感動とはこんなにも身近なところに
 ※ 大変ご無沙汰しております。やりたい事とやるべき事の狭間で、どうにもブログ更新のための時間が作れない状況にあります。さらに、これから益々多忙となります。そんな中で、先ほど個人的ではありますが、大変感動したことがありまして。

 他人様には、どうということもないことかも知れませんが、筆者はいたく感動してしまい、相手先にその旨メールを送信したばかりでございます。

 あとになって、恥ずかしく思うかもしれませんが、そのひとかけらでも、もしや共有できる方がおられるかもと思い、その文面、ここに掲載してしまいます。(。。。


前略 ●●製氷株式会社様

このところ我が家の冷蔵庫の調子が悪く
かといって何だか修理をお願いするのも面倒で
近所のコンビニ(●●●●●)で氷を続けて4度ほど買いました。

ほんとに何気なくのことです。

バブル崩壊後の不景気は今も続いています。
我が家の家計も青息吐息。
でも、昔のことを思うとこんな不景気なんて
貧乏暮らしはお手のもの。

とはいうものの。

毎日の晩酌も、ビール、ワインから、発泡酒、安い日本酒に代わり
今では焼酎ですよ。(笑)

その焼酎を今夜も水割りで頂きました。
ですからちょっと今ほろ酔い気分なのですが。

もうこれで最後にしよう
と、何杯目かのグラスの底に貴社の氷がね。

こんなに氷をじーっと見つめたのははじめてのことでした。

綺麗だなぁ

透き通ってる

キラキラ輝いてる


もうね
何だか感動してしまって(笑)

(これ どこで だれが作った氷なんだろうか)

そう思うと、つい
メールしてしまいました(笑)

どこの水かもわからない
でも、よく見ると 

創業昭和8年!

頑張ってるんだなぁ

支那事変勃発が昭和12年。

それよりも前の創業だ!

日本が苦しみながらも頑張ってた時代
世界の中で有色人種に対する差別が甚だしかった頃
有色人種の国の中で唯一の完全な独立国であり
一等国として背筋をしゃきーっと伸ばして
近代国家として頑張ってた頃の創業!

今も輸出にたよる極東の島 日本ですが
世界を相手に堂々と戦って ついに斃れた日本でしたが。

あの大敗戦をも越え
こんなに美しい氷を作り続けておられる
●●製氷株式会社!

現在の社員、従業員が
そんな貴社の創業の歴史を 
そして日本の歴史を
知る人は 
わかっている人は
ほとんどおられないとは思いますが。

なんだか
この透き通った美しい氷を見つめていると

この氷に
私はとても癒されるのです。

グラスの底に残された
キラキラ光るこの綺麗な氷に

かつての
雄雄しい日本人の精神を見るようです。

今も変わらず
その精神を引き継がれていることと
私は勝手に思い込みます。

ほろ酔いとはいっても
いつもは
愚痴を垂れてみたりする日々でした

今夜は貴社の氷のお陰で
久しぶりにいい気分です!

どうも有難うございます。

ひとつのことに打ち込むことの
その道を極めることの崇高を
感じ入った次第です。

この社会の中で
数知れぬ人たちが
何かを作り出し
その流通で
私たちは便利に暮らせています。

誰が何を作っているかなんて
考えるヒマもなく
目の前のまるでジャングルを かき分けかき分け
私たちは生きています。

そのひとつひとつに
感謝することも忘れていたんだなぁー

今夜は
特別だったかも知れない
ちょっと心にゆとりがあったのかも知れない。

でも
我が日本国は
八百万の神の国

あらゆるものに
生命を感じ
感謝しながら生きることを
忘れてしまっちゃ 日本人ではなくなってしまう。

そんなことを
思い出させてくれました。

このグラスの底の氷

最後にシャキシャキっとかじって
全部おいしく頂きました。

どうか、創業の頃を記憶されている方が
おられましたら

伝えて下さい。

どうも有難うございます!

と。


ますますのご繁栄 お祈り致しております。

敬具





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【2008/08/02 00:30】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(1) | コメント(1)
織姫・彦星も失笑の環境茶番サミット
洞爺湖サミット会場 ※ 世界政治は腹黒い。七夕の日、洞爺湖で環境茶番サミットが始まった。世界は益々狂乱の霧の中へ。

 地球誕生から46億年、今日に至るまで幾たびの寒暖の上下があったことだろう。それを極々最近になって地球上に現れたばかりの人間サマがコントロールしようなどと、これ究極の身の程知らず、誰が本気でこんなことを考えるものか。ことの真相は頭打ちとなった世界経済に新しく、しかも巨大な資金の流れを作ろうって魂胆だろうと。それこそ、世界錬金術サミットか。それも流れの歪な。

 何もないところから手品の如く危機感、使命感を煽っては、ヘタな芝居を真顔でサミットしてなさる。本当に地球の環境が心配なら、温暖化に目を向けるバカは一人もいまい。あらゆる面での破壊国家シナの環境破壊こそが大問題であろう。シナを野放しにして何が環境サミットだ。

 二酸化炭素が悪なら、酸素を吸って二酸化炭素を吐く人間自身も悪ではないか。その二酸化炭素を吸って酸素を吐く植物サマが人間のエゴで砂漠化に追いやられている。自然との共生などと大上段に言うものの、とうの人間自身もその自然の一部であり、身の程知らずは寝言だけにして、人間に考える頭があるのなら、謙虚に調和の道を模索実行するのみではないか。

 そんな世界のイカレタ先進国たちのこじつけ、温暖化がどうのCO2がこうの、の狂乱の煽りを喰らい、弱小国が飢餓に喘がされている。たとえばアフリカ。あのアフリカを、かつて植民地化し搾取し破壊した張本人である列強国どもが何を言ってるか。

 てめえたちのシナリオで飢餓に追い込んでおいて、みんなでアフリカを救おうと、援助しようと、どの口が正義の使者面で。そのあまりに図々しい態度に反吐が出るわいな。あなたがたが援助するのは当たり前。彼らが立派に自立できるまで、それこそ奉仕する義務がある、もちろん利権抜きで。右手で支援のフリをして、左手で資源を盗むでないぞ、とクギを刺しておく。

 ああ、ここいらで時間切れ・・。まだまだ言いたいことの、ほんのサワリで事切れた。世界の首脳が仰々しく集まるサミットで、あんな茶番を見せ付けられると、織姫様も彦星様も、さぞかし白けていなさるだろう。そのうえ、きっと我が国首相のやる気のない醜態をみて、あれが大和民族の末裔だとも、よもや気づくまい。特筆するに、あれほどまでに早紀江さんを憔悴させるなんて!!!

