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“ポツダム宣言”受諾から戦闘終結まで
ポツダム会談終了後の三巨頭(英アトリー、米トルーマン、露スターリン) ※ 左写真は《鳥飼行博研究所》様サイトよりお借りしたものです(クリックで大きくなります)。ポツダム会談は、米英ソの首脳会談であったが、その宣言(日本に降伏を勧告)の署名は米英中だった。

 宣言を受けた日本政府は、仲介を依頼していたソ連の返答を待って回答を留保したが、「ノー・コメント」という姿勢は、各種報道の中で「黙殺」という表現に変化して各国首脳に伝わった。

・2月4-11日、米英ソ「ヤルタ秘密協定」(ソ連の対日参戦の条件:南樺太と千島列島を引渡す等)
・6月30日-7月11日、ソ連に和平の仲介を依頼-同仲介を再度依頼
・7月26日、米英中「ポツダム宣言」
・8月6日、広島に原爆投下
・8月9日未明、ソ連の侵攻はじまる(中立条約の破棄)
・  〃 、長崎に原爆投下
・  〃 、御前会議
・8月10日、スイス政府を通じて米国務長官バーンズに(国体護持の了解をもとに)降伏を申し入れる
・8月14日、御前会議、ポツダム宣言受諾を通告
・8月15日、玉音放送
・8月16日、午前、マッカーサーは米軍に戦闘中止を命令
・  〃  、午後4時、大本営は即時停戦命令を発令
・  〃  、ソ連軍、牡丹江に入城
・8月17日、関東軍、各部隊に戦闘停止命令を発令
・8月18日、午前3時、関東軍司令官、ラジオ放送を通じてソ連軍の降伏条件受諾を表明
・  〃  、ソ連軍、ハルビン入城
・18日~23日、ソ連軍、千島列島の占守島に上陸(日ソ間の戦闘で日本軍死傷者600名以上、ソ連軍死傷者2000名以上)
・8月19日、ソ連軍、新京・奉天・安東、入場
・8月23日、スターリンは日本人捕虜のシベリア移送を指令
・8月24日~9月1日までに、ソ連軍は、大連・ピョンヤン・千島列島の島幌延島・温弥古丹島・捨子古丹島・松輪島・新知島・得撫島、北方領土の択捉島・国後島・色丹島を、順次占領
・9月2日、降伏文書調印式、ソ連も調印
・9月3~5日、ソ連軍、北方領土の歯舞諸島を占領

 





□ ポツダム宣言  1945年7月26日(署名:ルーズベルト、チャーチル、蒋介石)

一、米国大統領、中華民国国民政府主席、英帝国首相は数億の国民を代表して協議を重ね、日本国に対し、この戦争を終結する機会を与えることに合意した。

二、欧州方面の陸海空軍によって数倍にも増加された米英中の驚くべき兵力は、日本本土に対し最後の打撃を加えようとしている。この軍事力は、日本国が抵抗をやめるまで日本国に対して戦争を遂行しようとする全連合国の決意によって、鼓舞され持続されている。

三、自由を希求して奮起する世界の諸国民の力に対し、ドイツが重ねてきた無益で無意義な抵抗の結末は、日本国の国民にとって極めて分かりやすいひとつの見せしめとなるだろう。現在、日本国に向かって終結しつつある力は、抵抗を続けるナチスに対して発動され、全ドイツ国民の国土と産業、生活様式を荒廃させた軍事力よりも強大なものである。われわれの決議によって支持されたわが軍事力の全面的な発動は、日本国軍の不可避にして完全な破壊と、日本本土の、同じく不可避にして完全な焦土化を意味する。

四、日本国は、無分別な算段で日本帝国を滅亡の淵に陥れている強情な軍事助言者たちに支配されたままこの戦争を続けるか、決断するときがきた。

五、以下は、われわれの条項である。われわれは譲歩しない。ほかに選択の余地はない。いかなる遅延も受け入れない。

六、われわれは、無責任な軍国主義者が世界から駆逐されるまで、平和、安全、公正の新秩序を形成することは不可能であると確信するものであり、日本国の国民を欺き世界征服の誤った道へ導いてきた者の権力と影響力は、永久に除去されなければならない。

七、右(上)のような新秩序が形成され、日本国の戦争遂行勢力が破砕されたという確証が得られるまで、連合国が指定する日本国内の諸地点は、連合国進駐の根本目的の達成のために占領下におかれるべきである。

