにもねじれ現象が起きているようです。これまでは安倍政権を叩くという点で一致していたが、総裁選では一致が難しくなったということです。

 マスコミが福田氏支持に世論を誘導できなければ、議員は当然、次期選挙を睨んで麻生氏支持に寝返るでしょう。街頭演説での麻生氏圧倒的支持を肌で感じ、福田氏陣営は決戦の日まで票を減らす一本道です。小泉前総理の総裁選を彷彿とさせる光景でした。

 筆者は、この総裁選の結果がどう転ぼうと、少し安心しました。国民のバランス感覚にです。安倍総理の辞任ショックがそうさせたのなら、総理の最後に仕掛けた「局面の転換」が見事に結実しようとしていることになります。

 どうですか?小沢民主党の立場が今、どこにあるのでしょう?すっかり注目されなくなり、国会が動き出すまでの間に「テロ特措法」の問題も国民に周知が進むことでしょう。それは小沢民主党の危うさが周知されることと同義ではないですか。

 これでやっと少し安眠できそうです。
 


☆ 緊急追記: 麻生氏の秋葉原での演説の模様、その真実の映像を見つけました。マスコミはいったい何を報道しているのでしょうか。

□ 麻生太郎 秋葉原演説 07年9月16日


□ 麻生太郎 秋葉原演説 07年9月16日 その2




 

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【2007/09/18 08:08】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(0) | コメント(2)
『誇り~伝えようこの日本(くに)のあゆみ~』について
 ※ 日本JC(青年会議所)製作DVDアニメ『誇り~伝えようこの日本(くに)のあゆみ~』について、共産党から何やらクレームがついたというニュースを以前に聞いた(読んだ?)ことがありました。先ほど偶然その動画を見つけたのでさっそく拝見してみました。

 内容については短い時間で近現代史を強引に(?)まとめているところから、これを観て歴史を学ぶというものではなく、その後のステップ(興味を引き出す)を期待するもののようですね。なかなかの出来ばえかと思います。

 主人公はどこにでも見られるような今どきの女子高生。夏休みのひと時の体験が感動的に描かれてあります。これ以上は言うまい・・・、まだの方はどうかご一見を。

 クレームといっても共産党からのものですから、これは思想的政治的なものです。日本は共産主義国ではないのでこのクレームはどこまでも平行線。まともに受け取る必要はないかと思いますがどうでしょう?


□ 『誇り~伝えようこの日本(くに)のあゆみ~』1


□ 『誇り~伝えようこの日本(くに)のあゆみ~』2


□ 『誇り~伝えようこの日本(くに)のあゆみ~』3


 

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【2007/09/17 09:07】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(0) | コメント(9)
安倍総理の実績
 ※ 毎週楽しみにしていた「安倍内閣メールマガジン」。9月13日付けの「こんにちは、安倍晋三です」を読んで、あらためて無念に思いました。もっとも、一番無念に思っておられるのはご本人かと思いますが。


[こんにちは、安倍晋三です]

● 改革、テロとの闘いを前に進めるために

 こんにちは、安倍晋三です。

 内閣総理大臣の職を辞することを決意いたしました。

 7月29日の参議院選挙の結果は、大変厳しいものでしたが、改革を止めてはいけない、戦後レジームからの脱却の方向性を変えてはならない、との思いから続投の決意をし、これまで全力で取り組んできました。

 また、先般のAPEC首脳会議が開催されたシドニーにおいて、テロとの闘い、国際社会から期待されている、高い評価をされている活動を中断することがあってはならない、なんとしても継続していかなければならない、と申し上げました。

 国際社会への貢献、これは私の「主張する外交」の中核であります。この政策は、なんとしてもやり遂げていく責任が私にはある。こうした思いで、活動を中断しないために全力を尽くしていく、職を賭していくと申しました。

 テロとの闘いを継続するためには、あらゆる努力をする。環境づくりについても努力しなければならない。一身をなげうつ覚悟で、全力で努力すべきと考えてまいりました。

 そのために、私は何をすべきか。

 局面を転換しなければならない。これが私に課せられた責任であると考えました。

 改革を進めていく、その決意で続投し、内閣改造を行ったわけですが、今の状況で、国民の支持、信頼の上で、力強く政策を前に進めていくのは困難である。ここは、けじめをつけることによって、局面を打開しなければならない。そう判断するにいたりました。

 新たな総理のもとでテロとの闘いを継続していく。それを目指すべきではないだろうか。今月末の国連総会へも、新しい総理が行くことがむしろ局面を変えていくためにはよいのではないか、と考えました。

 決断が先に延びることで困難が大きくなる、決断はなるべく早く行わなければならない、と判断いたしました。

 無責任と言われるかもしれません。しかし、国家のため、国民のみなさんのためには、私は、今、身を引くことが最善だと判断しました。

 約1年間、メルマガの読者のみなさん、国民のみなさん、ありがとうございました。

 この間にいただいた、みなさんの忌憚のないご意見、心温まる激励を、私は決して忘れません。

 私は官邸を去りますが、改革、そしてテロとの闘いは続きます。これからも、みなさんのご支援をお願いします。(晋)





