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映画『ホテル・ルワンダ』を観て
映画『ホテル・ルワンダ』 
  先日、16日付けの産経ウェブで【ルワンダ大虐殺の手記 イマキュレー・イリバギザさん】という記事を見つけた。おりしもDVDではあるけれど、映画『ホテル・ルワンダ』を観たばかりだったので、またもやその時の興奮がよみがえってしまった。 

■【ルワンダ大虐殺の手記 イマキュレー・イリバギザさん】 http://www.sankei.co.jp/books/interview/070116/int070116000.htm
イマキュレー・イリバギザさん  

 イマキュレー・イリバギザさん(36)。1994年4月から7月にかけてアフリカのルワンダで起こった大虐殺の生存者である。米国でベストセラーになった手記が、『生かされて。』(PHP研究所)として翻訳出版されたのを機に来日した彼女に聞いた。(桑原聡)

■真実伝えるため生かされた
 ルワンダ大虐殺-。フツ族によって100日間に100万人のツチ族およびフツ族穏健派が殺されたという。傍観していた国連が介入するのは、大虐殺の開始から3カ月後のことであった。

 ルワンダの人口構成はフツ族が85%、ツチ族が14%。大虐殺の種がまかれたのはベルギーが植民地支配をしていた時代。ベルギーは少数派のツチ族の王族を支配階級としたうえで、両族の融合を妨げる目的で「種族認識カード」を導入したため、両族の間に憎悪が醸成されていった。62年にルワンダは独立を果たすが、73年にフツ族による一党独裁政治が始まり、ツチ族はルワンダ愛国戦線(RPF)を組織、ウガンダを拠点に反政府運動を継続していた。

 94年の大虐殺は、大統領(フツ族)の乗った飛行機が何者かに撃墜される事件をきっかけに始まった。ラジオは「ツチ族を抹殺せよ」とあおり、フツ族の人々は集団催眠にでもかかったように、民兵となって大鉈(なた)や槍(やり)を手にツチ族狩りに狂奔した。

                    ◇
 種族間の憎悪という下地はあったものの、大虐殺を扇動したのはラジオであった。

 「人はとても弱く、権威あるものの影響を受けやすい存在です。ラジオを通して伝えられると、それがあたかも真実であるかのように思う。ルワンダに限らずどんな国でも、メディアが扇動すれば、人々はそれが正しいと思いこんで誤ったことをする可能性はあると思います。メディアの責任は重大です」

 大虐殺の続いた3カ月間、イマキュレーさんは女性7人と牧師の家の狭いトイレにかくまわれた。もちろん牧師の家にもツチ族狩りはやってきた。薄い壁の向こうからは「彼女はここにいる。ここのどこかにいるのはわかってるんだ。探せ! イマキュレーを見つけ出せ!」という知人の聞き慣れた声が聞こえてきたという。

 カトリックの信仰を持つイマキュレーさんは、座ることもままならぬ狭い空間で、ひたすら神に祈ることで自分を保つことができた。

                    ◇
 ある日、不意に国連で働くことになる予感がしたという。彼女は牧師に英語で書かれた本と英仏辞典を差し入れてもらい独学を始める。

 「壁の向こうに私を殺そうとしている人間がいる状況の中で、神こそが私の力でした。そして神は私にさまざまなひらめきを与えてくれたのです。英語を学び国連で働くこともそう。いま思えば、ルワンダで起こった真実を人々に伝えるために、私は神に生かされたのです」

 イマキュレーさんは神によって生かされた。しかし世界では、神の名の下に各地で争いが起こっている。

 「それは人々が見せかけの信仰心しか持っていないからです。真の信仰心とは、愛そのものである神を受け入れ、だれに対しても寛容であることだと思います」

 現在、イマキュレーさんはニューヨークの国連本部で働き、イリバギザ基金を設置して大虐殺の後遺症に苦しむ人々に役立てている。




 映画『ホテル・ルワンダ』に、イマキュレーさんは登場しない。同じく生存者であり、1268人の難民の命を救ったホテルマンのポール・ルセサバギナ氏が主人公だ。そして、両者ともこの事件を世界に発信し「二度とルワンダの失敗を繰り返してはならない」と訴えている。