八、カイロ宣言の条項は、履行されるべきであり、日本国の主権は本州と北海道、九州、四国、われわれが規定する諸離島に限る

九、日本国の軍隊は、完全に武装解除されたあと、それぞれの故郷に戻って平和で生産的な生活を営む機会を得ることを許される

十、われわれは日本人を民族として奴隷化したり、国家を滅亡させることは意図していないが、われわれの捕虜に対して虐待行為をした者を含む、全ての戦争犯罪者は厳正な裁判が加えられるべきである。日本国政府は、日本国民の間にある民主的な傾向を再生し強化するために、あらゆる障害を除去しなくてはならない。言論、信教、信条の自由とともに、基本的人権の尊重を確立すべきである。

十一、日本国は、その経済を持続し、物による正常な賠償可能程度の産業を維持することは許されるが、日本国を戦争への再軍備に向かわせる産業は許されない。この目的のために、管理は別として、原料の入手は許される。日本国は将来、世界貿易関係に従事することも許される。

十二、以上の目的が達成され、日本国民の自由に表現された意志に従って平和的性向の責任ある政府が樹立されると同時に、連合国占領軍は速やかに日本から撤収する。

十三、われわれは、日本国政府が全ての日本軍隊の無条件降伏を直ちに宣言し、そのための適正かつ十分な保障を心からの誠意を持って準備するよう要求する。これ以外の日本国の選択は、迅速かつ完全な破壊あるのみである
(訳:牛田久美『正論』平成17年9月臨時増刊号「昭和天皇と激動の時代」)


□ カイロ宣言  1943年12月1日(調印は無く声明のみ:ルーズベルト、チャーチル、蒋介石)

 ルーズベルト大統領と蒋介石大元帥、チャーチル首相は、それぞれの最高の軍事及び外交顧問を伴って北アフリカで会談し、次の声明を発表した。

 各軍事使節は、日本国に対する今後の軍事行動について合意した。三大同盟国は海路、陸路、そして空路から、野蛮な敵国に対して容赦なく圧力をかけることを決めた。この圧力はすでに増大しつつある。

 三大同盟国は、日本国の侵略を制止し罰するために今次の戦争をしている。この三国は、自国のために何らの利益も要求するものではない。また、領土拡張の意志を有するものではない

 右(上)の同盟国の目的は、第一次世界大戦が勃発した1914年以降、日本国が奪取し占領した太平洋の島嶼部(とうしょぶ)を日本国から剥奪すること、そして日本国が清国人から盗取した満洲、台湾、澎湖島(ぼうことう)といった一切の地域を、中華民国に返還することにある。日本国はまた、暴力と貪欲によって略取したその他すべての地域から駆逐されなければならない。

 右(上)の三大国は、朝鮮の国民が奴隷状態にあることに留意し、いずれ朝鮮を自由で独立したものとする決意を有する。

 以上の目的を達するため、右(上)の三国同盟は、日本国と交戦中の諸国と強調しつつ、日本国を無条件降伏させるのに必要な、重大かつ長期の作戦を貫き実行する。         
(訳:牛田久美『正論』平成17年9月臨時増刊号「昭和天皇と激動の時代」)






※ 申し訳ないけれど、タイプしながらあまりにデタラメな宣言なので脱力してしまいました。

 付け加えておきたいことは、ポツダム宣言前日に米国の原爆実験が成功し、日本への投下命令がすでに出されていたこと、よく見るとそのことが宣言の文言の中にも反映されています。そして、原爆投下作戦(実験)は2発だけではなかったこと。

 日本は開戦直前まで戦争の回避に努力しましたが叶いませんでした。和平についてもしかりです。宣言を読んで、あらためて連合国の「日本憎し」が伝わってきました。これはもう「民族浄化」の域だと思いました。現在はどうなんでしょう。



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【2007/08/09 08:30】 | 【大東亜戦争】宣言・条約・公文書 | トラックバック(0) | コメント(0)
大東亜戦争『終結の詔書』 -- 玉音放送



□ 大東亜戦争終結ノ詔書 -- 原文

朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク

朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ體セヨ

(御名御璽)

昭和二十年八月十四日


□ 大東亜戦争終結の詔書 -- 少し読みやすくしました

朕(ちん)深く 世界の大勢(たいせい)と帝國の現状とに鑑(かんが)み 非常の措置を以(もっ)て 時局を收拾せんと欲し 茲(ここ)に忠良なる爾臣民(なんじしんみん)に告ぐ

朕は帝國政府をして 米英支蘇四國に對(たい)し 其(そ)の共同宣言を受諾する旨(むね)通告せしめたり


抑ゝ(そもそも)帝國臣民の康寧(こうねい)を圖(はか)り 萬邦共榮(ばんぽうきょうえい)の樂(たのしみ)を偕(とも)にするは 皇祖皇宗(こうそこうそう)の遺範(いはん)にして朕の拳々措(けんけんお)かざる所

