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戦没者追悼 -- 英霊の言乃葉
 若き特攻隊員-この写真撮影後に出撃した ※ 日本の8月には、楽しい夏休みとご先祖の霊を迎えるお盆の二つの顔があります。先の大戦、戦闘終結の日が8月15日であったことから、8月のお盆は特別なものとなりました。靖国の御霊のご両親の世代は途絶え、中でも一人息子であった英霊の方々を迎える肉親はもういません。

 しかし、今年も蝉の声に包まれた靖国に、感謝の誠意(まこと)を捧げる大きな人波ができるのです。(昨年の参拝者数:約25万8000人)
 今回は来たる慰霊の日を控えて、『英霊の言乃葉』(靖国神社)の中から数編を選んでご紹介いたします。







□ 最後の日記   海軍大将 市島保男命  
                              神風特別攻撃隊第五昭和隊
                              昭和20年4月29日
                              沖縄県東南方面海上にて戦死
                              早稲田大学第二高等学院生
                              東京都出身 23歳

 ただ命を待つだけの軽い気持ちである。
 隣の室で「誰か故郷を想はざる」をオルガンで引いてゐる者がある。平和な南国の雰囲気である。

 徒然なるまゝにれんげ摘みに出かけたが、今は捧げる人もなし。
梨の花とともに包み、僅かに思ひ出をしのぶ。夕闇の中を入浴に行く。
隣の室では酒を飲んで騒いでゐるが、それもまたよし。オレは死するまで静かな気持ちでゐたい。人間は死するまで精進しつゞけるべきだ。ましてや大和魂を代表するわれわれ特攻隊員である。その名に恥ぢない行動を最後まで堅持したい。

 俺は、自己の人生は、人間が歩み得る最も美しい道の一つを歩んできたと信じてゐる。

 精神も肉体も父母から受けたままで美しく生き抜けたのは、神の大いなる愛と私を囲んでゐた人々の美しい愛情のおかげであった。今限りなく美しい祖国に、わが清き生命を捧げ得ることに大きな誇りと喜びを感ずる。


□  遺詠(故人の辞世の詩歌)   陸軍軍曹 蜂谷博史命
            昭和19年12月24日、硫黄島にて戦死、岡山市出身 23歳
・爆音を壕中にして歌つくる あはれ吾が春今つきんとす
・硫黄島いや深みゆく雲にらみ 帰らむ一機待ちて日は暮る


□  陣中日記   海軍少佐 中西齋季命 
                         神風特別攻撃隊
                         南西諸島方面にて戦死
                         昭和20年4月29日
                         和歌山県出身 慶応義塾大学卒 27歳                                                                                 
三月×日  硫黄島陥落。日本兵玉と散る。噫(ああ)!散る桜、残る桜も散る桜。

三月×日  死は決して難くはない。たゞ死までの過程をどうして過ごすかはむづかしい。これは實に精神力の強弱で、ま白くもなれば汚れもする。死まで汚れないままでありたい。

四月×日  人間死ぬ死ぬと口に出せるうちはまだ本当に死といふ観念が迫って来ない。いよいよ明日突っ込むといふ日になつてはじめて死ぬのかといふ気になる。いやそれでもまだ何か他人事のやうな気がしてゐるが・・・しかし明日は突入する。 さうすればたしかに死ぬ。


□  両親と面会   海軍大尉 安達卓也命
                       神風特別攻撃隊第一正気隊
                       昭和20年4月28日
                       沖縄方面にて戦死
                       兵庫県竹野町出身 東京帝國大学 23歳

 遥かな旅の疲れの見える髪と眼のくぼみを、私は伏し拝みたい気持ちで見つめた。私の為に苦労をかけた老いが、父母の顔にありありと額の皺にみられるやうな気がした。何も思ふことが云へない。ただ表面をすべってゐるにすぎないやうな皮相的な言葉が二言、三言口を出ただけであり、剰(あまつさ)へ思ふ事とは全然反対の言葉すら口に出やうとした。ただ時間の歩みのみが気になり、見つめる事、眼でつたはり合う事、目は口に出し得ない事を云つて呉れた。