 ※ 巷では安倍総理の功績を知りもせず、また、知ろうともせず、このたびの辞意表明のタイミングのみをもって「無責任」というレッテルを貼り、安倍総理の人間性を根底から貶める向きが見られます。人を評価するに、それはいかがなものか。例えばご自分がそんな評価のされ方をした場合はどうなのか。

 筆者は、安倍総理のこのたびの辞任のタイミングを「無責任」の一言では評価できません。これまでの言動、態度、姿勢、実績から判断して、総理は責任感はもちろんのこと使命感をもってしっかりと行動されていたと思えるからです。個を捨てて公人として。

 したがって、このたびのタイミングはやむおえぬご判断と見ています。歴代総理の例にはない愚行と言われますが、戦後の総理にはなかなか例が無い素晴らしい総理であったと思います。辞任理由を詮索するのも不毛です。複合した諸問題を考えてのこと。

 このメルマガを読んでいて無性に総理のこれまでの仕事振りをふり返りたくなりました。少し、主なものだけを列記してみました。もちろん、ここに列記されている以外のものの方が多いと思いますが、あまりに雑多になり資料を調べるにも限界がありますのでここまでとしました。いろいろと思い浮かべていただければと思います。(北朝鮮への制裁措置など一連の拉致関連政策があります)

 そして、心からお疲れ様、ありがとうございました。しばらくはゆっくりご静養なさって心身共に英気を養い、また再びこの国の先頭に立って舵取りをお願い致したく思います。

 





□ 安倍政権の実績

● 平成18年

9月26日 安倍内閣発足(「美しい日本」という国家展望を内外に示した)
10月 8日 中国訪問 胡錦涛国家主席と会談
   9日 韓国訪問 盧武鉉大統領と会談
  18日 教育再生会議が初会合
11月   貸金業規制法など関連法案の改正案(3年後実施)
12月15日 教育基本法の改正 防衛庁の省昇格関連法の成立

● 平成19年

5月14日 国民投票法(憲法改正の手続きを定めるもの)
  18日 「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(集団的自衛権をめぐる事例研究)」が初会合
6月20日 教育関連3法が成立
  30日 社会保険庁改革関連法、公務員制度改革関連法が成立
 
□ 安倍総理の外交(公式外国訪問や国際会議出席)

● 平成18年

9月28日 日韓電話首脳会談
10月 8日 中国訪問 
  9日 韓国訪問
   9日 日米電話首脳会談  
11月 6日 潘基文韓国外交通商部長官の表敬
11月18~19日 第14回APEC首脳会議(ハノイ、ベトナム)首脳会議出席
(二国間会談等)
  ・日露首脳会談(平成18年11月18日)
  ・日韓首脳会談(平成18年11月18日)
  ・日米首脳会談(平成18年11月18日)
  ・日米韓首脳会談(平成18年11月18日)
  ・日豪首脳会談(平成18年11月18日)
  ・日中首脳会談(平成18年11月18日)
  ・日チリ首脳会談(平成18年11月17日)
  ・日チリ経済連携協定(平成18年11月17日)
  ・日シンガポール首脳会談(平成18年11月17日)   
11月19~20日 ベトナム公式訪問    
  ・安倍総理のチエット国家主席表敬(平成18年11月20日)
  ・安倍総理のマイン書記長表敬(平成18年11月20日)
  ・日ベトナム首脳会談(平成18年11月19日)
  ・日ベトナム首脳と財界人の会合(平成18年11月19日)

11月21日 ラスムセン・デンマーク首相との会談(総理官邸)
12月 9日 フィリピン公式訪問(首脳会談等)
12日12日 日豪首脳電話会談
 
● 平成19年

1月 9~13日 (英国、ドイツ、ベルギー、フランス訪問)
  ・日英首脳会談(平成19年1月9日)
  ・日英共同声明 ~未来のための枠組み~(平成19年1月9日)
  ・ブラウン英蔵相による安倍総理表敬(平成19年1月9日)
  ・キャメロン英保守党党首による安倍総理表敬(平成19年1月9日)
  ・日独首脳会談(平成19年1月10日)
  ・安倍総理のケーラー独大統領表敬(平成19年1月10日)
  ・バローゾ欧州委員長との会談(平成19年1月11日)
  ・日ベルギー首脳会談(概要)(平成19年1月11日)
  ・NATO事務総長との会談及び北大西洋理事会出席(平成19年1月12日)
  ・北大西洋理事会(NAC)における安倍総理演説「日本とNATO:更なる協力に向けて」
  ・日仏首脳会談(平成19年1月13日)
  ・ロワイヤル元環境大臣による安倍総理表敬(平成19年1月13日)
  ・サルコジ国務大臣兼内務大臣による安倍総理表敬(平成19年1月13日)