 願いの書かれた短冊にもドッチラケ。サミットなんて今回限りでやめてしまえ。


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【2008/07/08 07:06】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(0) | コメント(0)
「テロ支援国家」とは我が国のことである
西村眞吾衆議院議員 ※ 北朝鮮を「テロ支援国家」と呼ぶのはおかしい。どこから見ても「テロ国家」そのもの。そして、我が国こそが真の「テロ支援国家」である。今こそ迷走米国には直ちに、この腰抜け日本国を「テロ支援国家」としてこっぴどく制裁するぞと脅してもらいたい。その際当然、北朝鮮を「テロ国家」と正しく指定し直し更なる制裁の強化をお忘れなく。

 なんと米国の北朝鮮のテロ国家指定解除を福田首相は前向きに評価したという。もう開いた口がふさがりません。。これを評価するのは金正日ぐらいでしょ?国民は怒り心頭。日本の北への制裁解除がそれを後押しした。福田さんは拉致問題についても国民を裏切った。

 これでもまだ福田さんを担ぎ上げる自民党はあまりに国民の意識と乖離している。幕末明治の危機には草莽の志士が日本を救った。今般の危機も、お偉いさんがたではなく、若手の草莽に期待したい。戦後体制の利権に浸るお偉い方はもうこれ以上の恥を晒さないで引っ込んでちょーだい。それともオリにぶち込まれたいのか。

 なーんてひとりつぶやいているときに、またしても西村代議士のこの論文!政治家ならこれくらいの見識、あって当たり前ではないでしょうか。福田脳では国が持ちません。







□この無防備国家・・・文世光事件の教訓 - 西村眞吾の時事通信(平成20年6月24日)
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi

 昨日、我が国の覚醒剤の卸売り値段が、従来の10倍になっていることを知らされた。卸が10倍なら末端価格でも確実に跳ね上がっている。

 この事実は、我が国に持ち込まれる覚醒剤の量が激減していることを示している。つまり、覚醒剤を積んでいる船が我が国に入港するのが困難になっているのだ。これは、明らかに北朝鮮の船の我が国への入港を禁じた対北朝鮮制裁の成果である。

 そして、この制裁以降、北朝鮮が、新たな資金獲得手段としてたばこの密造や保険金詐欺をしているという情報が入ってきた。

 このように、我が国の対北朝鮮制裁は、確実に効いており、資金獲得を困難にすることで北朝鮮の独裁体制を追い詰めている。このことを今再確認しておくべきである。

 もっとも、覚醒剤の値段は、捕まえる方と捕まる方しか知らない闇の世界のことで、一般には我が国の対北朝鮮制裁と結びつけて考えられていない。

 しかし、ここに事態の本質がある。つまり、北朝鮮独裁体制は「闇の世界」そのものであり、覚醒剤の値段と密接に結びついているのである。

(私が、覚醒剤取締法違反被告事件の弁護をした25年ほど前の記憶では、覚醒剤の末端価格は、0.03グラムつまり耳かき軽く一杯分が3〜5000円だったと思う。またこの頃、1キログラムの覚醒剤を警察が押収すれば、多量の覚醒剤押収としてテレビで報道され新聞に載った。しかしその後キログラム単位の押収量程度ではマスコミに報道されなくなり、対北朝鮮制裁前には、覚醒剤1〜3トンの押収でやっと報道されるまでになっていたのである。その頃0.03グラム5000円として1トンの覚醒剤売買でいくらの金が「闇の世界」に入っていたか計算していただきたい。)

 以上の通り、覚醒剤の価格変動から我が国の対北朝鮮制裁の効果を確認できるとともに、反対に我が国が如何に「闇の世界」に無防備であるかも身にしみて分かるのである。

 即ち、我が国政府は、今まで禁制品の覚醒剤が我が国社会に如何にして持ち込まれているかに無関心なまま放置し、覚醒剤による異常な犯罪が起こる度に驚き、「覚醒剤が主婦や学生層にまで蔓延してきた」と呆然とするだけで、万景峰号を始めとする北朝鮮船を厳しく捜索することはなかったのである。

 その我が国政府が、この度また、制裁の全体としての効果を確認した形跡もなく、対北朝鮮制裁緩和に動き始めた。

 また、全く別の角度ではあるが、我が国への1000万人移民受けいれ計画なるものを提唱する与党幹部も現れている。

 つまり、国内における拉致を許し放置した無防備体制をそのままにして「開放」に進もうとしているのだ。

 この無防備体制のつい最近の例は、本年4月26日の長野市である。この日、4000人ほどの「中国人留学生」により長野市が「中国人民解放区・無法地帯」になったが、政府にこの事態が突きつける警告を理解し責任を感じる者はいないようである。
 
 では、この状態で、我が国に外国人1000万人を受け入れればどうなるのか。

 この受け入れ推進論者は、我が国家を安い労働力を受け入れる中小企業だと思っているのであろう。つまり、論者は、我が国家と企業・株式会社の運用と経営を同じ次元でしか見られないのである。

 しかし、我が国は、会社ではない。

 一つの国家にして一つの文明である。

 従って、我が国の国民を「労働力」という観点からだけで把握してはならない。国民は一つの貴重な「文明の担い手」である。この観点から教育の再興も可能となるのである。従って、1000万人移民受け入れは、類い希に見る亡国の愚論である。一種の日本民族抹殺論、一種の民族浄化論、と言ってもよい。もちろん、その結果が出たときには論者は責任をとらない。

 ここにおいて、昭和四十九年八月十五日の「文世光事件」を再び想起することの意義がある。

 この事件の時に国際的非難を受けた我が国の体制はそのまま現在に受け継がれているからである。

 文世光事件は、我が国が無防備国家であること、そして、そのことが他国の大統領狙撃をもたらしたことを示している。つまり、我が国が知らないまま内外への「テロ基地」となり「テロ支援国家」になっていたことを示しているのである。

 この度、制裁が緩和されれば、ここに逆戻りする。

 さて、文世光事件の概要は以下の通りである。

 1974年、大阪の在日韓国人文世光(日本名南条世光、当時22歳)は在日朝鮮総連生野支部政治部長の金浩龍の指導により北朝鮮工作員となり、朝鮮総連系病院である東京都足立区の赤不動病院に偽装入院して共産主義教育と狙撃訓練を受け、その頃大阪湾に入港した万景峰号の船内で北朝鮮労働党の工作員から韓国の朴大統領の狙撃を指令される。

 その後、文世光は、大阪府警の高津派出所から警官のピストルを奪い、日本人吉井行雄になりすましてそのパスポートを取得し、奪ったピストルを持って韓国に入国する。そして、ソウルにおいて八月十五日に大統領出席のもとで行われる光復節の記念行事会場に日本政府高官として入場して、演壇に立っていた朴大統領を狙撃した。弾は大統領には当たらなかったが横にいた大統領夫人に当たり同人を死亡せしめた。

 捕らえられた文世光は同年十二月二十日に死刑に処せられるが、その直前に朴大統領と韓国国民に謝罪すると共に「朝鮮総連に騙された」との発言を録音テープに遺した。

 この文世光事件は、北朝鮮のテロにもかかわらず、韓国の日本に対する国民感情を国交断絶寸前まで悪化せしめ、北朝鮮に日本人をして対南テロを行わせるうま味を実感させた。以後、北朝鮮による、日本人拉致と、工作員の日本人化教育が活発になる。あの「日本人蜂谷真一・真由美親子」による大韓航空機爆破事件は、文世光事件の一つの帰結である。

 そこで、この文世光事件を可能にした我が国の体制であるが、これが現在も全く改まっていないのである。つまり、無防備体制が改まっていない。

 韓国政府は、事件から三十年を経てから外交文書を公表した。それによると、韓国政府は事件の三ヶ月前に朝鮮総連の規制を求める口述書を日本政府に提出していたのだ。何故なら、口述書によると、一九五三年から七四年の四月までに、日本から韓国に入国して検挙された北朝鮮スパイは二百二十名に達していたからである。

 韓国政府は、文世光事件を受けて、日本政府が口述書で韓国が要請したとおりの措置を執っていれば事件は防げたとした上で、日本政府に強制捜査と犯人引き渡し、朝鮮総連の反韓国的活動の取り締まりを求めた。