 母は私の手を取って、凍傷をさすつて下さつた。私は入団以来始めてこの世界に安らかに憩ひ、生まれたままの心になつてそのあたたかさをなつかしんだ。私はこの美しい父母の心温い愛あるが故に君の為に殉ずることが出来る。死すともこの心の世界に眠ることが出来るからだ。僅かに口にした母の心づくしは、私の生涯で最高の美味だつた。涙と共にのみ込んだ心のこもつた寿司の一片は、母の愛を口移しに伝へてくれた。

 「母上、私の為に作つて下さつたこの愛の結晶をたとへ充分戴かなくとも、それ以上の心の糧を得ることが出来ました。父上の沈黙の言葉は、私の心にしつかりと刻みつけられてゐます。これで私は父母と共に戦ふことが出来ます。死すとも心の安住の世界を持つことが出来ます。」私は心からさう叫び続けた。

 戦の場、それはその美しい感情の試煉の場だ。死はこの美しい愛の世界への復帰を意味するが故に私は死を恐れる必要はない。ただ義務の完遂へ邁進するのみだ。

 一六〇〇、面会時間は切れた。再び団門をくぐつて出て行かれる父母の姿に、私は凝然として挙手の礼を送つた。


□  遺書      陸軍曹長 佐藤源治命
                      昭和23年9月22日
                      ジャワ島ツビナンにて法務死
                      岩手県 32歳

  僕は唱歌が下手でした

一、僕は唱歌が下手でした
  通信簿の乙一つ
  いまいましさに 人知れず
  お稽古すると 母さんが
  優しく教へてくれました

二、きょうだいみんな 下手でした
  僕も 弟も 妹も
  唱歌の時間は 泣きながら
  歌へば皆も 先生も
  笑って「止め」と言ひました

三、故郷を出てから十二年
  冷たい風の 獄の窓
  虫の音聞いて 月を見て
  母さん恋しと 歌ったら
  皆が 泣いて 聞きました

四、僕のこの歌 聞いたなら
  頬すり寄せて 抱きよせて
  「上手になった良い子だ」と
  賞めて下さる ことでせう


□  遺書      海軍大尉 溝口幸次郎命
                       神風特別攻撃隊
                       昭和20年6月22日
                       沖縄方面にて戦死
                       静岡県出身 中央大学 22歳

   (一)
 美しい祖国は、おほらかな益良夫を生み、おほらかな益良夫は、けだかい魂を祖国に残して、新しい世界へと飛翔し去る。
   (二)
  「現在の一点に最善をつくせ」
  「只今ばかり我が生命は存するなり」
 とは私の好きな格言です。
 生まれ出でゝより死ぬる迄、我等は己の一秒一刻に依って創られる人生の彫刻を、悲喜善悪のしゅらざうをきざみつつあるのです。私は一刻が恐ろしかつた。一秒が重荷だつた。もう一歩も人生を進むには恐ろしく、ぶつ倒れさうに感じたこともあつた。しかしながら、私の23年間の人生は、それが善であらうと、悪であらうと、悲しみであらうと、喜びであらうとも、刻み刻まれて来たのです。私は、私の全精魂をうつて、最後の入魂に努力しなければならない。
   (三)
 私は誰にも知られずにそつと死にたい。無名の幾万の勇士が大陸に大洋に散つていつたことか。私は一兵士の死をこの上なく尊く思ふ。


□  死の覚悟    海軍少佐 古川正崇命
                      神風特別攻撃隊振天隊
                      昭和20年5月29日
                      沖縄にて戦死
                      奈良県出身 大阪外語 24歳

 人間の迷ひは実に沢山ありますが、死に対する程、それが深刻で悟り切れないものはないと思ひます。これだけはいくら他人の話を聞いても、本を読んでも結局自分一人の胸に起る感情だからです。私も軍隊に入る時は、それは決死の覚悟で航空隊を志願したのですが、日と共にその悲壮な謂はば自分で自分の興奮に溺れてゐるやうな、そんな感情がなくなつて来てやはり生きてゐるのは何にも増して換へ難いものと思ふやうになつて来たのです。その反面、死ぬ時が来たなら、それや誰だつて死ねるさ、と云ふ気持ちを心の奥に持つやうになります。然し本当に死ねると云つてゐても、いざそれに直面すると心の動揺はどうしてもまぬがれる事は出来ません。私の今の立場を偽りなく申せば、此の事なのです。私達は台湾進出の命を受けてジャカルタを出ました。いよいよ死なねばならぬ、さう思ふと戦にのぞむ湧き上る心より、何か、死に度くない気持ちの方が強かつたりするのです。わざわざジャワから沖縄まで死ぬ為の旅を続けねばならぬ、その事が苦痛にも思へるのです。