 恥ずかしいかな娑婆妥場はこの事実を知らなかった。政治にも世界情勢にもうとい自分を再認識、大反省!この映画でさえ公開から1年も遅れてしまって・・・日本での公開さえも危ぶまれ、ネットで奔走した有志の方々がおられたことも今回初めて知りました。遅ればせながら感謝いたします。

 大虐殺といえば、近々「いわゆる南京大虐殺事件」を題材にした“プロパガンダ映画”が公開されるという。用意周到な中国は7本も作ってるという!イマキュレーさんも、こう指摘している。


 「人はとても弱く、権威あるものの影響を受けやすい存在です。ラジオを通して伝えられると、それがあたかも真実であるかのように思う。ルワンダに限らずどんな国でも、メディアが扇動すれば、人々はそれが正しいと思いこんで誤ったことをする可能性はあると思います。メディアの責任は重大です」



 娑婆妥場はとても心配です。何故なら、よほど興味を持って調べ直さない限り、今も「いわゆる南京大虐殺事件」は事実であったかのように語り継がれているからです。・・・ああ話がそれた、映画に戻りましょう。

 今も脳裏をテーマソングが離れません、名曲だと思います。それで、DVDも買っちゃいました。DVDならではの特典映像も満載で、映画に至るまでのエピソードやメイキング、主人公のモデルとなったポール氏ご本人のインタヴューやその後の事件現場などが含まれています。

 ルワンダで起こったこの事件の背景には、植民地時代の爪あとがハッキリとうかがえます。ケーキをカットするように植民地を分けたあの時代が終わったのは、ほんの少し前のこと。その植民地時代のツケが、多かれ少なかれ今も悩みの種となって世界中を覆っている。

 起こしてしまったことを「起きてしまった」ことと切り捨てているうちは、いつまでたっても同じ過ちを繰り返してしまうように思います。歴史を学び、歴史に学び、少しでも進歩したい。



ポール・ルセサバギナさん




 「ルワンダの失敗を二度と繰り返してはならない」(ポール氏)


■映画『ホテル・ルワンダ』公式サイト
http://www.hotelrwanda.jp/

■『ホテル・ルワンダ』日本公開を応援する会
http://rwanda.hp.infoseek.co.jp/


            


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【2007/01/19 06:24】 | 【映画・記録映像・動画】 | トラックバック(0) | コメント(5)
GHQ占領下 元日本人検閲官の証言
■毎日新聞
<郵便検閲>GHQ批判を英訳した 元日本人検閲官が証言

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060315k0000m040160000c.html(リンク切れ)

 占領時代に連合国軍総司令部(GHQ)が行った検閲を巡り、検閲官として日本人の雇用を示す資料を毎日新聞が入手し、元検閲官2人が実態を証言した。郵便検閲は無作為抽出した郵便物を対象に、GHQ批判などが書かれた手紙を英訳した。

 GHQ側は、日本人検閲官に「日本人の生活や考えを知るため」と目的を説明し、業務を口外しないよう指示していた。元検閲官は「人の信書を開封した痛みはずっとある。生きているうちに敗戦の現実を伝えたい」と証言の動機を語る。また、見つかった資料について専門家は「米軍が残しにくい資料で、極めて貴重」と言う。

 GHQの民間検閲部門は、占領下の情報統制のため新聞や雑誌のメディア検閲の一方、大規模な郵便検閲も実施。東京、大阪、福岡の検閲所などで4000人が従事、大半は日本人とされる。

 証言したのは、東京中央郵便局の民間検閲支局に勤めた、元朝日新聞記者の渡辺槙夫さん(82)と、主婦の横山陽子さん(77)。大学在学中、生計や学資のため公募試験を受け、検閲官となった。

 2人によると、東京での郵便検閲は、個人信書を3階、法人関係を4階で行った。2人のいた3階には、検閲官が30以上の机に約10人ずついた。管理職を除き大半が日本人で、無作為抽出した手紙などを閲覧した。

 占領軍への批判や意見、米兵の動向のほか、復員▽物価や食料難▽公職追放▽労働組合▽企業の経営状態▽政治や共産党の動きなどの事項を訳した。開封した手紙は検閲済みの文字入りテープを張り、郵便局に戻した。横山さんは「1日300通見た日もある」と証言した。

 資料は、横山さんが保存していた辞令書など。辞令書は48年2月3日付で、GHQの民間検閲支局が横山さんを、3段階あった検閲官の初級の「Jr・Examiner」から中級の「Examiner」に昇格させたのを明記。月給も1727円から2080円にした。【野倉恵】