 しかし、時の田中内閣は、日中の次は日朝の国交回復と位置づけて、文に朴大統領を狙撃せしめた朝鮮総連生野支部の金浩龍を逮捕せず、文の狙撃訓練場となった赤不動病院にも工作活動の母体である朝鮮総連にも強制捜査に入らず、文に対する最終的な狙撃指令の場所となった万景峰号も日本に入港するにまかせて放置した。

 田中内閣は、「日朝国交樹立=賠償利権」に目がくらみ、韓国政府の当然の要請をすべて無視して、「不作為」を決め込んだのである。

 従ってその時、韓国の朴大統領が、日本を韓国赤化工作基地と非難したことは極めて適切である。

 仮にあの時に、日本政府が当然に為されるべき上記の措置をすべて実施するとともに、北朝鮮の工作活動を防ぎ得なかった我が国体制の欠陥是正、即ち、「スパイ防止法」の制定を実現しておれば、北朝鮮の工作活動が把握できるようになった。

 そして、北朝鮮の為すがままに実行された日本人拉致やビルマのアウンサン廟の爆破、さらに、大韓航空機爆破も防ぎ得たのである。

 しかし、あれから三十四年、日本政府はひたすら不作為を貫いてきた。従って、日本の無防備体制は何も変わっていない。

 今の福田内閣はあの時の田中内閣と同様に、日朝国交樹立と賠償利権をねらう勢力(超党派)に押されて、我が国をねらう核を持つ「闇の世界」を容認して制裁の緩和に踏み出そうとしている。

 しかし、福田内閣は、ここ数年間の拉致被害者救出国民運動の力と広がりを見くびってはならない。

 政府は変わらなくとも、国民は決定的に変わってきている。

 国民は、皆、今我が国が「闇の世界」を容認すれば、拉致された被害者をその闇から助け出すことができなくなると分かっている。

 従って、現内閣が、日朝宥和に進めば内閣の支持率が上昇するなどと考えているとすれば、全くの見当違いである。決然と、我が国の拉致被害者解放要求を貫いてこそ内閣の存在理由が明確になるのである。存在理由の明確化は、支持率を上昇させる。

 国民は、多くの同胞の拉致の悲劇を目の当たりに経験し、最近の長野で発生した無法地帯を観て、これ以上の無防備体制の継続に耐え難くなっている。

 国民は、港の岸壁で朝鮮総連の赤旗と音楽に歓迎され、デッキで「喜び組」が手を振って入港する万景峰号など見たくもない。


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【2008/06/25 13:29】 | 【演説・論文】 | トラックバック(0) | コメント(0)
福田政権に退陣を要求する
福田首相と胡 錦濤 日本語の言霊を信じ、福田政権の退陣を声に乗せて要求する。福田首相を担ぎ上げた取り巻き陣もひっくるめて悉く政界から消えて頂きたい。

 ああもうこれは、昨年この政権が誕生して以来ずっと願い続けてきたこと。すでにあの時、現在の状況は目に見えていましたから・・というより想像以上の悪夢です。 

 今、テレビでは「岩手・宮城内陸地震」の報道が・・。ああこんな時に地震が起きるなんて・・。そして、政治関連では高齢者医療制度をはじめ国民の生活がどうのこうのと、それも大事なことではあるけれど、もっと根本的な、国家の主権にかかわる問題が無視されていやしませんか。

 国家の独立なくして何の権利も守られないのです。財布の小銭を数えている間に国を奪われますよ。ああ、あの時の握手が国家売買成立の瞬間に見える。

 1000万人移民受け入れ計画って、殆どシナ人・朝鮮人?再調査の口約束だけで、北朝鮮への制裁解除?万景峰号って北の工作船でしょう?それで?外国人に我が国の参政権を与える?その上、人権擁護法案って誰の人権を擁護するの?

 1000万人というと日本人の子ども含めて10人に1人ですね。それらに参政権を与え、人権を擁護するのですね?日本人は少子化で人口が減少傾向にあり、諸々を想像すると・・・ゆくゆくは民族の消滅ですね!

 国家を内側(政治)から解体すれば、何も戦争なんぞしなくても簡単に侵略できる。痛覚のないイカが知らぬ間に塩辛にされるように、日本人が瓶詰めにされようとしている。そのラベルに書かれている原産国はシナですか?おお、なるほど、毒入りの政治家がすでにワンサカ入ってますな!

 なんだかヘンだな〜ヘンだな〜、と思っているうちに塩辛にされる・・。ウチの近所にもシナ人が増えてます。こないだ散歩中にシナ語の会話が聞こえてきまして、目をやると建築現場(一軒家)で働く大工さんたちでした。コンビニに入るとシナ人がレジを打ってます。これがこれから倍増するのですよ。

 ああ正直、嫌だなーと思いました。

 長野聖火リレーのシナ人たち、万単位だったそうですね。そのシナ人のほとんどは、普段はおとなしく勉強していたり働いたりしてたんじゃないでしょうか。でも、動員されるんですよ。号令で万単位が集まる。集まるだけではなく暴れました。シナの愛国無罪が日本でも発揮されたのですよ。 

 それがね。嫌だなー、と思って見つめちゃいけません。人権擁護法案が成立したらとっ捕まりますよ。そして、そんな状態を変えようという真摯な政治家も、とっ捕まりますね。おっと。こんなことブログにも書いちゃいけません。てなことに。

 ああそうだ。かといって、民主党政権が誕生したとしたら。昨年、自民党がだめなら民主党だといって、安倍政権が殺られましたからね、可能性大ですよ。するとマニフェストどおりに沖縄には「一国二制度」を布きますでしょ。この一国二制度ってえのは、チベットや東トルキスタン(ウイグル)に布かれてるアレですよ。民主党はマニフェストにシナの制度を謳ってるんですね。そんなことも知らずに民主党に投票した人が大勢いました。民主党はもっと強烈、まずは沖縄をシナへプレゼントするつもり?沖縄も先日、野党が過半数となり、この計画の地盤固めも着々と進んでますよ。

 台湾に国民党政権が返り咲いたとたんに、尖閣諸島での台湾漁船事故、領土をめぐって「開戦」も有り得るという発言が飛び出した。台湾もシナの瓶詰めが間近に迫っている。福田政権は台湾の国民党とそっくり、民主党も国民党とそっくり、公明・共産・社民は言わずもがな。どうすんの。

 こんな日本を、誰が求めたのですか。こんな日本のまま、子孫に渡すのですか。福田さん、あなた責任者ですよ。日本を誰のものとお考えか。ところで、あなたは本当に日本人なのか?福田さんだけじゃない、日本をなし崩しに解体しようとする売国代議士たち、どんどん壊れていく日本を見ていて楽しいか?そりゃ楽しいんでしょうねえ。

 ああ、シナはシナ、歴史は繰り返される。もし中共が崩壊したとしても、内乱の後に誕生する政権も恐らく似たようなものになるのでしょう。その政権がまた同じように毒となる。どうすんの。

 だからね。とりあえず、福田政権には退陣してもらいましょう、さようなら。

 あれからずっと、本当は、開国からずっと、日清、日露、大東亜、そして敗戦後もずっと、日本は有事のままだったのですね。それが小泉政権でちょっと目覚めた気がした。そして安倍政権で本格的な軌道修正が始まった。しかし福田政権が、そのすべてをぶち壊し、もう二度と立ち直れなくしようとしている。

 安倍さん、麻生さん、平沼さん、中川昭一さん、その他志を同じくする精鋭代議士の皆さん、勇気をもって、信念をもって、日本の再生、今度こそやりましょうよ!