1月14日 第2回東アジア首脳会議等出席(フィリピン訪問)
  19日 日スイス電話首脳会談
2月14日 日チェコ首脳会談
  14日 日米首脳電話会談
  16日 李肇星中国外交部長の表敬
  22日 日ルーマニア首脳会談
  26日 日モンゴル首脳会談
3月 6日 日ボリビア首脳会談
  12日 日リベリア首脳会談
  20日 日シンガポール首脳会談
  22日 ムカジー・インド外務大臣の表敬
  27日 フォックスレイ・チリ共和国外務大臣の表敬
4月 3日 日タイ首脳会談  
  10日 日ドミニカ首脳会談 
  11日 日中首脳会談
  16日 日イタリア首脳会談
  23日 日モナコ首脳会談
4月26日~5月2日(米国、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、クウェート、カタール、エジプト訪問)
  ・日米首脳会談(平成19年4月27日)
  ・エネルギー安全保障、クリーン開発及び気候変動に関する日米共同声明(平成19年4月27日)
  ・グローバル貿易、エネルギー及び環境に関する課題に対処するための日米協力(平成19年4月27日)
  ・日米文化教育交流会議(カルコン)の改革について(平成19年4月27日)
  ・米国連邦議会議員との会談(平成19年4月26日)
  ・ベセスダ海軍病院訪問(平成19年4月26日)
  ・アーリントン国立墓地訪問(平成19年4月26日)
  ・ブッシュ大統領夫妻主催夕食会への参加(平成19年4月26日)
  ・日系米国人慰霊碑訪問(平成19年4月27日)
サウジアラビア王国と日本国の間の共同声明(平成19年4月28日)
日本国とアラブ首長国連邦との間の共同声明(平成19年4月29日)
クウェート国と日本国の間の共同声明(平成19年5月1日)
カタール国と日本国の間のプレス声明(平成19年5月1日)
安倍総理訪エジプトに際しての日本・エジプト共同声明(平成19年5月2日)

5月 9日 サルコジ次期フランス大統領との電話会談
  14日 日ラオス首脳会談
  14日 日米首脳電話会談
  22日 日マレーシア首脳会談
  23日 日フィリピン首脳会談
  24日 日豪首脳電話会談
  24日 ファム・ザー・キエム・ベトナム副首相の表敬
6月6日~8日  G8ハイリゲンダム・サミット及び日・EU定期首脳協議出席(ドイツ訪問)
   5日 第16回日EU定期首脳協議
  13日~16日 日カンボジア首脳会談等
  18日 ボルキア・ブルネイ国国王との会談
  21日 ハリリ・アフガニスタン副大統領の表敬
  26日 日ガイアナ首脳会談
7月 2日 ナルィシュキン・ロシア副首相の表敬
   3日 チュオン・ヴィン・チョン・ベトナム副首相の表敬
  10日 クシュパン・スイス副大統領の表敬
8月 8日 日レソト首脳会談
8月20日~24日 インドネシア、インド、マレーシア訪問
  ・インドネシアにおける安倍総理大臣政策スピーチ「日本とASEAN――思いやり、分かち合う未来を共に」(Japan and One ASEAN that Care and Share at the Heart of Dynamic Asia)平成19年8月20日)
  ・日インドネシア首脳会談(平成19年8月20日)
  ・日本国及びインドネシア共和国による気候変動、環境及びエネルギー問題についての協力の強化に関する共同声明(平成19年8月20日)
  ・日インドネシア経済連携協定
  ・新次元における日印戦略的グローバル・パートナーシップのロードマップに関する共同声明(平成19年8月22日)
  ・日本国政府とインド共和国政府による環境保護及びエネルギー安全保障における協力の強化に関する共同声明(平成19年8月22日)
  ・インド国会における安倍総理大臣演説「二つの海の交わり」(Confluence of the Two Seas)(平成19年8月22日)
  ・プロシャント・パール氏との懇談(平成19年8月23日)
  ・印日文化センター開館式出席(平成19年8月23日)
  ・ムカジー・インド外務大臣による安倍総理大臣への表敬(平成19年8月22日)
  ・アドバニ野党下院リーダーによる安倍総理表敬(平成19年8月22日)
  ・日印学長懇談会への出席(平成19年8月21日)
  ・日印両首脳への経済ミッションの表敬(平成19年8月21日)
  ・安倍総理夫人の日本映画祭開会式出席(平成19年8月21日)
  ・日本マレーシア外交関係50周年に際しての共同声明「変わらぬ友情と広範なパートナーシップ~共通の未来に向けて」(平成19年8月24日)

8月29日 日独首脳会談
9月 3日 日チリ首脳会談
 8日~9日 アジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議出席
  ・安倍総理大臣のAPECビジネス諮問委員会との対話(平成19年9月8日)
 (二国間会談等)
  ・日メキシコ首脳会談(平成19年9月9日)
  ・日米首脳会談(平成19年9月8日)
  ・日露首脳会談(平成19年9月8日)
  ・安倍総理と胡錦濤中国国家主席とのAPEC首脳夕食会におけるやりとり(平成19年9月8日)
  ・日米豪首脳朝食会(平成19年9月8日)
  ・日豪首脳会談(平成19年9月9日)