 【GHQの郵便検閲】占領地の世論把握や連合国への批判防止などを目的に、45年10月から49年にかけ、新聞、出版物、郵便などの検閲を東京、大阪、福岡で行った。ピーク時約8700人いたとされる従事者は大半が日本人とされる。国立国会図書館所蔵の米国陸軍省関連資料によると、当時年間24億~30億通だった手紙などの国内郵便物は、年間で最大1億5000万通が検閲されたとみられる。

 ◇日本人証言は貴重
 占領下の検閲問題に詳しい山本武利・早大教授(メディア史) 初めて見る資料で貴重だ。占領下の検閲は、GHQ検閲部門CCDや検閲行為自体、存在しないものとされてきたことを念頭に置く必要がある。49年のCCD廃止までに全信書の5~10%が検閲されたとみられるが、自ら証言する検閲官の日本人はほとんどいない。米軍の機密機関による非公然活動で、米軍は日本人の雇用を明確に示す公的文書は残せなかった。

 ◇1日で300通見た日も…元検閲官
 連合国軍総司令部(GHQ)が行った郵便検閲。占領下に生きる糧を得るため、多くの日本人が協力した。元検閲官は、信書の秘密を侵した痛みと向き合いつつ、戦後を生きてきた。その経歴を自ら語る人はほとんどいなかったが、「歴史を証言したい」と重い事実を話した。【野倉恵】

 ▽元朝日新聞記者、渡辺槙夫さん(82)は1946年12月から約2年半、東京中央郵便局の検閲所に勤めた。幼いころ満鉄社員の父を亡くし、家族は終戦で資産を失った。学徒出陣し、南方沖に派遣され幾度も死にかけた。それだけに友人に仕事を紹介されても「米軍の下で働くのは強い抵抗があった」。

 個人の私信を扱う検閲所は500人以上の日本人検閲官がいた。「隠匿物資の情報を翻訳し、後日現場が摘発を受けたのを新聞で知った」こともある。

 横山陽子さん(77)は46年8月から1年10カ月、同じ検閲所に勤めた。学徒動員から戻り、入学した女子大の学費が10倍に急騰。学資稼ぎと両親を支えるため人づてに就職した。初日に日系人の上司が言った。「(検閲で)日本人の生活や考え方が分かり、より良い占領政策がとれる。裏切りと思われるから仕事のことを外で言うな」

 1日ではがきを中心に300通見た日もある。 《小豆を送って。枕の中に入れれば見つからない。米は芯(しん)の方に入れて》。「食べるのに必死な人々の叫び。子供を抱え、高物価を嘆く主婦の声が忘れられない」

 同僚の検閲官が1通をこっそり渡しに来たことがある。横山さんが米国に住むおばにあてた手紙だった。「戦後の食料難を嘆き、いっそ共産党に入りたいと書いたためか」。このままだと翻訳対象になると知らせてくれた。持ち込まれた郵便物の数はチェックされているため、同僚の所属する班の責任者に断り、家に持ち帰って書き直した。

 「ここまでやったという痛みが消えない。占領、敗戦の現実をいま伝えなければと思った」。渡辺さんは49年春、GHQ民間検閲部門を退職し、朝日新聞社に就職した。「手紙で国民の生々しい現実に触れた経験を生かさなければ」と考え、記者になった。横山さんは「終戦後は言論が自由と言われたが、『なぜ人さまのものを』とよく泣いた。多くの人と同じく自分も懸命に生きる中、携わった仕事自体が敗戦の現実。一つ一つの歴史のかけらは言わなければ消えてしまう」と話す。

(毎日新聞) - 3月15日3時12分更新 (2006年)




◎参考サイト:産経Web【教育を考える】
2005.08.04
■【戦後60年 歴史の自縛】(3)GHQ「ウォー・ギルト・プログラム」
http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/050804jibaku_etc.html

刷り込まれた「罪の意識」

 さきの大戦を日本の「侵略戦争」ととらえ、指導者が諸外国に謝罪を繰り返すのもやむを得ないと考える日本人が少なくないのはなぜか。その出発点に、占領期の連合国軍総司令部(GHQ)による検閲と「戦争への罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」(文芸評論家の江藤淳)であるGHQ指令「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の存在がある。