 「こいは天命にごわす」  by 吉之助

 

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【2008/06/15 11:40】 | 【筆者雑記】 | トラックバック(0) | コメント(3)
亡命チベット人2世 タシィ・ツゥリンさん 釈放記者会見
チベット国旗 ※ 長野聖火リレーで逮捕拘留されていた亡命チベット人2世のタシィ・ツゥリンさんが、先週金曜日(5/16)、20日ぶりに釈放されました。威力業務妨害罪では最高額の50万円の罰金刑を受けたということです。異常ですね。

 拘留期間が長期に及んだことについては、胡 錦濤の来日に配慮した政治判断であったのだろうとのこと。極論として裏の裏を返せば、タシィさんの身辺保護のためとも考えられますが、50万円の罰金となると、うーん・・・、やはり異常であるとしか思えません。

 タシィさんの拘留期間が長引くにつれ、一部で「中国に引き渡されるかもしれない」との情報も流れ仰天しましたが、やはりデマだったようで釈放のニュースにとりあえず安堵しました。しかしタシィさん、ずいぶん痩せてしまいましたね・・お元気そうではありますが。

 このニュース、やはり大新聞もテレビもほとんどスルーでした。現在、四川大地震の報道で一色です。しかしね。地震とチベット問題は別問題です。地震で他の問題が帳消しになることはありません。地震の対処についての問題が上積みされたに過ぎません。

 さて、極一部のマスコミが集まり急遽記者会見が行われました。その模様が、関西ローカルテレビの朝日放送『ムーブ』(5/19)と、スカパー241のチャンネル桜『桜プロジェクト』(5/20)で報道されました。『ムーブ』については人気ブログ“ぼやきくっくり”さんで詳細が紹介されております。ついでにYOUTUBEも貼っておきました。

 で、重複するところがありますが、下記に『桜プロジェクト』の方をテキストに起こしました。そのVTRにはカット部分があり、(・・・)表記で繋げております。このカット部分については、恐らくペマ・ギャルポさんの通訳部分であると思われます。タシィ・ツゥリンさんの発言はテロップで表示されておりました。


 □長野で抗議し、逮捕されたタシィ・ツゥリンさんへのインタビュー 1/2(ムーブ)
 

 □長野で抗議し、逮捕されたタシィ・ツゥリンさんへのインタビュー 2/2(ムーブ)
 



□チャンネル桜『桜プロジェクト』(5/20) より

■亡命チベット人2世 タシィ・ツゥリンさん 記者会見 (通訳:ペマ・ギャルポさん)
平成20年5月16日(金)東京・ニュートーキョービル

ペマ・ギャルポ
「まずは皆さんにご挨拶を申し上げますよ」

タシィ・ツゥリン
「このたびは、日本の国民、政府、警察にご迷惑をお掛けしたことをお詫びし、また、感謝申し上げたいと思います。・・・拘留中に日本の皆様から沢山の手紙を頂きまして、それが大変励みになりました。このことは生涯決して忘れません。・・・日本の法律を犯さねばならなかったやむを得ない理由があったことを、申し上げたいと思います。・・・私はインドで生まれて、祖国を見たことはありません。しかし親から聞いた話で、かつてそこで何があったのかを常に自分で考え、18歳から今日まで心が落ち着いたことはありません。今、チベットで何が起きているのか、今回のことだけでも、亡くなった方々のことを思うと、いても立ってもいられず、あのような行動に及んでしまったのです。・・・日本ではチベット人が暴力的であると思っている方もいるかもしれませんが、決してそのようなことはありません。私たちはあくまで、平和裏に非暴力的な運動をしています。・・・改めて、日本の皆様ありがとうございました。」

Q:日本に来る前はどこの国で抗議活動を行っていたのですか?

「タイのバンコクで抗議活動をしていました。・・・インドとネパール、バンコク、ドイツそして日本です。」

Q:長く拘留されると思いましたか?

「最初はそうでもないと思いましたが、取調べの様子などから、長くなりそうだと思うようになりました。・・・日本の警察は私の活動についてかなり調べていたようです。その確認のようなことがありました。私は常に平和裏に活動して、やましいことはないので、その通りだと追認しました。」

Q:今回は一人で日本に来たのですか?

「一緒に活動する仲間はいますが、今回は一人で来ました。」

Q:警察はあなたの活動についてどのようなことを知っていましたか?

「私がネパールの抗議活動に参加したことは知っていました。その件については繰り返し聞かれました。」

Q:警察はあなたの活動について詳しい情報を持っていましたか?

「持っているような印象もありましたが、全く関係ない質問もされました。」

Q:あなたの活動について中国当局から情報が流れているのでは?

「日本の当局が私について特に詳しい情報を持っているとは思いませんでした。私の活動はチベット人として、何も恥じることも、隠し立てすることもないので、質問には積極的に答えました。」

Q:警察は取り調べで新しい情報を採っている様子でしたか?

「日本の警察はあくまで法律に沿って質問しているようでした。当初は、過激な行動も行っていると想定していたようですが、私が平和裏に、非暴力的に活動していると納得したうえで、釈放してくれたと思っています。」

Q:福原愛選手が、訪日した胡 錦濤主席と卓球をするのを知っていて、飛び出したのですか?

「聖火ランナーが走ると知っていただけで、どういう方かは全く知りませんでした。全くの偶然だったのです。カルマ(業)なのかもしれません。」

Q:日本での拘留期間は他国と比べ、長いのでは?

「それぞれの国の法律の問題で、比較に意味はありません。日本の法律は犯しましたが、ちゃんと罪を償い、それに沿って結論を出してもらったと思っています。」

Q:日本以外で、拘留されたことはありますか?

「オリンピックに関する抗議活動では、ありません。3月10日の決起記念日にインドで捕まり、一ヶ月間拘留されました。」

Q:当局の対応において日本と外国で違いはありますか?

「各国の治安に対する取り締まり方は、さして違いはないと思います。今回の場合は中国人たちが、後ろから挑発的なことを言ってきたので、自分の父親が刑務所から出た後、またそのような人たちがどのような目に遭ったか、急にそれを思い出して、あのような行動に出てしまいました。他国ではそこまでのことはなく、捕まることもなかったのです。」

Q:中国人たちはどのような言葉で挑発してきたのですか?

「私が習慣的によく口にしている言葉“ダライ・ラマ万歳!”を叫んだところ、後ろにいた中国人たちが“ダライ・ラマはキチガイ!”“ダライ・ラマは平和を乱す悪人!”と叫んできました。それを聞いて冷静でいられなくなりました。・・・チベット人の今日があるのはダライ・ラマ法王のお陰です。世界中の人たちが法王は平和的な方だと知っているのに、侮辱的な言葉を発したことに我慢ができなかったのです。」

Q:大地震による、北京五輪の延期論については?

「個人的な見解ですが、オリンピックより救済活動が優先されるべきだと思います。」

Q:今回の抗議活動で自分の思いが世界に伝わったと思いますか?