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【2007/09/14 07:13】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(0) | コメント(2)
安倍総理の辞任
 ※ 安倍総理が辞任を表明いたしました。筆者はこのニュースを今しがた知りました。今日に限ってテレビをつけたのが5時を過ぎての事で、何が起ったのだろう騒がしいなと画面を注視していると「安倍総理辞任」と。

 どうしたことだ。言葉を失うほどショックです。しかし、総理ご本人が決心したことです。この非常事態を自民党がどう乗り切るか、しばらく眺めているより他はありません。

 この事態、私たちがひとつ念頭に置かなければならないことがあると思います。それは情報について。マスコミの情報操作にこそ問題があるということ。あわせて、政府、内閣、総理ご本人から出せる情報には限りがあるということです。

 まず、総理自身が国民に向けて自らの真意を伝えるに、その手段があっただろうか。「戦後レジームからの脱却」を掲げて発足した政権なのですが、この意味を知りえる国民はごく一握りだった。

 筆者は、それを説明する努力を惜しんだとは思いません。それを強力に反対する勢力が大勢を占めるこの日本の状況で、核心をつく説明をすることは危険極まりない。総理の口から出る言葉はすべて、反対勢力により歪曲され世界にばら撒かれます。

 マスコミは今も昔も第一の権力であり、この国の政治を自由自在に混乱、混迷させ、正しい方向へ向かおうとすることを阻んできた。安倍総理が改革しようとメスを入れた組織は、全て戦後レジームでありました。この大勢を占める戦後レジーム勢力が国民を操作し、総理にとどめを刺したのです。

 筆者は、総理の辞任を当然だと思っている国民に訊きたい。あなた方はそれを一番喜んでいる北朝鮮や中国、国際テロ集団に加担していることを認識していますか?

 

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【2007/09/12 19:58】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(0) | コメント(10)
行動に勝る支援はない
2001.9.11 アメリカ同時多発テロ ※ 2001年9月11日、世界中を震撼とさせた「アメリカ同時多発テロ」。6年前のあの日「とんでもないニュースが・・・」というキャスターの声に画面に目をやると、ニューヨーク世界貿易センタービルからモクモクと立ち上る黒煙が映っていた。これは事故なのか?もしやテロではないかと不安に思いながらも、あまりの惨劇に声も出なかった。

 ニュースは速報を伝えたあと通常にもどるも、間もなく「2機目が突入した」と映像が切り替わった。その後ペンタゴンへの突入、4機目の墜落と合計4機の民間航空機をハイジャックしたテロであったことが報道された。あの事件以来、世界中でテロとの戦いが始まった。

 
 さて、昨夜テレビ東京で「三丁目のポスト」という番組を、これ初めて観たのですが、「911テロ」での日米消防士の感動エピソードが紹介されていました。アメリカ政府は国際テロ事件であったことから、他国の救援は一切受け付けていなかったのです。たった一例、日本人消防士の有志11人以外は。

 この日米の消防士たちはスポーツや研修を通じて親交があり、事件はメールで知らされた。事態はツインタワーの崩壊、仲間の多くが行方不明となっていた。普段は剛健な消防士の「助けてくれ!」という文字に11人は行動する。

 非常事態宣言の最中、現場へ入れる保証は全く無かったが、ともかく日本を発ったという。日本政府からの派遣ではない、個人として休暇を利用し自費で駆けつけたのだ。

 そして到着後、許可されずとも毎日現場へ通い交渉を続けたという。諦めずに通った11人は、帰国前日の最後の日にようやく許された。あの現場でアメリカ人に混じって唯一日本人消防士11人が救助活動を行っていたのです。

 番組の中で、双方の消防士は本当に輝いていました。その友情も美しいけれど、それが日本人であったことに見ていた筆者もつい誇らしく感動してしまいました。やはり行動に勝る支援はないのですね。



 今、「テロ特措法」の延長問題が政界を揺るがしています。小沢民主党党首は、とうとう外交問題までも政局にしてしまいました。その原則を無視した手法で、今世界から求められている「延長」を阻止されることになれば、日本はかつて湾岸戦争の時に行動せず、多額の支援金で済ませたばかりに、全く信用を失った。それ以前の状態に逆行してしまうのです。

 信用を失うことはたやすいことなのです。しかも個人ではなく国家の信用なのです。湾岸戦争以降、この上なく地に落ちた国際社会での信用を得るために、その後長く地道に自衛隊が努力を重ねてくれました。




□ 国際派日本人養成講座:気は優しくて力持ち ~自衛隊海外支援奮闘記
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h19/jog502.html