検閲は、極東国際軍事裁判(東京裁判)に関して徹底的に行われ、「リベラル派」の雑誌『世界』(岩波書店)も論文の全文掲載禁止処分を受けていたことが、三日、わかった。GHQにより、同盟通信や朝日新聞なども発行停止や掲載禁止などの処分を受けているが、『世界』への検閲処分が判明したのは初めてだ。

 掲載禁止になったのは、東京裁判開廷直前の昭和二十一年四月、『世界』第四号に掲載予定だったS・Kによる「文明の審判-戦争犯罪人裁判」。理由は、「連合国の戦犯裁判政策の批判」にあたるとされた。

 論文は、連合国がニュルンベルク裁判や東京裁判を実施するに当たり、それまでの国際法の概念になかった「平和に対する罪」「人道に対する罪」を創出、戦争を計画・遂行した「個人」の責任を問おうとしていることに疑問を示し、次のように記していた。

 「日米開戦直後、国防安全の必要からアメリカ政府がとった日本人の奥地強制移住措置の如きも、そのアメリカ国内法上の合法性如何にかかわらず、もしも我々が、これを人道に対する犯罪と看做(みな)した場合には、ルーズヴェルト大統領の責任を訴追することができるといふことになる」

 結局、論文は日の目を見なかった。資料を発掘した明星大戦後史教育センターの勝岡寛次は、処分後の『世界』について「これに懲りて占領軍にすり寄り、二度とこのような論調で東京裁判を論じようとはしなくなった」と指摘する。

 GHQ総司令官のマッカーサーは昭和二十一年元日、「いまやすべての人が、不当な規制を受けることなく、宗教の自由と表現の権利を享受できる」との声明を出したが、実態は違う。

 GHQは二十年九月十日、検閲のスタートとなる「新聞報道取締方針」を発令。同月二十一日には「新聞条例」を発令してGHQ批判を禁止。六日後には、「新聞と言論の自由に関する新措置」によって、日本の新聞をマッカーサーの管理下に置いた。

 GHQは検閲で日本側の主張を封じ込める一方、日本人に米国の「歴史認識」を植え付けた。

 まず用語狩りを徹底した。特に「大東亜戦争」は、検閲で日本軍部を非難する論文で使われても例外なく削除を命じた。代わって「太平洋戦争」の呼称を定着させた。

 二十年十二月八日。GHQは、真珠湾攻撃から四周年にあたるこの日、全国の新聞に連載記事「太平洋戦争史」(GHQ民間情報教育局提供)を掲載させた。

 連載は十回にわたり、満州事変から終戦に至るまでの「日本の悪行」を強調する内容で、「真実なき軍国日本の崩壊、奪う『侵略』の基地、国民の対米憎悪をあおる」(八日付朝日新聞)、「隠蔽(いんぺい)されし真実、今こそ明らかに暴露 恥ずべし、南京の大悪虐暴行沙汰(さた)」(読売新聞)といった見出しが躍った。

 この間の事情を研究している政党職員の福冨健一が「二十年十二月八日は東京裁判史観が始まった日だ。『太平洋戦争史』は進歩主義や左翼思想と結びついて次第に日本に定着し、堂々と教科書に記述されるまでになった」と指摘するように、「侵略」という用語も周到に盛り込まれた。

 放送も大きな役割を担った。GHQの指導下、九日からNHKラジオは「真相はかうだ」を開始。「太平洋戦争史」をドラマ仕立てにしたもので、週一回、日曜午後八時から十回放送された。

 少年の素朴な問いに、反軍国主義思想の文筆家が答える形式のドラマだ。「日本を破滅と敗北に導いた軍国主義者のリーダーの犯罪と責任を日本の聴取者の心に刻ませる」(民間情報教育局ラジオ課)目的で、内容は一方的なものだった。

 「原子爆弾の投下は、戦いをなお続けようとするなら、日本は迅速かつ徹底的な破壊を被るという連合国側の予告を、日本の指導者が無視し、何ら回答しなかったため」「戦時中の軍指導者たちが戦争犯罪人の指名を受けるのは当然」…。

 「真相はかうだ」は問答形式の「真相箱」に改められ、さらに四十一週間続く。一方、「太平洋戦争史」は翌年四月に単行本として出版されベストセラーとなる。出版前に、文部省が「各学校は各々これを購入の上、教材として適宜利用せらるべきものとす」という通達を出していた。