「自分自身の小さな目的、祖国を見たことがない私が、自分自身がチベット人であることの意味において、そして今回、多くの人たちにチベットを知ってもらえたということで、目的は達成されたと思います。」

Q:中国に対して何かメッセージは・・・

「チベット人に害を与える中国政府に怒りはありますが、中国人に対しては特別な感情はありません。むしろ、中国人とチベット人は幸せを求める同じ人間だと思います。」


三輪和雄(桜プロジェクト火曜日担当キャスター)
「お疲れのところ有難うございます。まーあのー、今日ですね、インタビューのときも質問させて頂きましたけれども、それはも非常に篤い宗教心でね、日本の警察に対しての恨み言もおっしゃらずに、もうその部分感激したんですけれども、ただチベットにこう・・平和をもたらすためにはもっとこう・・本音というか、戦法的にいろいろ思いをぶつけた方がかえっていいような気もしないではないんですが、いかがでしょうかそこらへんは」

タシィ・ツゥリン
「おっしゃる通りですが、数日前の大地震で多くの方が亡くなったことにより、私の気持ちは収まり、今は同情しています。」

三輪和雄
「それからあのー、チャンネル桜の視聴者をはじめですね、日本人であのー、そのダライ・ラマさんとは何の関係もない人たちが、チベットに、今のね、状態に心の底から同情して、長野でもですね、チベット旗を・・あれはチベット人でもなんでもなくて本当の日本人がね、チベット旗をもってあれだけ連帯を、沢山の人たちがしていたということに関して何か一言あれば」

タシィ・ツゥリン
「そもそも今回、日本に行こうと思ったのは、マレーシアで日本人夫婦の抗議行動があったからです。」

三輪和雄
「まーあのー、ともかくですねー、この威力業務妨害ということになってるんですけど、私の方のアレですると、あの程度のことで逆に10何日(20日間ですヨ、三輪さん)もですね、拘留されたかと。あのー、ま、ペマさんはご存知のように罪刑法定審議ってのがあって罪は法で定めると、いうことになってますんでね、諸外国に比べてどうかということを伺ったんですけども。私も長野に行きましたけれども、まーあのー、彼が挑発されて怒ったように、あれだけチャイナの人間がもう傍若無人にね、やってたと。で、警備も明らかに中国側を守る警備で、チベットの旗を持った人をむしろ規制するという、こういう日本のあり方はどうだったでしょう。」

タシィ・ツゥリン
「長野に着いた時には、中国支援者が多くいるように見えましたが、命令されたり、お金を貰って来ている中国人に対して、よく見ると、チベットを支援してくださる日本人の方々は心からの応援をして下さっていました。日本人の皆様のお陰で、とても心強く感じられました。」

三輪和雄
「どうも有り難うございました」




 ※ 桜の方のVTRを見ての印象ですが、タシィさんの熱のこもったお答えの様子やその言葉の多さからすると、テロップがとても簡略化されていて、本当はもっと言葉があったんじゃないかと、もっと詳しい通訳が欲しかったなと。チベット語が分からない筆者にはどうにも歯がゆい思いでした。

 釈放されたこの当日に急遽、ほんの数時間を東京での記者会見に費やし、翌朝早々に台北へと帰られたそうです。その後、台湾でも記者会見などがあったなら、それもぜひ聞いてみたい。

 「国のために自分に何ができるかを常に考えて生きている」「18歳から今日まで心が落ち着いたことがない」とおっしゃるタシィさんは、本当なら、あの中国によるチベット侵略という悲劇がなかったなら、今ごろチベットのどこかで平和に暮らせたはずなのです。こんな遠くの外国で逮捕されたり記者会見をすることもない、同胞に囲まれ些細なことに夢中になって生きていられたはずなのです。そして今、世界中に散らばるチベット人のほとんどの人たちが、タシィさんと同じ思いで耐えているのかと思うと何とか助太刀してあげたい、してあげたいが・・。

 現実の日本国政府はというと・・。あの長野でタシィさんを地面に押さえつけ羽交い絞めにした。筆者には、あの姿が、中国に羽交い絞めにされる日本国に見えて・・・。

 北京五輪に拘るあまりに、今、中国は四川大地震にも苦しめられているように見えます。しかし、本当に苦しめられているのは中国人民です。タシィさんのおっしゃるように、中国人もチベット人も日本人も幸せを求める同じ人間なら、あの閉鎖的で残忍な中共政府を早く崩壊させたい。そのためにも今だ目覚めぬ日本人と日本政府の軌道修正を急がせたい・・。うううう。。。
 

 
 

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【2008/05/21 05:19】 | 【Free Tibet】 | トラックバック(0) | コメント(4)
あーした天気になーーーれ
チベット国旗 ※ この期に及んでチベット四川大地震とは。中共政府が誕生して59年、その間の災いは天災(人災?)も含めてどれだけ自国民の命を奪ってきたことだろう。何という軽き中国人民の命。ただただお悔やみ申し上げるばかりです。

 人心を欺くことで保身を続けたこの独裁国家の巨悪は、その存在が閉鎖的であるがゆえに国際世論からの非難を免れていたが、経済の改革開放とインターネットの出現による極めて情報の統制困難な時代を迎え、ここに来て急速に世界に晒されることとなった。

 近年、かの国の急速な経済発展にともない関係諸国を巻き込んだ事件の数々は驚愕の限りを尽くしており、神をも畏れぬ究極の、国家ぐるみ、及び、かの国特有の体質とでも言うしかない倫理欠如の所業に、世界は眩暈と嫌悪感で充満していた。

 そこへ来てのチベット弾圧だった。

 内政に極度の不安を膨らませながらの国際社会への船出は、建国59年目を迎え、何が何でものオリンピックが仇となったようだ。チベット弾圧への抗議は、チベット問題だけにあらず。中共政府が撒き散らしたあらゆる巨悪への抗議だ。

 しかし思うに、この巨悪を太らせた大巨悪は、第二次世界大戦の戦勝国にある。遡って欧米列強の人種差別的覇権にある。そして敗戦により、かつての魂を失った我が国の迷走にある。

 中共の崩壊とともに、その同罪たる秩序のひずみが、矯正への道へと辿らんことを希(こいねが)うばかりです。言葉が正しく蘇り、歴史が正しく蘇り、人類社会の未来が明るく照らされますよう、雨にも負けズ風にも負けズ・・・なーんて。日本語は言霊だから、こう言い続け願い続ければもしやそうなるかも、と。

 あーした天気になーーーれ。


 

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【2008/05/18 07:16】 | 【Free Tibet】 | トラックバック(0) | コメント(0)
冷徹さでは福田首相も胡 錦濤と同類
福田首相と胡 錦濤 ※ 福田首相を形容してぴったりくる言葉がなかなか見つからない。あえて言うなら「冷徹さでは胡 錦濤と同類」というところか。

 チベットの惨状にも動じない、中国産食品等で国民の生命をも危うくされていることにも動じない。長野での警備方針は福田首相の意向が反映されたものだった。胡 錦濤の滞在期間中は、その路線がさらに強化されるらしい。

 福田首相にはさらさら、日本国民の生命と安全・財産・名誉そして法すらも守る気がないようだ。その点で胡 錦濤と酷似しているように思う。

 自民党は安倍前総理が倒れた後、なぜに福田氏を総裁に持ち上げたのか。と疑問に思います。福田氏は前の総裁選で年齢を理由に候補を辞退していた人だ。しかも、安倍氏と相反する立場であったにもかかわらず、安倍氏を推挙していた代議士のほとんどが福田氏推挙に回った。そこには政治家としての理念も何もない、勝ち馬に乗ったと判断するのが妥当でしょう。筆者の疑問とは、その福田氏を勝ち馬に選んだ意図とは何だったのか、ということ。