●「サマワの人々は彼らが『古きニッポン』の子孫として、愛情と倫理に溢れた人々であることを見出した。」

1.「東洋・アジアを代表してどうか頑張ってきてください」

 平成3(1991)年、湾岸戦争時にイラクがペルシャ湾に敷設した機雷を除去するために、海上自衛隊の掃海部隊が派遣された。ペルシャ湾沿岸で採掘された原油は、巨大なタンカーで日本を含め世界各国に運ばれる。そこに敷設された機雷は、世界へのエネルギー供給を脅かす存在であった。

 指揮官だった落合元海将補(当時、一等海佐)は、こう語っている。

 とにかくアジア各国は我々掃海部隊を大歓迎で迎えてくれましたよ。最初の寄港地フィリピンでもそうでしたし、またシンガポールでは軍の最高司令官から「東洋・アジアを代表してどうか頑張ってきてください。よろしくお願いします。そのための支援ならなんでもしますので遠慮なく言ってください」とまで言われたのです。またペナンでも、スリランカでも、そしてパキスタンでも同様の大歓迎を受けました。

 ところが、日本からFAXで送られてくる新聞記事に我々は目を疑いました。当時日本のマスコミが報じていたのは、我々が体験し、目の当たりにしているアジア各国の大歓迎ぶりとはまるで異なる「アジア各国の不安や対日警戒」なる虚構でした。結局、彼らはありもしないことを捏造して国内で報道していたわけです。我々は船上でこの事実を知って、怒りを禁じ得ませんでした。

 
 当時、日本の一部マスコミは、自衛隊の海外派遣は「アジア各国の不安や対日警戒」を引き起こす、という理由で反対していたのだから、こうした「不都合な真実」をありのままに報道するわけにはいかなかったのだろう。

2.「皆さんは大きな誇りである」

 しかし、初の海外派遣に、511名の隊員の士気はすこぶる高かったという。落合元海将補はこう振り返っている。

 派遣隊員の平均年齢は32.5歳でしたから、結婚適齢者が多かったんです。12月頃から準備して5~6月には結婚を考えていたのでしょうが、部隊のペルシャ湾派遣が決まるや凛然として任務を引き受け、挙式を延期してまでこの任務に参加した者もおりました。本当に頭が下がる思いでしたよ。

 娘の結婚式を欠席してこの派遣部隊に加わった年配の隊員は、結婚式が始まる時間に、掃海艇の後部甲板に立って祖国の方角に一礼していたという。

 掃海部隊は、ペルシャ湾の難所と言われる海域で、酷暑のなか、34個の機雷を処分して、各国のタンカーが安全に通行できるようにした。一人の死傷者も出さずに、これだけの成果を上げたことは、各国海軍を驚かせた。

 海上自衛隊の掃海能力は世界一と言われている。大東亜戦争末期に米軍が日本周辺に蒔いた機雷を今日までに約7千個も除去してきた。殉職者も79名に上る。世界でこれほどの機雷除去の経験と技術を持つ部隊は、日本の海上自衛隊をおいてない。だからこそ、国際社会からペルシャ湾への掃海部隊派遣を求められたのである。

3.「皆さんは大きな誇りである」

 日本は湾岸戦争で130億ドルもの拠出をしたが、金だけ出して血も汗も流さない姿勢は、国際社会で冷ややかに見られていた。現地の在留邦人も肩身の狭い思いをしていた。

 ところが、日の丸を掲げた掃海部隊がやってくるや、アラブ諸国は歓呼して迎え、在留邦人の子どもたちも他国の子どもからいじめられる事がなくなった、という。バーレーンでは在留日本人会が歓迎パーティーを開催して、「アラブの国で働く日本人にとって、皆さんは大きな誇りである」と挨拶した。

 掃海部隊が呉市の基地に帰還した際には、クウェートのアルシャリク駐日大使は呉まで出迎えて、こう述べた。

 機雷掃海の任務を終え、帰国されたことに感謝します。初めて日本が海外に自衛隊を送ったことの意味は、湾岸各国だけでなく全世界が高く評価すると思います。

4.「子供が病気になったと話すと必ず薬をくれる隊員がいた」

 ペルシャ湾掃海部隊の成功から、自衛隊のPKO(国連平和維持活動)派遣への道が開かれた。翌平成4(1992)年8月に「国際協力(PKO)法」が成立し、その翌月には陸上自衛隊の施設大隊が、戦乱から立ち直って民主選挙を控えたカンボジアへ派遣された。

 カンボジアは長く続いた内戦で、国道や橋梁が破壊されていた。明石康氏が代表を努めるカンボジア暫定機構(UNTAC)に、海空陸自衛隊から総勢1800人以上が派遣された。その中心となった陸上自衛隊1200人は、1年間の任務期間中に道路100キロを修理し、橋梁約40を補修した。地元の人々は自衛隊を大歓迎し、「日本の侵略行為の兆候」などと反対する者は一人も出なかった。

 当時のカンボジアは内戦の直後で、まだ危険な状態だった。実際にUNTACの選挙支援ボランティアとして活動していた中田厚仁さん、そして警察から派遣されていた高田警視の二人が命を落としている。そんな実情を無視して、野党の「自衛隊が現地にアジア侵略の不安を与えるのではないか」という「懸念」から武器としては小銃と拳銃しか携行できなかった。