 GHQが実施したメディアと、公教育を通じた宣伝工作は、六十年後の今も日本人の歴史認識を縛っている。(敬称略)

                   ◇

≪検閲知らなかった国民≫

 「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は、二十年十月二日付のSCAP(連合国軍総司令官)の一般命令第四号に基づくもので、GHQ民間情報教育局が主体となって実施した。同命令の趣旨は「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」。「太平洋戦争史」連載も「真相はかうだ」放送も命令に沿ったものだった。

 ノンフィクション作家の保阪正康は、これらのGHQ製記事や番組について、「日本政府が国民に知らせず、隠蔽していた歴史事実を明らかにした『功』の部分もある」としつつ、こう言う。

 「そこで示された史観の発想やトーンは東京裁判の起訴状や判決文と見事に符合する。戦後のさまざまな昭和史記述の本もこの史観を下敷きに、なぞっている」

 戦時中の言論統制もあって「情報」に飢えていた日本人は、GHQが計画的に与えた米国製の歴史認識を吸収し、これが「歴史の真実」として定着していった。

 二十一年にGHQの諮問機関メンバーとして来日し、日本の労働基本法策定に携わったヘレン・ミアーズは著書『アメリカの鏡・日本』(GHQにより日本では発禁)の中で、占領軍による検閲に疑問を呈している。

 「私たち自身が日本の歴史を著しく歪曲(わいきょく)してきた。だから、政治意識の高い日本人から見れば、日本の教科書の『民主的改革』は、私たちが意図しているようなものではなく、単に日本人の国家意識とアメリカ人の国家意識を入れ替えるにすぎない」

 GHQは「東京裁判批判」「検閲制度への言及」「占領軍が憲法を起草したことに対する批判」など三十項目もの掲載発行禁止対象を定めた検閲指針を定め、厳しくメディアを取り締まった。国民は検閲を受けていることすら知らされなかった。

 検閲は発禁・発行停止を恐れる側の自主規制へとつながっていく。原爆投下への批判や占領政策への注文を掲載していた朝日新聞は、二十年九月十八日に二日間の発行停止を命じられた。

 民間のシンクタンク、日本政策研究センター所長の伊藤哲夫によると、朝日は二十二日付の社説では、それまでの報道姿勢を一変させ、「今や我軍閥の非違、天日を蔽(おお)ふに足らず。(中略)軍国主義の絶滅は、同時に民主主義化の途である」と書くようになった。

                   ◇

 明星大教授の高橋史朗は、GHQのプログラムの目的について「東京裁判が倫理的に正当であることを示すとともに、侵略戦争を行った日本国民の責任を明確にし、戦争贖罪(しよくざい)意識を植えつけることであり、いわば日本人への『マインドコントロール計画』だった」と指摘する。

 むろん、GHQによる「罪の意識」の刷り込みがいかに巧妙であっても、二十七年四月の独立回復以降は日本人自らの責任であり、他国のせいにはできないという意見もある。

 「だました米国とだまされた日本のどっちが悪いか、という話。だいたい、歴史観の問題で、だまされたという言い分が通用するのか」

 現代史家の秦郁彦は、占領政策を過大視することに疑問を示す。

 一方、ジャーナリストの櫻井よしこは、日本人が戦後、自らの責任で東京裁判史観を軌道修正できなかったことを反省しつつ、こう語る。

 「二度と他国の謀略に敗北し、二度と自国の歴史、文化、文明、価値観、立場を理由なく否定されたり、曲げられたりすることのないように、しっかりと歴史を見ていくことがこれからの課題だと思う」(敬称略)

                   ◇

≪GHQの検閲指針(検閲対象となった主な事例)≫

 ・連合国軍総司令官(司令部)に対する批判
 ・極東国際軍事裁判(東京裁判)批判
 ・GHQが憲法を起草したことへの批判
 ・検閲制度への直接・間接の言及
 ・米、ソ、英、中国に対する批判
 ・朝鮮人に対する直接・間接の一切の批判
 ・他の連合国に対する批判
 ・連合国の戦前の政策に対する批判
 ・ソ連対西側諸国の「冷戦」に関する言及
 ・戦争擁護、軍国主義、ナショナリズムの宣伝
 ・神国日本、大東亜共栄圏の宣伝
 ・戦争犯罪人の一切の正当化および擁護
 ・占領軍兵士と日本女性との交渉
 ・占領軍軍隊に対する批判