 福田政権の発足以来、順調に支持率は落ちてゆき、とうとう安倍政権末期をも下回った。安部氏を叩きに叩いたあの朝日新聞が「福田首相参上!」と歓迎したにもかかわらずこの「惨状!」とは。これいかに。

 筆者は。福田氏を総裁に導いた意図とは、自民党潰しにあったと思っています。

 小泉政権が誕生する以前、あの頃の自民党支持率低迷も相当酷いものでした。政権交代は確実であろうと世論も民主党も浮き足立っていたが、小泉政権の誕生で自民党は救われた。小泉氏さえ総裁選で負けていたならば、あの時点で自民党は潰れていたのです。現に総裁選当初の党内支持では小泉氏に分は無かった。国民の人気だけがあったのですよ。

 さて、小泉政権の誕生、そのお陰で後の安倍氏による真正保守政権が実現した。しかし、「戦後レジュームからの脱却」を掲げ、安倍政権下での日本再生が本格化すると、朝日をはじめとする左派が牛耳るマスコミの安倍叩きは、以前にもまして執拗にして手段を選ばずの露骨なものとなった。安倍氏の改革が教育・安全保障、そして自治労・公務員にまで及ぶと、安倍潰しの包囲網は官僚によるリークも加わり、まるで袋叩きの形相となった。

 向かうところ敵ばかりとなった安倍氏を守るべき内閣からも、叛乱とも受け取れるような失言や不祥事が相次ぎ自殺者まで出した。とうとう健康まで損ない気力体力使い果たした安倍氏は力尽きた。その後の情報の中には側近の首相秘書が工作員であったと指摘するものもある。

 そして直後の総裁選でイリュージョンの如く周りから持ち上げられたサプライズが福田氏だったのだ。安倍政権を継ぐに最も相応しかったはずの麻生氏は一夜にして党内支持率が反転し、総裁選のルール変更という掟破りの辻斬りもあり、国民の応援むなしく華と散った。

 かくして福田政権の発足と相成ったが、今日のこの惨状は、その時点で、誰もが予測できていたことなのです。

 自民党潰しのために福田政権を誕生させた。中共による政治工作の項目にある自民党内の分断工作は小沢氏らの離党の頃に完成されており、自民党解体工作は福田氏を勝ち馬にすることで完成していたのでしょう。これ、筆者だけの単なる妄想でしょうか。どっちにしろ、自民党は死に体です。そして、中共による日本無血侵略は、民主党政権の誕生でほぼ完成となるでしょう。

 フリー・チベットならぬ「フリー・ジャパン」を、日本人はすでに始めなければならない。ということ。胡 錦濤は来日するのではない。「新・日本自治区」を視察に立ち寄っているだけなのだ。と、自分で書いていてぞっとする。

 胡 錦濤よ!私はあなたを歓迎しない!

☆この画像を、5月6日に掲載しませんか。
日本人が、彼を歓迎していると思われたくありません。

その日は、あちこちのブログに、この画像があればいいなと思っています。
直接、抗議やデモに参加出来ない方も、ぜひご利用下さい。




NO!虐殺者


NO!胡 錦濤


NO!チベット弾圧


NO!首切り人


 
 
チベット大虐殺の真実(OAK MOOK 210 撃論ムック) (OAK MOOK 216)チベット大虐殺の真実(OAK MOOK 210 撃論ムック) (OAK MOOK 216)
(2008/04/30)
西村幸祐

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【2008/05/06 07:30】 | 【Free Tibet】 | トラックバック(1) | コメント(3)
4・26長野善光寺 チベット犠牲者追悼法要
チベット国旗 ※ 明日、胡 錦濤がやって来る。 

 
 




□【聖火リレー】その時善光寺では【日本人の想い】
聖火リレーの始まったその時、スタート地点を辞退した善光寺では、チベットでの犠牲者 へ追悼法要が行われました。それはチベット民族のみならず、中国の人にすら対象とするものでした。

 




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【2008/05/05 18:50】 | 【Free Tibet】 | トラックバック(0) | コメント(0)
皇后陛下のお言葉の中から-壁崩壊後のベルリン訪問時のご印象
歩み 皇后陛下お言葉集歩み 皇后陛下お言葉集
(2005/10/08)
宮内庁侍従職

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 ※ 「御即位十年に当たっての記者会見」より、平成十一年十一月十日、在日外国報道協会代表質問より皇后陛下の御言葉をお一つご紹介致します。


 

質問― 両陛下はこの十年間に何度か外国をご訪問されましたが、当時の最も印象深い思い出や、ハプニングについてお話をお聞かせ下さい。また、そうした機会を体験されて、日本が国際的役割の中で世界に発信した方がよいと思われるメッセージは何だとお考えでしょうか。


 皇后陛下― 十年間に訪れたどの国においても、幾つかの懐かしい再会があり、たくさんの新しく印象深い巡り会いがありました。遠い国々を訪ね、そこに母国におけると同じく、心を通い合わせることのできる人々を見いだすことは本当に嬉しく楽しいことでした。

 それぞれの旅に思い出があり、その中から最も印象深い一つを選ぶことは難しいのですが、今、陛下もお触れになりましたように私も壁崩壊後のベルリン訪問は、とりわけ深い印象とともに思い出します。

 今から十年前のちょうど今ごろ、テレビのニュースで朝の光を一杯に受けたブランデンブルグ門に群がる人々の笑顔を見、その明るい光景に強く心打たれてから四年後、陛下のお伴をしてベルリンを訪れ、ワイツゼッカー大統領ご夫妻とベルリンのディープゲン市長ご夫妻とともに、ブランデンブルグ門を通りました。その後壁の周辺を歩き、そこで亡くなった幾人かの方々のお墓を見、この壁とともにあった三十年近くに及ぶ世界の歴史と、その壁のために命を失った人々と、また運命をたがえた多くの人々の上に思いを致しました。忘れることのできない旅の一日でした。

 二つ目の質問である、日本が世界に発信すべきメッセージについては、これはさまざまであってよいのだと思います。また、私は幾つかの国を訪問する機会を得る中で、一国が発信するメッセージは、必ずしも言葉や行動により表現されるものばかりとは限らず、例えば一国の姿や、たたずまい、勤勉というような、その国の人々が長い年月にわたって身につけた資質や、習性というものも、その国が世界に向ける静かな発信になり得るのではないかと考えるようになりました。その意味で、日本が国際的な役割を十分に果たしていく努力を重ねる一方で、国内においても、日本が平和でよい国であることができるよう、絶えず努力を続けていくことも、大切なことではないかと考えています。



 
 ※ 1989年11月9日 ベルリンの壁崩壊。その日突如として東ドイツ政府が、東ドイツ市民に対して旅行の自由化を発表したことから、なだれ現象のように西側へ渡る大群集の様を、筆者もテレビで目撃した記憶が今も生々しい。ハンマーを振り下ろし嬉々として壁をぶち壊す人々を見て、世界中が歓喜の声を上げた。

 今、北京オリンピックを控えた中国へ、世界中の視線が集まっています。息をつめて見つめる多くの人々の胸に、あの「ベルリンの壁崩壊」の記憶が蘇っているのではないでしょうか。

 さて、今や現場を知る者には「長野事件」と呼ばれる先の聖火リレーでの様で、あの日は日本国の主権を踏みにじられ法治国家としての前提を揺るがせた大事件としての自覚があります。一方で政府は胡 錦濤 国家主席の訪日を前に、いまだその自覚がないようです。