曩(さき)に米英二國に宣戰せる所以(ゆえん)も亦(また) 實(じつ)に帝國の自存と東亞の安定とを庶幾(しょき)するに出(い)で 他國の主權(しゅけん)を排し領土を侵すが如(ごと)きは 固(もと)より朕が志にあらず

然(しか)るに交戰已(すで)に四歳(しさい)を閲(けみ)し 朕が陸海將兵の勇戰 朕が百僚有司(ひゃくりょうゆうし)の勵精(れいせい) 朕が一億衆庶(しゅうしょ)の奉公 各ゝ最善を盡(つく)せるに拘らず 戰局必ずしも好轉(こうてん)せず

世界の大勢亦(また)我に利あらず 加之(しかのみならず)敵は新(あらた)に殘虐なる爆彈を使用して 頻(しきり)に無辜(むこ)を殺傷し慘害(さんがい)の及ぶ所 眞(しん)に測(はか)るべからざるに至る 

而(しか)も尚(なお)交戰を繼續(けいぞく)せんか 終(つい)に我が民族の滅亡を招來(しょうらい)するのみならず 延(ひい)て人類の文明をも破却(はきゃく)すべし斯(かく)の
如くんば 朕何を以(もっ)てか億兆の赤子(せきし)を保(ほ)し 皇祖皇宗の神靈(しんれい)に謝(しゃ)せんや 

是(こ)れ 朕が帝國政府をして共同宣言に應(おう)ぜしめるに至れる所以(ゆえん)なり


朕は帝國と共に終始東亞の解放に協力せる諸盟邦(しょめいほう)に對(たい)し 遺憾の意を表せざるを得ず 

帝國臣民にして戰陣に死し 職域に殉じ 非命に斃(たお)れたる者及其の遺族に想(おもい)を致せば五内爲(ごないため)に裂く 

且(かつ)戰傷を負い災禍を蒙(こうむ)り 家業を失いたる者の厚生に至りては 朕の深く軫念(しんねん)する所なり 

惟(おも)うに 今後帝國の受くべき苦難は固(もと)より尋常にあらず 爾臣民(なんじしんみん)の衷情(ちゅうじょう)も朕善く之を知る
 
然(しか)れども 朕は時運(じうん)の趨(おもむ)く所 堪え難きを堪え 忍び難きを忍び以(もっ)て萬世(ばんせい)の爲(ため)に太平を開かんと欲す

朕は茲(ここ)に 國體(こくたい)を護持(ごじ)し得て 忠良ナル爾臣民の赤誠(せきせい)に信倚(しんい)し 常に爾臣民と共に在り

若(も)し夫(そ)れ 情の激する所 濫(みだり)に事端(じたん)を滋(しげ)くし 或(あるい)は同胞排擠(どうほうはいさい) 互(たがい)に時局を亂(みだ)り 爲(ため)に大道(だいどう)を誤り 信義を世界に失うが如きは 朕最も之を戒(いまし)む 宜(よろ)しく 

擧國一家子孫相傳(きょこくいっかしそんあいつた)え 確(かた)く神州(しんしゅう)の不滅を信じ 任重(にんおも)くして 道遠きを念(おも)い 總力(そうりょく)を將來(しょうらい)の建設に傾け 道義を篤くし 志操(しそう)を鞏(かた)くし 誓(ちかっ)て國體(こくたい)の精華を發揚(はつよう)し 世界の進運(しんうん)に後れざらんことを期すべし 

爾臣民(なんじしんみん) 其(そ)れ克(よ)く朕が意を體(たい)せよ






 ※ 昭和20年8月15日正午、大東亜戦争の戦闘終結を、昭和天皇の玉音放送をもって国民に知らされました。この8月15日を終戦記念日としたことから、私達は勘違いをしてしまいがちですが、主権を回復するのは昭和27年4月28日のことであり、その間6年8ヶ月に亘ってGHQによる戦時占領下体制にあったことを忘れてはなりません。

 さて今回は、毎年8月になるとマスコミの終戦特番で流される『玉音放送』が常にほんの一部だけであることから、その全文を読むことで先の大戦をふり返りたいと思いました。

 漢語調だとはいえ日本語ですので、何度か読み直すと理解できるものと思います。そこに何が書かれてあったのか、これは天皇陛下の公文書ですので、この時の日本の認識であるということになります。

 まず、
「曩(さき)に米英二國に宣戰せる所以(ゆえん)も亦(また) 實(じつ)に帝國の自存と東亞の安定とを庶幾(しょき)するに出(い)で 他國の主權(しゅけん)を排し領土を侵すが如(ごと)きは 固(もと)より朕が志にあらず」
と戦争目的を確認し、