 それでも陸上自衛隊の部隊の中には、PKOへの志願が定員の30倍に達した所もあった。

「日本の代表としてしっかり活躍したい。同じアジアの国の発展に協力できる事がうれしい」(陸二曹28才)

「当初は両親にも反対されましたが、国際貢献のためだからと必死に説得した。」(陸三曹30才)


 危険な地雷処理をしても、その手当は1時間で缶ジュース1本分、家族への電話代1分千円前後も自己負担。そんな中でも、明石代表が「カンボジアの民衆に愛され、この国の生活にとけこもうとする努力は、とりわけ目立ち、胸を打つものがありました」と評したほど、真摯な活動を続けた。

 住民の一人は「私の家はとても貧しい。子供が病気になったと話すと必ず薬をくれる隊員がいた。わたしは、UNTACの中で日本が一番だと思っている」と語った。

5.笑顔の「反自衛隊デモ」

 カンボジアへの派遣が行われている最中の平成5(1993)年5月には、アフリカのモザンビークへ陸海空自衛官48名で編成された輸送中隊、および、司令部要員5名が派遣され、平成7(1995)年1月まで続けられた。

 平成8(1996)年には中東のイスラエル・シリア国境のゴラン高原に輸送隊が派遣され、6ヶ月毎に部隊交替を行いながら、現在も継続中である。イスラエル・シリア両軍に挟まれ、ゲリラ活動と毒蛇やサソリに脅かされながらの活動は過酷な任務だが、現地の人々には心から歓迎されている。

 シリアやイスラエルの人々は、日本人に対して大変友好的で、町を歩いていると、よく「ヤパーニ、ヤパーニ(日本人、日本人)」と声を掛けてきて握手を求め、親愛の情を示そうとする。(太田明三等陸曹)

 平成14(2002)年2月から16(2004)年6月まで実施された国連東チモール支援団への約2300人の陸上自衛隊員派遣は、PKO史上最大の規模であった。

 東チモールでは、日本の一部マスコミが「期待」していた「反自衛隊デモ」がついに起こった。デモの参加者は「自衛隊帰れ!」と英語で書いた横断幕を持っていたが、不思議なことに、みな満面の笑顔だった。

 この光景を見た日本人ジャーナリストが真相を見破った。横断幕には「Japan Ground Self Defense Force(日本陸上自衛隊)」とあったが、地元の人は「Japan Army(日本陸軍)」と呼んでいて、「自衛隊」などという世界でも特異な名称は知らないはずだった。その横断幕は日本の左翼活動家が作り、地元民に渡したものだった。英語の分からない彼らは自衛隊を歓迎する横断幕だと騙されてデモ行進に使ったのである。

 ここまで姑息な策略をよくも考えついたものである。現地民衆が騙されたと知ったら、それこそ日本人への「不安と警戒」を与えるだろう。

6.ただ被災民のために

 自衛隊の国際支援活動としては、戦争・内戦の起こった地域での平和維持活動の他に、大規模な自然災害に見舞われた地域での救援活動がある。

 平成10(1998)年に、巨大なハリケーンによって壊滅的な被害を受けた中南米ホンジュラスへの部隊派遣がその皮切りだった。1ヶ月ほどの間に4千人を超える現地人の治療診察を行った。

 続いてトルコ北西部地震(平成11年)、インド地震(平成13年)、イラン南東部地震(平成15年)、インドネシア・スマトラ島沖大規模地震及びインド洋津波(平成16年)、パキスタン大地震(平成17年)、インドネシア・ジャワ島大地震(平成18年)と、地球上で毎年のように起こる大災害に自衛隊は救援活動を展開してきた。

 インドネシア・スマトラ島沖大規模地震では、派遣地バンダ・アチェで約3ヶ月に累計6千人を超える診療を行い、23百名近くに麻疹(はしか)のワクチンを接種した。防疫を行った地域は13万3800平米に及んだ。

 麻疹のワクチン注射まで行うのは、被災地の子どもたちを守ろうとする自衛隊ならではの真心のこもった活動である。こうした真心は、現地の人にもすぐに伝わる。5歳の子どもを連れてきた父親は「日本の自衛隊がこんな所まで来て、子供のために注射をしてくれて感謝している」と述べている。

 また防疫では、マラリアを媒介する蚊を駆除するための薬品散布を夕方や早朝の時間帯に行った。蚊が孵化する前の時間帯に駆除するのが効果的だから、というので、わざわざこういう時間帯を選んで、人知れず薬品散布を行う、という姿勢に、マスコミや衆目を意識せずに、ただ被災者のためを思う純粋な気持ちが込められている。

7.60余年ぶりに助けに来てくれた「日本軍」

 インドネシアで自衛隊医療チームが臨時診療所を設けると、そのニュースはたちまち島中に伝播し、それまで他国軍の診療所で診察・治療を受けていた被災者が自衛隊の施設に押し寄せた。「日本軍がやってきてくれた」とばかりに、患者数は日をおって増えていったという。