 長野での中国人留学生たちの傍若無人な様を思い出すと、全体主義に手繰られた哀れを感じると同時に恐怖を覚えました。日本の警察は手も足も出せず、中国人による不法行為を黙認した。それは警備の算段を誤ったためなのか、政府の意向が反映したものだったのか。これを放置することは、中国にその日から主権移譲したことになるまいか。今からでも遅くはない、被害者は警察に届けを出して欲しいと思います。

 ひるがえって中国人当事者たちは何と思ったか。自国での「愛国無罪」が他国である日本で通用すると思い込んだとしたら大変なことになる。警察はその威信にかけて粛々と法に委ねるべきである。もしや胡 錦濤の訪日時においても同様の警備に及べば、我が国の法治国家としての体裁は完全に崩壊する。やめてくれ。

 さらに我々は、在日中国人の方々全部が全部だとは思わないが、中共政府からの糸で容易に手繰られ得る存在であることを目の当たりにしました。彼らは祖国を離れても恐怖政治の影響下にあるということだ。彼らの多くは中共を信じていないという。中共が大嫌いだという。しかし、祖国への愛国心は当然に持っている。中共は嫌でも、愛国心を持つことはごく自然なことなのだから。

 そんな彼らに、筆者は、敵対するのではなくこう語りかけたい。「あなたは中共を信じられるのですか?」と。天安門事件で中共は何をしたか思い出して欲しい。彼ら自身が、もしくは、彼らの両親や親戚が、あの事件を覚えているはずです。今日本にいて、この自由の国で、天安門事件や文化大革命の真実を調べることは容易なこと。どうか、あなた自身が真の自由に目覚め、祖国の開放と民主化に心を傾けて下さい、と。

 ところで、もう一つだけご紹介したい皇后陛下のお言葉があります。マスコミの方々は心して耳を傾けるように。


□平成五年 お誕生日に際し宮内記者会質問に対する文書回答

 質問― 最近目立っている皇室批判記事についてどう思われますか。



 皇后陛下― どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。今までに私の配慮が充分でなかったり、どのようなことでも、私の言葉が人を傷つけておりましたら、許していただきたいと思います。

 しかし、事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます。批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であっては欲しくはありません。

 幾つかの事例についてだけでも、関係者の説明がなされ、人々の納得を得られれば幸せに思います。






 ※ この翌年のお誕生日(11/20)の朝、皇后陛下は倒れられ、失語の状態で後の六ヶ月を過ごされた。その間も、倒れられた当日以降の公務はすべてお出ましになられました。

 天皇皇后両陛下は、長野事件を見てどのように思われたでしょうか。胡 錦濤訪日の際の謁見は、筆者にはどうにも許し難く、陛下に痛く申し訳なく思います。我々の声は政府には届かないのか。福田現政権においての胡 錦濤の訪日には絶対反対です。どうにかならんのか?

 同日にダライ・ラマ法王と会談されるなら大歓迎ですが。





 

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【2008/05/03 06:55】 | 【御皇室】 | トラックバック(0) | コメント(2)
昭和天皇の戦中生活について描かれた手記を発見と-東京新聞
昭和天皇・香淳皇后 ※ 先日の「昭和の日」(4.29)、東京新聞朝刊一面トップでの記事(26・27面記事は新聞から転載)です。ネット上を探してみると他にFNNニュース(フジテレビ)がとり上げていました。FNNでは動画もご覧になれます。

 しかし手記といえば誰の手に委ねられるかで扱いも変わること、先般の「富田メモ」の扱いで記憶に新しいのです。どうかそのまま歪めることなきよう、と見守りたい。

 昭和天皇のお人柄についてはこれまでにも多くの史料や著述等があり、「富田メモ」での報道内容では大きく乖離した違和感を持ちました。その疑惑に対しスクープした日経新聞は払拭のための史料公開を拒絶したままになっています。

 



【FNNニュース】
昭和天皇の戦争中の生活がうかがえる侍従武官の手記が見つかる


 戦争中の昭和天皇の生活がうかがえる侍従武官の手記が見つかった。
 食事について、「一汁二菜、お香物位(おこうのものぐらい)」と記されるなど、質素を好んだ昭和天皇がしのばれる。
 「宮殿炎上」と題されたこの手記は、1936年から日米開戦前年の1940年まで、軍部との連絡役である侍従武官を務めた山澄 貞次郎元海軍少将が、終戦後に記したもの。
 手記には、昭和天皇の戦争中の生活について、「何事にも堅実簡素を尊ばれる」などと書かれ、食事は「白米を召し上がらず、七分づきのご飯に、一汁二菜、お香物位で、皆が想像するように、山海の珍味を並べる王者のお食事とは全く違う。私は、金持ち連中は少しは自重しろと憤慨した」と記されている。
 また、何事にも仰々しいことを嫌う昭和天皇が、側近らに対して、「なかなか趣旨が徹底しないのは困ったものだ」などと苦言を呈していたエピソードもつづられていて、その人柄がしのばれる。


【東京新聞:一面】
□昭和天皇の戦中生活描く 海軍侍従武官の手記発見
-2008年4月29日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008042902007452.html

 日中戦争開始前年から昭和天皇(一九〇一−八九年)の海軍侍従武官を務めた故山澄貞次郎(やまずみていじろう)氏(七六年に七十九歳で死去)の手記を遺族が見つけた。昭和天皇の知られざる人柄や質素な生活ぶりが、側近の目を通して描かれた貴重な資料として注目される。 

 手記は「随筆 宮殿炎上」。山澄氏は三六(昭和十一)年五月−四〇年十一月の四年半、軍部との連絡役を担う海軍侍従武官(計三人)の一人として昭和天皇に仕えた当時の様子などを、終戦後の四八年につづった。

 まず昭和天皇の「人間宣言」について「事実は決してそんな変化があった訳ではなく」「以前から決して御自身を神と思召していらっしゃりもしない」と説明。四六年から始めた全国巡幸を「機会があったら今度の戦争について国民にわびたい、日本再建の努力に力づけをしたいと思召していらっしゃったのが御主旨(しゅし)」と記す。

 生活ぶりは「何事にも堅実簡素を尊ばれる」とし、好況の当時でさえ食事は「白米は召し上がらず、七分づきのご飯に一汁二菜、お香物位で、皆が想像するように、山海の珍味を並べる王者のお食事とは全く違う。私は金持ち連中は少しは自重しろと憤慨した」。

 下着も「すっかり切れるまで洗濯して召される」。ぜいたく品は使わず、品質が悪くても国産品や代用品を利用、腕時計は国産のニッケル物。写真を見る際は「包装やアルバムの体裁などは何でも良く、仰々しいのを殊にお嫌いになった」と明かす。

 軍服姿の真夏の執務でも扇風機を使わず、冬の葉山御用邸の滞在は「御避寒」とされていたが「実際は筑波おろしの寒風を突いて連日荒けた海上にお出ましになる御鍛練であって(生物研究の)御趣味でなければ決してできない」と振り返る。

 昭和史に詳しい作家・半藤一利さんの話 昭和天皇の暮らしぶりを示す詳細な描写がある。人々が興味を持つ内容で今まで書かれていなかったことが書かれており、天皇の生活を具体的に示す記録として興味深い。