 求道

 戦死する日も迫って、私の短い半生を振り返ると、やはり何か寂しさを禁じ得ない。死と云ふ事は日本人にとつてはさう大した問題ではない。その場に直面すると誰もがそこには不平もなしに飛び込んでゆけるものだ。然し私は、私の生の短さをやはり寂しむ。生きると云ふ事は、何気なしに生きてゐる事が多いが、やはり尊い。何時かは死ぬに決まつてゐる人間が、常に生に執着を持つと云ふ事は所謂自然の妙理である。神の大きい御恵みが其処にあらはされてゐる。子供の無邪気さ、それは知らない無邪気さである。哲人の無邪気さ、それは悟り切った無邪気さである。そして道を求める者は悩んでゐる。死ぬ為に指揮所から出て行く搭乗員、それは実際神の無邪気さである。

 和歌

・雲湧きて流るゝはての青空の その青の上わが死に所
・下着よりすべて換ゆれば新しき 我が命も生れ出づるか
・あと三時間のわが命なり 只一人歌を作りて心を静む
・ふるさとの母の便りに強き事 云ひてはをれど老いし母はも


□  海軍少佐仁科関夫命の母の手記  
    
    「最後の帰省」
               海軍少佐 仁科関夫命

                      回転特別攻撃隊菊水隊
                      昭和19年11月20日
                      西カロリン島方面にて戦死
                      長崎県南佐久郡前山村出身 22歳

 あの子はよく祭日に帰って来る。今日は明治節、なんだか関夫が帰って来るような気がしてならない。朝から気もそぞろで落つかぬ。お昼になった、あの子の好きなものを作ってもみた。座敷を整頓したり、寝具を干してみたりして、あてのない人を待っていたが、晩になっても姿をみせぬ・・・。もうこの世にはいないかも知れぬと考えたり、また正月にでもひょっこり帰ってくるかも知れぬ、と希望をもってみたりしながら、床についたのは十時すぎてからだった。

 いつかとろりとしたと思う頃、強くベルが鳴った。あっ!関夫のならし方だ。はじかれるように飛起きて玄関に出た。暗い外に立っているわが子を見たとき、無事に生きていてくれたという喜びで胸が一杯になった。そのころ神風特別攻撃隊のことが新聞やラジオに発表されたばかりだったので、いろいろ話している間に、何気なく、聞いてみた。

 「若い人が飛行機で敵艦に体当りして、死んでゆくなんて、本当にもったいないことだね。必死でなくても何とか勝つ方法がありそうなものにね」 関夫は何とも答えなかった。自分が今必死の作戦を前にして、親に最後の別れに来ているなどということは、おくびにも出さなかった。

 次の朝、早く起きた関夫は、湯殿に頭から何杯も水をかぶり乍ら、何事かを祈念しているようであった。ボサボサに伸びた髪が、ことさら気になるのも女親のせいだろうか。

 「忙しくて散髪する暇もないの」・・・無言、「恐ろしい顔になったものね、疲れているの」やはり無言、ずっと前に帰って来た際、結婚してもよいなどといっていた事を思い出したので、話をしてみたところ、関夫は何食はぬ顔で「前にいったことは、取り消し、取り消し、みな取り消し、今はとても忙しいので、次に帰って来た時にゆっくり話しましょう」といった。

 この日は運悪く父は田舎に行っていてとうとう会えなかった。最後の食事があまり進まないので「今日はなぜ少ししか食べないの」「おかずが沢山あるのでね、それにぼくも大分大きくなったんだから、そう何時までも大食いぢゃないんだよ」と笑いながら云った。しかしお酒はうまそうに飲み「お母さんも」と杯を出し、二人で楽しく汲み交わした。これが、関夫にとってはせめてもの別れの杯のつもりだったのだろう。

