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我が家の冬の恒例
 ※ 毎年の恒例で冬になると母がやって来ます。昭和3年生まれの母は、二度の大手術に耐え今では第一級障害者ですが、今年(12/2)も元気に筆者の元へ来てくれました。これから3月頃までの滞在です。

 8年前に父が他界し、その後の大病を克服した母は、やっと自由に動き回るようになりました。昔人間の母は、それまで自分のことは考えもせず、家族のためや他人のためだけに生きているような人でした。それが大病を経て、やっと自分の老いに気づいたようで。(笑)

 もちろん以前は、筆者が毎年帰っていたのですが、それではゆっくりいっしょにいられないし、母の気力の刺激にもなるのではないかと考えてのことです。案の定、お互い毎年の楽しみになりました。

 このところしみじみ思うことは、母から与えられた最大のプレゼントは兄弟ではないかということ。筆者は4人兄弟なのですが、これが大変な心丈夫なのですね。

 母の大病以来、兄弟の話題(電話ですが)の中心は母のことばかりになりました。お陰で母と同居の次兄とは特に会話が増え、社会に出てからずっと縁が遠くなっていたけれども、また子供の頃のように家族を強く意識するようになりました。ま、これは筆者だけが実家から遠く離れているからかもしれませんが。

 冬の間の3~4ヶ月、また母の昔の話を堪能します。ずっとそばにいる兄弟が知らない母の過去を、隅々まで聞き取りたいと思っています。と・・、そうだ先日ポロリと、「満州時代に2~3ヶ月ほど台湾人の家庭にホームステイしていた」と言っていた。これも詳しく聞きたいな。

 というわけで、しばらく更新がどうなるか、これまで以上に気ままな更新となりそうです。母中心の生活、落ち着いてPCの前に座る時間が激減しておりますので申し訳ありません。

 今はちょっと母がお出かけ中、そのスキに弁明させて頂き候。ではまたそのうちに。


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【2007/12/05 14:02】 | お知らせ | トラックバック(0) | コメント(4)
しばらく更新が遅れます
 ※ なかなか更新ができずにいる中、何度もご訪問いただいて申し訳ありません。実は、只今筆者の手元に、「シベリア抑留」のご経験をもつ阿部忠男さんという方の原稿があり熟読中です。

 その経過で、専門的な用語の意味や読み、その時々の背景など、ご本人に直接質問したいことが山ほど出てきており、その項目はまだまだ増える勢いです。

 また、ご本人がご高齢のため、他の予定エントリーを後回しにしたいと考えております。そのため申し訳ないのですが、まだ、今しばらく更新が遅れますことをお知らせしておきたいと思います。

 実は、筆者の母は終戦を旧満洲国牡丹江の北に位置する「東安(とうあん)」で迎え、今に至るもあまり語り継がれることのない「東安駅爆破事件」の現場で九死に一生を得た経験をもちます。(この件についても追々にと思っておりますが)

 母は当時、満洲電信電話株式会社東安支局で交換手の仕事をしておりました。昭和20年8月9日未明より突然のソ連軍の侵攻により、命辛々の逃避行が始まりますが、その職種ゆえに最後の列車の発車時間ぎりぎりになって突然の避難命令を受けます。

 その後、数々の苦難を乗り越え、抑留生活を経て昭和21年秋に引揚げることができましたが、帰国の後は祖国再建の最中、一主婦であった母は元同僚との交流は全くできずに今に至っておりました。 

 それが最近になってひょんなことから、引越しを重ねた新天地で知人となった阿部さんが、満洲での同じ職場(支部違い)の同僚であったことを知らされたとのことなのです。母にしても、当時直接の面識は無かったにしろ、それは初めての懐かしい同僚との再会ですので、いろいろと話がはずみ、現在一番の友人であるとのことです。

 そんなこんなを電話で聞いているうちに、筆者の興味がますます膨らみ、以前講話されたという地元高齢者大学での講話原稿を送っていただき今に至っているというわけです。

 その内容は、一般に伝えられている「シベリア抑留」とは違い、電信の職種のうちでも旧ソ連専門の軍用無線を傍受し情報を得るという特別な任務についていたために、軍事裁判において25年の矯正労働という判決を下され、多くの日本人抑留者とは隔離されて、他民族混合の別の収容所送りとなったものでした。

 ご本人もこの非人道的な「シベリア抑留」の実態をなんとか後世に伝え残したいと望んでおり、筆者も同じくその架け橋となりたく、拙いブログではありますが近々に掲載したいと思います。また、その掲載方法といたしましては、2通り考えており、そのどちらか一方にするか両方にするかは、阿部さんへの取材の過程で決めたいと思っております。

 近々とはいっても、これから取材が始まりますので予想がつきませんが・・・。できれば、少しずつに分けて・・・やはり2通りになるのかな。(笑)

 ということで、たびたびご訪問下さいます方々へのお知らせでした。

 

 

 

 
【2007/05/22 19:33】 | お知らせ | トラックバック(0) | コメント(2)
しゃばだば近代国史帖


日本の近現代史の中から、主に感動エピソードを拾い集めてみたい。ゆっくりゆっくりですが。個人的には備忘録(メモ)のつもりです。

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娑婆妥場

Author:娑婆妥場
この道を、どんな日本人が歩いていたんだろうと、ついつい想いを巡らせてしまう今日この頃です。
いろんな感動エピソードに出会ったけれど、記憶力が悪く片っ端から薄れてしまうので、思い切ってブログに挑戦することにしましたとさ。

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