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【2007/01/05 17:39】 | 【資料庫】新聞・ニュースストック | トラックバック(0) | コメント(0)
旧日本軍の名誉回復

■産経新聞:イザ!
日本の名誉64年ぶり回復 宣教師殺害は現地人犯行
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/27701/

(2006.11/15 12:14)

 先の大戦中の1942年に日本占領下のニューギニア(現パプアニューギニア)で、日本軍が英国国教会宣教師ビビアン・レドリッチさん=当時(37)=を殺害したとされた事件について、レドリッチさんの地元、英中部リトルボーデンの教会が14日までに、現地住民による犯行だったことを明らかにした。

 同教会は、実行犯らの家族など関係者が全員死亡したことを理由に、約64年ぶりに日本の「名誉回復」を確認。日本軍のレドリッチさん殺害を前提に、日本の教会が送った和解を呼び掛ける教会内の展示物を見直す考えを示した。

 同教会によると、レドリッチさんは他の宣教師11人とともに42年7月、ニューギニアで活動中に殺害された。2002年に現地住民がレドリッチさんら2人の殺害について、自分の家族による犯行だったと現地の英国国教会の司祭に明かした。

 残りの10人については依然として、日本軍が殺害したとされているが「明確な証拠はない」(同教会)という。(ロンドン 共同)

※他、ニュースソース見当たらず


◎参考サイト:東亜連盟戦史研究所
【国民のための戦時国際法講義1~2大日本帝国の遵法精神】より引用 http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/from1to2wlaw.htm

2、大日本帝国の遵法精神

..........日清・日露の両戦役では日本陸軍は国際法学者の有賀長雄博士を法律顧問として従軍させて戦時(交戦)法規を徹底的に厳守し、世界各国から惜しみない賞賛を浴びた。戦時国際法の適用に関し軍の指揮官に助言する法律顧問を軍隊に配置することは、一九七七年の国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書八十二条に初めて規定されたが、我が国はこれに先立つこと八十三年前に法律顧問の従軍を実践したのである。この成果は絶大であった。

 日清戦争を観戦したフランスの国際法学者ポール・フォーシーユは、日本が文明国であることを世界に知らしめた有賀長雄の名著「日清戦役国際法論」に寄せた序言の中において、

 「日本は独り内部の法制に於いて世界最文明国の班列に達したるに非ず。国際法の範囲に於いても亦同然たり。経験は日本政府が能く其の採択する所の文明の原則を実行するに堪うるを表示せり。すなわち日本は清国に対する一八九四年の戦争に於いてこの事を証明したり。この戦役に於いて日本は敵の万国公法を無視せしに拘らず自ら之を尊敬したり。日本の軍隊は至仁至愛の思想を体し、常に慈悲を以て捕虜の支那人を待遇し、敵の病傷者を見ては未だかつて救護を拒まざりき。日本は尚未だ一八六八年十二月十一日のセントピータスブルグ宣言に加盟せずと雖も、無用の苦痛を醸すべき兵器を使用することを避け、又敢えて敵抗せざる住民の身体財産を保護することに頗る注意を加えたり。日本はいずれの他の国民も未だかつて為さざる所を為せり。其の仁愛主義を行うに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民の租税を免じ、無代価にて之を給養するに至れり。兵馬倉皇の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は挙げて行わざるなし。見るべし日本軍隊の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを。」

と日本政府と日本軍を褒め称えた。
フランスのフィガロ紙従軍記者とイリュストラシオン紙従軍記者は、

「余等は日本帝国の如き慈愛心に富める民あるを、この広大な地球上に発見し得るかを怪しむなり」

と驚嘆し、 

「ひるがえって清軍を見よ。日本軍卒の一度、彼等の手に落つや、あらゆる残虐の刑罰をもって、これを苦しむるにあらずや。或いは手足を断ち、或いは首を切り、睾を抜く、その無情、実に野蛮人にあらざればよくすべきの業にあらず、しかし日本はこれあるにかかわらず暴に酬ゆるに徳をもってす。流石に東洋君子国たるに愧じずと云うべし。」

と述べて清軍の残虐行為を非難し、日本軍の遵法精神を「大日本帝国軍隊は世界に対して誇るに足る名誉を有する」と大絶賛したのであった。(以下略)