 診療にあたった医官の一人は、当時の模様をこう語っている。

 もちろん我々は一人でも多くの人々を救うために懸命に取り組みました。そしてそんな我々に地元の人々は心から感謝しているようでした。・・・独身の自衛隊員に「うちの娘をもらってほしい」と次々に申し出てくることもありました。とにかくインドネシアという国は歴史的な面からみてもたいへん親日的なのです。

 それもそのはずである。インドネシアはオランダの植民地として3世紀半にわたって搾取されてきた。それを昭和17(1942)年3月にジャワ上陸した日本軍がわずか10日間でオランダ軍を降伏させたのである。その際にはインドネシア人が積極的に日本軍の進軍を助けた。

 日本軍は3万5千人もの現地人将兵を育成して、今日のインドネシア国軍の基礎を作った。日本の敗戦後、再植民地化を狙うオランダ軍が襲ってきたが、2千人とも言われる日本軍将兵が現地に残って、ともに独立戦争を戦ったのである。

 現地から見れば、その「日本軍」が60余年ぶりに再び助けに来てくれたのである。

8.「日本軍を攻撃したら一族郎党を征伐する」

 地元民への真心の籠もった支援を行う自衛隊の姿勢は、イラクでもいかんなく発揮された。先遣隊の「ひげの隊長」佐藤正久1佐は族長たちから食事に招待された時は、現地の衣装をまとい、現地の人々と車座になって、右手で食べた。イラク人たちはその姿勢を「我々の伝統文化を尊重してくれる」と非常に喜んだ。

 ある有力な族長は「日本軍を攻撃したら一族郎党を征伐する」という布告を出した。佐藤1佐の帰国時には、別れを惜しむ部族長たちから、族長衣装と「サミュール(同胞)サトウ」というアラブ名まで贈られた。

 さらにサマワ住民約70名のデモ隊が「サマワ市民と自衛隊で安全な街を再建しよう」という垂れ幕を掲げて、自衛隊宿舎まで行進し、佐藤隊長に花束を贈った。

 こうして地元民の心をつかんだ自衛隊は、病院・学校・道路・橋梁などの復旧・整備、医療・給水支援など、黙々と人道復興支援を行い、ますます地元民の信頼と感謝を勝ち得ていった。

9.「『古きニッポン』の子孫として愛情と倫理に溢れた人々」

 地元の新聞は、自衛隊の活動をこう評した。

 日本国陸上自衛隊が県内に到着して数週間の内に、サマワの人々は彼らが『古きニッポン』の子孫として、愛情と倫理に溢れた人々であることを見出した。彼らは偉大なる文明を保持するとともに他の国家を尊重し、他国民の家庭や職業に敬意を払う立派な伝統を持っていたのだ。

 軍人は国民を守るために、時には自らの命を投げ出さねばならない。それゆえに、その「愛情と倫理」はどこの国でも道義のお手本として敬せられる。

 細やかな心遣いをしながらも、世界各地で力強い支援を展開する自衛隊は、日本で俗に言う「気は優しくて力持ち」という表現がぴったりである。その姿勢は国際社会に生きる国際派日本人としての立派なお手本と言えよう。
(文責:伊勢雅臣)



テーマ:雑記 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2007/09/11 13:06】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(0) | コメント(4)
軽はずみで無責任な世論
 ※ なかなか更新ができませんでした。このところ気になってしょうがないのです。この政治の閉塞感が。ゆっくり歴史の検証を続けたくとも気がかりで気がかりで、集中できません。

 新・安倍内閣が発足して1週間、早くも大臣の交代、政務官の交代、議員辞職、しかもまだまだ追求が止まりそうにありません。「政治とカネ」という問題がけして小さなこととは申しませんが、重箱の隅を突付くようなこの閉塞状態、混乱は何なのでしょう。国民はどこに目を向けているのでしょう。国家の再出発の出ばなをくじこうとするのは何のためなのでしょう。

 歴史を学んでいるとその時代の政治もよく見えてきます。その時代の問題(国難)をその時代の指導者たちがどう捉えどう対処しどうなったか。そこから見えてくる反省や知恵は、果たして今の時代に活かされているのだろうか。

 国の舵取りをする代議士は国民の投票で決まります。地方自治体の舵取りをする地方議員や首長を決めるのは、その地方に住民票をおく国民です。国民はそれぞれの役割を見極めて投票する権利と義務があります。それは個人としての権利の前に公の義務があるということです。



 たしか一昨年、30年ぶりに学生時代の友人と会った時のこと。昔話に花が咲き、不便で貧しかったけれど愉快で夢のある時代であったと懐かしみ、今はどうだということになった。今はついつい仕事に追い立てられ、食うには困らないが気がつけば世知辛い世の中になったもんだとため息をついた。