 いくら腹が決まっていても、母を目の前にしては、さすがに胸がせまり食事も、ノドを通らなかったのではなかろうか。

 私が駅までぜひ送りたいといったが、門前でいいよといい、母がつくった、握飯を風呂敷に包んで、手にぶらさげ、ゆったりした足どりで去って行った。

 どこから来て。何処へ行くともいわないで行ってしまった、我が家の桃太郎は待てども待てども鬼ガ島から帰って来ない。


□  硫黄島栗林兵団長より 大本営宛 最後の電報  
                         陸軍大将 栗林忠道命

                              昭和20年3月17日
                              硫黄島にて玉砕
                              長野県埴科郡西条村出身

 戦局遂に最後の関頭に直面せり、十七日夜半を期し小官自ら陣頭に立ち皇国の必勝と安泰を祈念しつつ、全員壮烈なる総攻撃を敢行す、敵米攻以来想像にあまる物量的優勢を以って空海陸よりする敵の攻撃に対し克く健闘を続けたるは小職の聊(いささ)か自ら悦びとする所にして部下将兵は真に鬼神をも哭(な)かしむるものあり、然れども執拗なる敵の猛攻に将兵相次いで斃れ、為に御期待に反しこの要地を敵手に委ぬるの已むなきに至れる誠に恐懼(きょうく)に耐へず。幾重にもおわび申し上ぐ、特に本島を奪還せざるかぎり皇土永遠に安からざる思ひ、たとへ魂魄(こんばく)となるも誓って皇軍の捲土重来(けんどじゅうらい・けんどちょうらい)の魁(さきがけ)たらんことを期す。

 今や弾丸尽き、水涸れ、戦ひ残れる者全員愈々(いよいよ)最後の敢闘を行はんとするに方り、熟々皇恩の忝(かたじけな)さを思ひ粉骨砕身(ふんこつさいしん)悔(く)ゆる所あらず。

 茲(ここ)に永へにお別れ申し上ぐ。

・国のため重きつとめを果し得で 矢弾つきはて散るぞ悲しき

    昭和二十年三月十七日  






 ※ ご紹介したい「言乃葉」は数知れずありますが、今回はここまでとします。この『英霊の言乃葉』は現在8巻、一冊500円で販売されています。筆者は靖国神社遊就館にて購入致しましたが、郵送もありますので、ご希望の方は靖国神社までお問い合わせ下さい。
 
 戦争を絶対悪とし、耳も目も塞ぐマスコミの論では、私達の父祖の魂はいつまでも安らぐことはできません。これら「言乃葉」から伝わるものには、国家への忠誠以前に故郷や肉親への愛情があふれ、自己を見つめる真摯な姿があります。家族を愛し、故郷を歌を愛し、だからこそ国を愛し戦ったのです。

 御霊の帰る蝉時雨のふる8月の靖国へ、護国神社へ、空へ、今年も感謝の誠意を捧げます。



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【2007/08/06 21:24】 | 【詩・言乃葉】 | トラックバック(0) | コメント(0)
産経新聞朝刊“朝の詩”より 『戦友』
※産経新聞朝刊に“朝の詩”というコーナーがあり、読者からの投稿作品を紹介しています。選者は詩人の新川和江さん。平成17年4月5日に掲載された作品を、桜が散ってしまわないうちにご紹介しましょう。


東郷寺の桜




戦友               群馬県 上原安男(83)
 


無事帰れたら

花見をしようや

盛大にな

そう言った彼は

戦死した

相槌を打ってた五人も

戦死した

どういう訳か私だけ

生還した

いま花を見ながら

空に叫ぶ

おい 花が咲いたぞ

空から見えるか

君たちが築いた

平和の国の桜花が








【2007/04/13 05:34】 | 【詩・言乃葉】 | トラックバック(0) | コメント(0)
しゃばだば近代国史帖


日本の近現代史の中から、主に感動エピソードを拾い集めてみたい。ゆっくりゆっくりですが。個人的には備忘録(メモ)のつもりです。

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娑婆妥場

Author:娑婆妥場
この道を、どんな日本人が歩いていたんだろうと、ついつい想いを巡らせてしまう今日この頃です。
いろんな感動エピソードに出会ったけれど、記憶力が悪く片っ端から薄れてしまうので、思い切ってブログに挑戦することにしましたとさ。

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