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【2007/01/05 15:13】 | 【資料庫】新聞・ニュースストック | トラックバック(0) | コメント(0)
訃報・ゾルゲの元上司
リヒャルト・ゾルゲ ※リヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge 1895~1944)
 1918ドイツ独立社会党(のち共産党)に入り、25コミンテルン情報書記局員となり、ソ連邦共産党に入党。 30上海で在中国諜報機関を組織。33(S8)横浜で対日諜報機関を創立。近衛文麿ら政界の上層部と親しかった満鉄嘱託の尾崎秀実より情報を入手、ソ連に送った。 41年10月検挙され、44年11月7日巣鴨で尾崎と共に死刑に処せられた。 <コンサイス日本人名事典>

※尾崎秀実がゾルゲと出会ったのは1928(昭和3)年11月、朝日新聞の特派員記者として上海支局に勤務していた頃。満鉄調査部委託職員となったのは1939年(昭和14年)6月1日、東京支社に勤務。
 ゾルゲ(及び尾崎秀実)の墓は東京都府中市多磨霊園内にある。

■産経新聞
ボリス・グジ氏(旧ソ連のスパイ、ゾルゲの元上司)

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/33325/

 ボリス・グジ氏(旧ソ連のスパイ、ゾルゲの元上司)27日、モスクワで死去、104歳。1930年代にソ連軍の秘密情報部員リヒャルト・ゾルゲの日本での活動を指導し、暗号電文を受信した。

 タス通信によると、02年にロシア南ウラル地方のウファで生まれ、23年にソ連の情報機関入り。34~36年、後のソ連国家保安委員会(KGB)要員として日本に滞在、帰国後はソ連軍参謀本部情報総局(GRU)に移り、ゾルゲらの日本での活動を支えた。37年に解任され、バスの運転手として働いた。定年後は歴史研究にも従事、ロシアの情報機関関係者の長老的存在として知られた。(共同)

(2006/12/30 07:52)

■毎日新聞
訃報:ボリス・グジさん104歳=ゾルゲ担当の元スパイ

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20061230k0000m060096000c.html
 ボリス・グジさん104歳(1930年代に活動した旧ソ連の元スパイ)タス通信などによると27日、モスクワの病院で死去。死因は明らかにされていないが、老衰とみられる。

 34~36年、日本に滞在し対日情報活動に従事。帰国後、ソ連赤軍参謀本部情報局次長として、日本で活動したソ連の大物スパイ、リヒャルト・ゾルゲに指示を出した。37年にスターリンの粛清で軍から追放され、バス運転手などを務めた。60年代末以降、スパイ関係本の著者や映画作家に助言を与えた。元ソ連スパイの最長老格とされ、ロシア連邦保安庁(FSB)から勲章を受けている。【モスクワ杉尾直哉】

毎日新聞 2006年12月29日 22時40分 (最終更新時間 12月29日 22時56分)

■朝日新聞
旧ソ連のスパイ、ゾルゲの元上司のボリス・グジさん死去

http://www.asahi.com/obituaries/update/1229/001.html

2006年12月29日23時42分
 ボリス・グジさん(旧ソ連のスパイ、ゾルゲの元上司)が27日、モスクワで死去、104歳。

 30年代、ソ連軍参謀本部情報総局(GRU)でゾルゲの担当官を務め、モスクワから活動を支援した。イタル・タス通信によると、34年から36年まで日本に滞在した後、GRU極東部で日本を担当した。100歳を過ぎて、ゾルゲについて「比類ない才能」と称賛する一方で「無神経さや気まぐれが致命傷となった」などの証言を残した。




テーマ:近現代史関連ニュース - ジャンル:ニュース

【2007/01/05 14:20】 | 【資料庫】新聞・ニュースストック | トラックバック(0) | コメント(0)
しゃばだば近代国史帖


日本の近現代史の中から、主に感動エピソードを拾い集めてみたい。ゆっくりゆっくりですが。個人的には備忘録(メモ)のつもりです。

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Author:娑婆妥場
この道を、どんな日本人が歩いていたんだろうと、ついつい想いを巡らせてしまう今日この頃です。
いろんな感動エピソードに出会ったけれど、記憶力が悪く片っ端から薄れてしまうので、思い切ってブログに挑戦することにしましたとさ。

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