 そこで仕事は何をやっているのかと訊くとデザイナーをやっているという。詳しく訊くと現在「男女共同参画」の仕事をやっていると。あれはちょっと問題があるのでは?と言うと、「あれはこれまでのやり方がヘタだったんだよ」と筆者の言わんとすることからどうも反応がずれている。困った。

 そこで、「男女共同参画」に見え隠れする問題を指摘してみた。とどのつまりは家族崩壊につながるのではないかと。

 我々の子供時代にはすでに、結婚の形態が徐々に多様化し大家族から核家族へと移行が始まっていた。女性の権利が叫ばれ夫婦共稼ぎが増え、子供の数も減っていった。大人になる頃には、それ以前に結婚への執着に疑問符がつくようになっていた。お見合い結婚は敬遠され恋愛結婚が当然とされ、結婚前の同棲や子供を生む順序が逆転しても何ら問題視しなくなっていった。その結果、現在はというと離婚が増え、未婚が増え、母子家庭が増えている。

 「男女共同参画」と言えば聞こえは良いが、これはほとんど女性の権利を際限なく与えるもので、要は男性の権利を体よく奪い、果ては男女の間にクサビを打ち込むものではないのか。家族の最小単位をも破壊する危険性をはらんでいるのではないか。これと「少子化問題」とを並べて論ずるのもおかしなことなのだ。

 そんなこんなを話そうとするが一々つまづき話が進まない。「権利」と対になる「義務」につまづき「国家」という観念に猛反発された。ここまでくると完全に戦後教育の虜となっているのが見て取れた。そこで戦後教育の歪みを指摘するに至り戦前に話題が及ぶと途端に、とうとう友人の思考は止まってしまった。

 友人は「国家は嫌いだ、信用しない」と言うのです。「国家のために生きているのではないし生きない」と断言するのです。挙句の果てに筆者の頭がどうかしてしまったと心配される始末。

 そこで時間切れとなり、とりあえず自分たちが習った歴史がものの見事に覆される事実が多数出てきているから折を見て調べ直すよう伝え別れた。あれからぱったり連絡もない。



 この友人の例はあまりに極端に見えますが珍しい例ではないと思います。歴史を顧みる必要性を考えないばかりか国民意識さえ欠乏している。そんな国家と敵対した頭で参政権を行使できるのだ。

 この例とまでいかなくとも公への価値観が少なからず崩壊したこの時代、個人の欲求あるままにテレビのチャンネルを選ぶような軽はずみの判断では、国家は衰退するばかりなのです。歴史を鑑み、個人ではなく公の義務として国民意識のもとに参政する国民の割合はどれほどあるのでしょうか。

 そんな軽はずみな国民に選ばれた代議士たちが少なからず、政治家としてこの国の名誉と存亡の舵を握っているのです。空恐ろしいことです。国民の財産と生命と名誉を守るべき議員の中には、そんなことを露ほども考えず平然とウソをつき国民を裏切る行為に及ぶ者がワンサカいる。それを軽はずみな国民が責任感なく堂々と選んでいるのです。

 そんな中で、戦後初めて歴史を鑑み伝統文化の継承の大事と正義を旨とする総理が誕生したのです。畏れる心を持ち使命感にあふれた総理が誕生したのです。戦後体制を見直し歴史に学び時代に即した改革をしよう、という総理が初めて誕生したのです。

 その政権が誕生するやいなや、大々的なネガティブキャンペーンが始まりましたね。その政策や手法の一部に問題が全く無かったとは申しませんが、1年足らずで概ね今までのどの政権も成し得なかった偉業を次々とやってのけました。しかしそれを良しとしない勢力が手段を選ばぬ印象操作で総理を叩き続け小突き回し、それに乗せられた軽はずみで無責任な世論が今、とどめを刺そうとしています。



 国家転覆のために明け暮れる社会主義の皆様、私利私欲に面の皮も厚い皆様、あなた方の策謀の手腕は見事なものです。日本の民主主義はあなた方の自由自在です。縦横無尽なあなた方の働きで、自主憲法も持てず、北の拉致被害者も取り戻せず、チャイナ・コリアに謝罪と賠償を未来永劫続けさせてもらい、領土は徐々に縮小し、米国に追随するも小突かれバカにされ、国民の血税は吸い取られっぱなしのダダ漏れで、お陰様で筆者の愛する祖国は亡国街道まっしぐらです。



  生活が第一という甘言に騙され、どこへ我々を連れて行こうというのでしょう。世が世なら内戦が起っても不思議でないこの状況に、本を読むにも集中できない今日この頃です。


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【2007/09/06 21:28】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(0) | コメント(4)
しゃばだば近代国史帖


日本の近現代史の中から、主に感動エピソードを拾い集めてみたい。ゆっくりゆっくりですが。個人的には備忘録(メモ)のつもりです。

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この道を、どんな日本人が歩いていたんだろうと、ついつい想いを巡らせてしまう今日この頃です。
いろんな感動エピソードに出会ったけれど、記憶力が悪く片っ端から薄れてしまうので、思い切ってブログに挑戦することにしましたとさ。

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