【東京新聞:26面】
□戦時下の側近がペン 誤った昭和天皇像憂う


☆「随筆 宮殿炎上」発見
 太平洋戦争に向けて軍靴の音が高まる中、海軍侍従武官として四半世紀にわたり、昭和天皇に仕えた山澄貞次郎(やまずみていじろう)氏。終戦から二年半余たった手記では、天皇の日常生活に関する間違った伝聞や憶測を憂い、その素顔を書き残して興味深い。主なものを紹介したい。(生活部・杉戸祐子、特報部・野呂法夫、一面参照) =原文は《》。一部省略、現代仮名遣いに。

■「几帳面」気配りの執務

 《まことに惜しくてたまらない》―。手記は山澄氏が終戦後の一九四六(昭和21)年、出征先の南太平洋・ブーゲンビル島から帰還する途中、前年五月の空襲で皇室の中心的施設「明治宮殿」(豊明殿など)が全焼したことを知った無念さから始まっている。

 山澄氏は祖父、父も海軍の重鎮という「海軍一家」に生まれた。戦艦「陸奥」の艦長も務め、終戦時は少将。退官後は神奈川県逗子市に住んだ。

 手記は長男の故暉(あきら)さん(二〇〇四年死去)の妻康子さん(八〇)=同市=が遺品から見つけた。「復員省」と印刷されたB5の縦書き用紙六十一枚に、「心を清める」「陛下の御食事」など十九項目にわたる。

【御言葉】

 《陛下がおやすみになることを「御格子(みこうし)」、魚を「お万那(おまな)」》。山澄氏は御所で使われていた言葉を記録した。

 そばは「そもじ」、酒は「おすすり」。昭和天皇は自身を「朕(ちん)」ではなく「わたし」、皇后(香淳皇后)を「ながみや(良宮)」。娘の内親王らは両陛下を「おもうさま」「おたあさま」、側近は天皇を「お上(かみ)」と呼んだ。

 お印は昭和天皇が「若竹」、香淳皇后は「桃」。《皇后陛下は桃にちなんだ玩具をお集めになってすでに数百個》《ご印章の因縁であろうか、お上の御性質が竹のように素直で清廉で、皇后さまが桃のように豊かでふっくらしていらっしゃる》

 正月に自分の干支の日があれば飴を出す習慣があった。侍従らの詰め所では盆に山盛りの飴が三つも四つも出て、一同なめながら祝い話をした。

【映画】

 昭和天皇は新聞は切り抜きを読むとされたが、《東京の主要六種類と大阪二種類を、約二十分間フォルマリン消毒をして差し上げた》

 映画はお好きで、ベルリン五輪の「民族の祭典」や音楽映画「未完成交響曲」、ディアナ・ダービン主演の「オーケストラの少女」、ハンセン病をテーマにした「小島の春」など当時の主なものはほとんど鑑賞された。

 長女の村木淳さん(八一)=同市=によると、山澄氏は退官後も葉山御用邸(同県葉山町)に滞在された天皇の将棋やコントラクトブリッジ(カードゲーム)の相手をした。

 天皇は日中戦争以来、皇居内でのゴルフは中止したが、遊びの腕前ををこう明かす。《ゴルフのハンディが二十二、玉突きが二十五ぐらい、将棋が素人仲間の上の下(六級)》

【東京新聞:27面】
■海底採集 船酔い無縁


【御謹言の片鱗】

 昭和天皇の執務ぬりは《万事几帳面》。普段は背広姿だが、陸海軍大臣から報告を受ける際にはその軍服に着替え、《一日に三度も四度もお召替えになることは珍しくない》。夏に廊下のガラス戸も少ししか開けず《大切な国務関係の書類を飛ばしたり無くしたりするのをお気使った》

 村木さんによると、山澄氏は生前「政務室は密室で暑く、自分たちは汗だくだったが、その中でお上はきちんとしておられた」と話していた。

 一方で宮内省の役人への苦言も吐露する。《地位環境を利用して不当の権力をふるい、威張り散らした者もいた。その言動が陛下のご意志そのものであるように誤られていたのは遺憾》

【花梨】

 両陛下の御殿の庭に大きな花梨があった。山澄氏は三七年暮れ、《三つも頂戴すれば一つぐらいは芽が出るでございましょう》と、実を頂いた。

 花梨は桃と違い、小さな実がたくさん入っていることを知らなかった。《この無知が当分、両陛下のお笑いの種になり、赤面の至りであった》

 花梨は自宅の庭で増え、苗木数本を皇后陛下に献上した後日談も。《御殿の花梨は戦災で焼けてしまい、献上した第二世の花梨が、今は吹上御苑にすくすくと大きく育っているとのことだ》

 吹上御苑には毎年夏、滋賀県からゲンジボタルが献上された。生物学者の天皇は単なる慰めではなく、何とか繁殖させようと苦心され、流水に放って研究もされた。

 ヒドロゾアなどの採集は面目躍如だ。海軍侍従武官が船長になり、十五トンの葉山丸で葉山沖に出て300メートル以上の海底で網を引いた。《海上が荒れても陛下は少しも構わず、船に弱い侍従はすぐ酔ってしまうが陛下はまことにお強く、酔ったご経験がお有りにならない。薬は侍従がお世話になるのが落ちであった》

【皇太子殿下の玩具】

 皇太子さま(現天皇陛下)の思い出もある。学習院初等科入学前に東宮仮御所で独立した生活を送るため、両陛下の元を離れるお別れの内宴が三七年三月の夕に開かれ、皇太子さまから御所で遊んだ玩具が側近に贈られた。

 《「山澄、山澄、アア山荒らし」と仰せられた。私が海軍の侍従武官だからとて「ノラクロ」が乗っている船の玩具など、小さい物八個を賜ったが、体の大きな小出侍従には、最も似合った犬の玩具を賜って大笑いをなさった可愛らしい御姿を今でもはっきり覚えている》《これらの玩具を見ると、私たち一般の生活と大差ない御生活様式であるのがわかる》

【酒と煙草】

 昭和天皇は飲酒も喫煙もされなかったが、出征者の慰問に心を砕く。侍従武官が戦地入りする御差遣(ごさけん)で重要な役目が特注の酒などの下賜(かし)だった。

 二九年、若槻礼次郎元首相が御陪食(ごばいしょく)の際、「良いお酒でございます」と申し上げたところ、天皇は「今日は特に理研酒(合成酒)を用意したのだが」と大笑いされたという逸話を引いて記す。《御慰問の酒と違い、御陪食の際、外国人など別の場合を除いて、理研酒のようなものをお用いになるのは有りがちのこと》

【お田植え】

 宮中の儀式で大切なのが、両陛下が皇居内で行う養蚕や米作り。《御自ら農家の苦心と努力とを御体験なさっていらっしゃることと、その意義を国民は知るべきだ》と訴えて締めくくる。




 

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【2008/05/03 03:32】 | 【御皇室】 | トラックバック(0) | コメント(0)
しゃばだば近代国史帖


日本の近現代史の中から、主に感動エピソードを拾い集めてみたい。ゆっくりゆっくりですが。個人的には備忘録(メモ)のつもりです。

プロフィール

娑婆妥場

Author:娑婆妥場
この道を、どんな日本人が歩いていたんだろうと、ついつい想いを巡らせてしまう今日この頃です。
いろんな感動エピソードに出会ったけれど、記憶力が悪く片っ端から薄れてしまうので、思い切ってブログに挑戦することにしましたとさ。

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