世界の大勢亦(また)我に利あらず 加之(しかのみならず)敵は新(あらた)に殘虐なる爆彈を使用して 頻(しきり)に無辜(むこ)を殺傷し
「而(しか)も尚(なお)交戰を繼續(けいぞく)せんか 終(つい)に我が民族の滅亡を招來(しょうらい)するのみならず 延(ひい)て人類の文明をも破却(はきゃく)すべし斯(かく)の如くんば 朕何を以(もっ)てか億兆の赤子(せきし)を保(ほ)し 皇祖皇宗の神靈(しんれい)に謝(しゃ)せんや」
と戦争の不利と人類史上最初の核兵器使用を糾弾することで戦争終結の理由を述べています。さらに、

帝國と共に終始東亞の解放に協力せる諸盟邦(しょめいほう)に對(たい)し 遺憾の意を表せざるを得ず」
と、諸盟邦(大東亜会議の盟邦)へ「東亜の解放」の挫折に対して申し訳ないとの遺憾の意を述べ、

「帝國臣民にして戰陣に死し 職域に殉じ 非命に斃(たお)れたる者及其の遺族に想(おもい)を致せば五内爲(ごないため)に裂く
と国民の犠牲と、徹底抗戦への意志に配慮しながらも、

「然(しか)れども 朕は時運(じうん)の趨(おもむ)く所 堪え難きを堪え 忍び難きを忍び以(もっ)て萬世(ばんせい)の爲(ため)に太平を開かんと欲す
と、戦争終結の意義を説いています。そして、

「朕は茲(ここ)に 國體(こくたい)を護持(ごじ)し得て 忠良ナル爾臣民の赤誠(せきせい)に信倚(しんい)し 常に爾臣民と共に在り
若(も)し夫(そ)れ 情の激する所 濫(みだり)に事端(じたん)を滋(しげ)くし 或(あるい)は同胞排擠(どうほうはいさい) 互(たがい)に時局を亂(みだ)り 爲(ため)に大道(だいどう)を誤り 信義を世界に失うが如きは 朕最も之を戒(いまし)む 宜(よろ)しく」

と、国体護持と内戦を戒め、

擧國一家子孫相傳(きょこくいっかしそんあいつた)え確(かた)く神州(しんしゅう)の不滅を信じ
と、誇るべき自国の不滅を信じ、子々孫々まで語り伝えることの大事

「任重(にんおも)くして 道遠きを念(おも)い 總力(そうりょく)を將來(しょうらい)の建設に傾け 道義を篤くし 志操(しそう)を鞏(かた)くし 誓(ちかっ)て國體(こくたい)の精華を發揚(はつよう)し 世界の進運(しんうん)に後れざらんことを期すべし
と、国を挙げての祖国再建を呼びかけています。そして最後に、

「爾臣民(なんじしんみん) 其(そ)れ克(よ)く朕が意を體(たい)せよ
それをよく解っておくれと。


 つまり「終結ノ詔書」の内容には

 ・大東亜戦争の目的の確認と終結の理由
 ・諸盟邦国への遺憾の意と国民の犠牲と抗戦意志への配慮
 ・内戦の戒めと祖国再建への呼びかけ


 が、込められていたのです。

 「堪え難きを堪え 忍び難きを忍び以(もっ)て萬世(ばんせい)の爲(ため)に太平を開かんと欲す

 という一部分をもってマスコミ特番はいまだに、単に「終戦」の象徴として伝えますが、戦争は一国の意志のみで始められ終えられるものではありません。

 この大戦がどのような理由で始められ、終えたのか。すでに多くの歴史学者により、“時が熱狂を覚まし”公開された各国公文書を踏まえた再検証が成されております。

 日本の教育界はこれまで、戦前と戦後で、まるで別の国であるかのような歴史認識を子供たちに与えていました。昨今ようやくその見直しが始まったばかりです。その安倍政権の教育改革を陰ながら支援したいと思います。



 ● 御製  昭和61年 お題 「八月十五日」

  昭和天皇
  この年のこの日にもまた靖国の みやしろのことにうれひはふかし

  香淳皇后
  やすらかにねむれとぞおもふ君のため いのちささげしますらをのとも











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【2007/08/03 17:50】 | 【大東亜戦争】宣言・条約・公文書 | トラックバック(0) | コメント(2)
しゃばだば近代国史帖


日本の近現代史の中から、主に感動エピソードを拾い集めてみたい。ゆっくりゆっくりですが。個人的には備忘録(メモ)のつもりです。

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この道を、どんな日本人が歩いていたんだろうと、ついつい想いを巡らせてしまう今日この頃です。
いろんな感動エピソードに出会ったけれど、記憶力が悪く片っ端から薄れてしまうので、思い切ってブログに挑戦することにしましたとさ。

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